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2月, 2022の投稿を表示しています

業績の評価について

同じ表題で電子情報通信学会誌の巻頭言に書いたことがある。言いたい事は同じである。これはその付け足しのつもりだ。この学会では業績賞と言う表彰制度がある(その他、主には論文賞と功績賞)。学術並びに技術の進展に、これまで貢献があった業績を選ぶものである。私は、実は、この制度が変更された最初の選考委員会の長を務めた。以前は、推薦された各候補について、2段階の投票で決めていた。投票資格者は、組織の会員数に応じてその人数が決まっていた。したがって大組織に多く割り当てられていた。それで、業績の中身だけではなく、集めた票数で決まることがあり、投票依頼活動も多く、学会の賞の決め方としては問題があった。この弊害を正すために、投票は一回のみとして、規定数の2倍程度に絞り込んだのち、最終決定は専門家が協議して最終選考をする制度に変わった。  当学会には、基礎境界、電子、通信、情報の4つのソサエティと呼ばれる部門がある。各部門から2名ずつの選考委員が出ていた。ちなみに、私の専門分野は無線通信である。各候補について、部門の近い委員を中心にして評価を始めた。無線通信部門について、私は2つの候補について問題ありと意見を述べた。もちろんその理由を述べた。1つについては、全員が私の主張を認めた。残りの1つ (無線LANのWi-Fi世界規格に貢献したと主張している) については、私の述べたことに対して委員の1人が強硬に異議を出した。私がそんなに言うのなら証拠を出せと言い張るのである。それほど貢献していないと言う証拠を上げる事は、直ちにはできない。私は、無線LANのWi-Fi規格を設定できたのは、ディジタル無線伝送方式と半導体技術の進歩が基になっており、その候補の貢献は小さいと説明していた。  その他の候補についても、当該部門の委員が他の委員からの質問に答えられない事例がいくつもあった。それで議論がまとまらない。もう一度持ち帰って調べてから再度委員会を開くべきであったが、しかし、我々が報告すべき理事会は来週に迫っていたので時間がない。良い解決策が出ないので、結局のところ、投票の結果の票数の順位で決めてしまった。なんとも後味の悪い結果である。  私は翌年まで委員長を務めることになっていた。それで来年は1ヵ月ぐらい余裕をみて、各候補に2名ずつの調査員を割り当てることにした。前もってわかる範囲で調べてくることに

数学論文投稿 (電子情報通信学会 4度目の投稿)

  3 度目の拒絶に対して、返信と書き直し原稿の案を 1 月 23 日のブログに示していた。それから約 1 ヵ月過ぎた。その間にどうしていたか。実は今まで経験したことがない、充実した学問生活に浸っていたのである。自分の考えの足りないところと改善案が、次々に湧き出してきた。私は、たいていは、晩飯と酒をすまして9時までに床に入る。そして、夜中の 2 時位に度々目が覚める。この時、論文を改良する新しい考えが次々と出てくるのだ。このような事は、朝の目覚めで、まだ頭の中が十分に覚醒していない時にも起こる。昼間では何か雑念が邪魔して、考えに集中できないのだろう。思いついたことを忘れないために、起き出してパジャマの上からズボンとセーターを着込みガウンも羽織ってから、パソコンに向かうか、食堂のテーブルの上で書いた。新しい数式を使うためには、その変形、特に積分が重要であった。布団の中である程度出来上がっていたと思っていたものの、実際に紙の上に書いてみるとうまくいかないことが多かった。日中も色々といじることが続いた。そのため、 14 名で行っている土曜日午前の畑仕事は、続けて 4 回欠席したし、その後のテニスにも行かなかった。囲碁の指導も断ったことがある。仲間が心配してくれて、ときには気晴らしに出てこいと言ってくれたことがあった。 2 週間前位に、一応これで出来上がりと思って、テニスの後に酒を飲んでいる仲間のところに途中から参加したことがあった。   夜中に起き出して文章を書き出していると体が冷えてくる。慌てて布団の中に服を着たまま入っても体が暖かくならないことが何回かあった。特に明け方のあたりが白々しく頃が 1 番冷えることを実感した。朝起きて、「これで論文は完璧になった」とカミさんに、何度も言った。そのうちに、「またですか、ゴルフに開眼したと何度も言っていましたね」と言われる羽目になった。原稿書き直しの履歴をパソコンで見ると、微々たるものも全て含めて 60 回位になった。ここ数日になって、夜中も明け方も改善案が出てこなくなったので、ここらで打ち止めにして、明日にでも 4 度目の投稿をするつもりである。今回の書き直し論文が受理されるかどうかはわからない。ただし、私は、査読者の疑義に対しては十分に応えたつもりである。論文はページ数が倍

