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「企業家としての国家」

  企業家としての国家」 (M. Mazzucato 、 2023 年、経営科学出版 )    ネットの広告で見たので、あやしげな本ではないかと疑った。目次などを試し読みできたので、買った。原題は次のとおりである。 The Enterpreneurial State, Debunking Public vs. private Sector Myths, by Mariana Mazzucato, Anthem Press, 2013)    著書はしっかりとした経営 / 経済学者である。英国の大学に勤務しており、 EU の政策顧問もしている 。 文献もしっかりと示されている専門書である。事実に基づいて議論しているのと、分り易い文体であるので読みやすい。     前から、アップルや IT 新興企業の誕生とそれらの会社の利益や会社従業員への還元がどのようになっているのか、知りたかった。従来の製造業とはずいぶんとおもむきが違うと思っていたので。   この本の要点は、紹介されている成功した企業が、技術革新 (innovation) を自ら行ったことで成功していると誰もが思っているのは、神話 ( ウソ ) であるとその実体を暴露している。原題の後半がこれを示している。原題の前半、企業としての国家が何を表わすかはピンとこない。政府が、税金を使って国の研究部門に税金を投入にしており、技術革新を起している主体だと言う。その成果をめざとい企業がちゃっかりと利用しているだけだと主張している。さらには、これらの成功した企業が莫大な利益を上げているにもかかわらず、税金を納めることを嫌って、税金逃れを画策している。また、利益を従業員に配分することも、消極的である。経営陣にのみに過大な報酬を与えている。     Apple 社の成功については、特に詳しく述べられている。パソコン (Macintosh) 、   ipod 、 iphone の成功は偉大な経営者 Steve Jobs によっと成し遂げれたと思っている人は多い。この会社よる技術革新 を先導したからだと考えられてきた。 彼の言葉、 stay foolish, stay hungry  がそれを象徴しているという考えだ。   アップルのパソコン、

科学者 (たち) の自由な楽園

  「科学者たちの自由な楽園 —栄光の理化学研究所 」 ( 宮田親平著、 文芸春秋、 1983) と「科学者の自由な楽園」 ( 朝永振一郎著、江沢洋編 、岩波文庫、 2000 ) を読ん だ ことがある。どちらも理化学研究所のことが書いてある。著者の朝永振一郎を知らぬ人は少ないだろう。宮田親平については、昔の記憶では文芸春秋   の編集点と思っていた。調べてみると週刊文春の編集長であったそうだ (2018 年死亡 87 才 ) 。東大医学部薬学科卒で薬剤氏を経て文芸春秋社入社、のちにフリーで医学・科学ジャーナリストとなった。   今回のブログの発端は、数日前に偶然に見た、知人、 N 氏の Facebook の投稿にある。理化学研究所での論文捏造、不正発表を行ったとして、   小保方さんの博士称号の剥奪を早稲田大学が行ったことに抗議していた。ここに書こうとして、 Facebook で探すけれども   、彼のその投稿が見つからない 。話題からして、ずいぶん前の投稿かもしれない。それで、読んだときの記憶で書く。詳細は私の思い違いであるかも知れないことを断っておく。彼の主張の主旨は、いくら不正があったにせよ、博士号取り消しはやり過ぎであり、事件の背景を考慮すべきだというものだ。私も彼の意見に同意する。   事件の背景とは   理科学研究所において導入された任期制度と誇大宣伝の弊害である。その制度がどのようなものであるかは詳しいことは私には分らない。ただし、雇用期間が限られ、更新できる研究者はすぐれた研究成果が上げられた者だけだとすると、その制度が研究者に与える心理的 圧迫は 研究に従事したことがある人々には容易に想像できる。ここで、任期の期間の長さが大いに問題である。 5 年や 10 年では、大きな問題、すなわち、成功する確率は小さいけれども、成功した場合の社会あるいは学問への貢献がが大きな課題に取り組む勇気のある人はごく限られる。   短い任期制度は、当時、大学にも導入することが流行した。私が勤めた大学でのことを書く。保険会社の営業員が、 10 年満期の保険の終了について説明し、新たな契約を勧めに来た時のことである。 大学の助教 ( 昔の助手 ) の多くが新しい保険の契約をできないとこぼした。何故か

平均速度について

    5 月の連休の後に、五島の実家に東京から 3 名の来客があった。弟が SNS で知り合った人たちであり、我々は見ず知らずだった。 2 人は御夫婦である。残る 1 人の女性   はこの夫妻の妻の師匠であった。夫がわざわざ休みを取ってついて来たのは、釣りが好きであるからだとは、初体面のあいさつを交した後に知った。  3 泊のうちの何日目かの夕食の時に、夫となる方 (O さん ) が、自分もボートの免許を取りたいと話した。天気が悪く私の船が出せないでいたとき、帰る日の前日の昼過ぎから海が凪いだので、 3 時過ぎにやっと船を出した。私が仕掛けの準備していたときに、 O さんに運転を代わってもらったので ( 船長が乗っておれば許される ) 、船の操縦に興味を持ったのであろう。   まえおきはここまでにしょう。私が電通大に単身赴任していた頃、船の実技免許を、東京のかちどき橋付近で取ったこと、そして、学科試験で引っかけ問題が出たことを話したことが本題の発端である。引っかけ問題とは、次の問である。     問題 :  ある船が行きは時速  10km/ h 、帰りは 20km/ h で   走って戻った。平均の速度は 15km である。これは正しいか否か    数式があるので、以下は ファイルを参照 して下さい。

数学論文投稿 (電子情報通信学会 10回目の拒絶)

電子情報通信学会の基礎境界ソサエティが発行する英論文誌、Transactions on Fundamentals of Electronics, Communications and Computer Sciences への 10回目の投稿も拒絶されました。受け付け拒否であり、査読に回してもらえないという悲しい結果です。 論文受け付けを拒否する理由は、私の投稿が編集委員会が要求する条件を満足しないためだとの指摘です。最初の拒否理由は、回答の要約を書いていないというものだ。回答の要約を要求する学会誌を聞いたことがありません。回答要約を提出したところ、次の拒否理由として、専門家に読んでもらって、共著者にするか謝辞にかけとの指示を満たしていないことをあげた。私は、2人の専門家に読んでもらったと書いていた。論文委員会は、その結果が改訂論文原稿のどこに反映されてかが判明できないこと、実名が上がっていないことを理由にあげた。2人の意見とも、大したことではなかった。1人(匿名:Elsevier の論文誌、Functional Analysis のEditor)、は主に英語の使い方を直してくれた。1人は参考文献に上げている著者(だから実名はわかる)であり、フーリエ逆変換も最初から広義積分で定義するのが良いとの指摘であった。このことは、今回の回答書に書いてあった。それにしても、専門家に一度読んでもらえとは、投稿者を馬鹿にしている。査読者がバリバリの専門家であり、私は彼らの意見・指摘に応えている。反論もしている。学問のまっとうな討論を続けてきた。   編集委員会とのやりとり と投稿に添えた 著者の回答 をGoogle Drive に上げています。興味がある方はクリックして見てください。このやりとりの中で、この論文誌への投稿はこれで最後にするので査読へ回してくれと頼んでいたので、この約束を守ることにする(査読には回してくれなかったけれども)。電子情報通信学会の通信ソサエティの英語論文誌に投稿するつもりで、知人に原稿を読んでもらっているところです。

会長からのあいさつ

 今年度の日の里1丁目自治町内会の会長を務めることになりました。 就任の挨拶 を書いてみました。  

卑弥呼と倭の五王

 下記に入ってください。 卑弥呼と倭の五王   https://drive.google.com/file/d/1ucnHwkhQNW7Epeo5eQmxr8bElheBXsMF/view?usp=sharing

新聞小説「人よ、花よ、」(今村翔吾)

  4 月になって朝刊を開く楽しみ が 減った。連載小説 が終わっ たからである。読み 始め た のは、 連載途中から では あるが、早い 回 のこと だろ う。 南北朝時代の南朝 における 楠木党にまつわる歴史小説である。主人 公は、楠木 正成の 子である 正行だ。中世の日本史を勉強した ことが なかっ た ので、特に、北朝と南朝 のどちらが 天皇 家として 正統 で あるかを含めて、 興味が あった 。 人物描写 が 上手いので 、著者の 今村 翔 吾が気になっていた。 これまで、 知ら なかった 名前 である 。 途中で新聞 と TV で ニュース になって、顔 も 見る こと できた。そこでは、佐賀 ( 駅 ? ) にある、本屋 が 閉じる こと になったのを 受 けて、 今村 が 経営に 乗り出すことが紹介された。彼は 他にももう 1 店舗の本屋 を 営ん で いるそうだ。 「 今村」 姓は佐賀に多い と 聞く 。 著者 の 経歴はたいへん面白い 。どうり で 、話の展開の仕方 がうまいはず だ 。 北方 謙三 に、 小説を書く よう にすすめられ たとある。 北方謙三の文章に も 似ていると思う。   著者は、歴史小説家 としての 司馬遼太郎を模範 として目指して いるよう だ 。司馬遼太郎の歴史小説へ の 批判、疑問を呈する 人々 ( 私も そうだ ) のことに言及 し つつ も 、 司馬 遼太郎 を高く評価している。   私としては、 司馬 が 歴史を 話題 とした 小説 を書く とき 、 事実を確認する努力を十分せず に、あるいは、自分が感じたように、小説に書いてしまって いるように思う。この点 で は、 松本 清張の「 小説 帝銀事件 」の 書きぶり とは 大きく異なっ ている。 清張 はこの本を、 ノンフィクションとしたいのに 、 GHQ がらみの証拠の裏を取れないので、 涙をのんで「小説 」とした こと は 、 NHK の番組 で 観 た。   ここで脱線 して、 下山事件についての別の NHK 番組 について書く。 当時 の国鉄総裁である下山 が 汽車にひかれた状態で発見された。自殺か 他殺 か、 他殺 と し たら 唯 がやった か。 清張も この 事件 について「 黒い 霧 」とし