1丁目福祉会報告

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  1 丁目福祉会報告 1 丁目福祉会会長 雨宮 照                       主任福祉員 赤岩 芳彦   コロナウイルスのために、長らく中止していた『いきいきふれあいサロン』( 70 歳以上)を 3 年ぶりに 1 月に開催しました。 15 名の参加でした。 18 名の予定でしたが、オミクロン株の拡大が始まったので、幹事の方から前日に急遽、電話で連絡し心配な方は辞退してもらいました。サロンが終わってから、宗像市でもウイルス感染が急拡大したので、ギリギリの時期で開催できたことになります。健康検査と生け花教室は実施できました。館内での食事禁止が未だ解除されなかったために弁当は各自持ちかえりとなりました。     生け花の指導はいつもの新海さんです。健康検査は社会福祉協会が手配してくれます。先生は看護師でもあるので、偶然にもこちらも担当してもらえました。血圧の他に、体重、肥満度、体脂肪率、筋肉量、内臓脂肪、基礎代謝、体内年齢がわかります。皆様、ほとんどの項目で良好な結果で安心されておりました。生け花教室の様子と私の作品を写真であげておきます。     久しぶりに開催して、残念に思うことがありました。これまで、よく参加されていた方々が、施設入所、怪我や病気のために入院されているのです。特に、自宅内で転んで骨折される事故が多いようです。福祉会ではさほどの援助はできません。せめて、元気な間は、 1 丁目に住んで楽しかったと皆様に思っていただける活動をするつもりです。        1

クリント・イーストウッド 「クライマッチョ」(Cry Macho)

  前から気になっていたおり、知人が Facebook にあげていたので、カミさんを誘って先週の火曜日に観に行った。福岡でもコロナウィルスが再燃しているので、映画館の混み具合が気になった。行ってみると我々の他には 6 人のみであり安心した。まだ見てない人にはネタバレになるけど容赦を乞う。イーストウッドが演じるマイク・ミロはかなりの老人である。牧場主からクビになって少し経ってから、彼から仕事を依頼される。メキシコに住んでいる離婚したメキシコ人の妻から、一人息子のラファエルを連れ戻してくれと言うものだ。マイクは昔は牧童でならし、ロデオ大会で何度も優勝したことがあるマッチョ ( メキシコスペイン語だそうな ) であった。妻と息子を交通事故で亡くしてから荒れた生活を送り、最近、首になるまでその牧場主の世話になっていた。二人の仲は良くないけれども、その恩義で彼の依頼を断れない。   ラファエルは、ふしだらでアル中の母親(ただし随分と裕福)から虐待されているのと、母親の生き方を嫌って、汚い裏小路で孤児同然で暮らしている。闘鶏にはまっていて、その雄鶏の名前がマッチョである。彼は母親も父親も嫌っている。人は誰も信用していないと言い放ち、荒れすさんでいる。そして、自分自信をマッチョと思っている。父親も、息子を引き取るうとしている理由は、実は妻がアメリカで息子にかけていた保険金の満期金の支払い通知が来ているのを知って、その分け前を妻から受け取るためだけだということが、途中で明らかになる。このような設定から察しがつくと思う。いろんな困難な事件に遭遇することによって、ラファエロが心を開いて、マイクにだんだんと心を寄せてせていくことが全ての流れである。ラファエルはマッチョとして生きて行くと決めていた。これを昔のマッチョのマイクが諫めている。「 Cry マッチョ」は雄鶏に戦う鳴き声をあげろとも取れるし、マッチョの男は泣いてもいいだと、昔のマッチョ老人が強がっているラファエルに対して言い聞かせているとも、昔マッチョだった自分自信に言っているともとれる。ラファエルは、最後にはオンドリのマッチョをマイクに譲る。 西部劇のように単純な筋立てながら、 2 人以外の脇役も雄鶏も含めてよく演じていると思う。脚本もそれらしいエピソードがふんだんに出て楽しめ