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「朝鮮戦争の正体」(孫崎 享)を読んで

この戦争については、 D. ハルバースタムの大著、「朝鮮戦争、 The coldest war 」 ( 文芸春秋 009) を読んでいたので、そこそこ分かっていたつもりであった。孫崎のこの本は、今年の 7 月に出たばかりである。著者の本を立て続けに読んだ後だったので、出てすぐに買った。ハルバースタムの本は、主に米国の内実を詳細に書いている。特に、マッカーサーの、能力、資質と性格への疑問が呈されていることが、印象に残っている。孫崎のこの本では、次のようなことが明らかにされている。 1. 当時の指導者、金日成、スターリン、トルーマン、毛沢東が互いの意思を読み間違っていたことから、この悲劇的な戦争は始まった(その事実は実に興味深い。こんなことで戦争が始まるとは)。終わってみると開戦開始時の状態に戻っただけであった。 2. 日本は、この戦争の特需で経済的にうるおった。しかし、政治的には、その後の惡き前例となることを始めた。日本は公的に参戦している。すなわち、海上保安庁が機雷掃海隊を派遣した( 22 名の死者が出た)。しかし、当時の吉田茂首相は、海上保安庁長官に対して、一切を秘密にするようにと命じている。本来ならば、国会で審議して、国民に知らせるべきであった。(孫崎の他の本「日本戦後史の正体」)では、吉田茂は対米追随の筆頭に挙げられている。国民向けには、米国に屈しない態度を見せてはいたものの、それが嘘であったことを事実をいくつもあげて示している)。 自衛隊の前身である警察予備隊は、在日米軍が朝鮮半島に出てのちの、留守役の目的で設立された(半島に連れ出す意図もあったそうだ)。これは、政令(法律に基づかない)により創設された。これらの動きを国民に知られないように、報道関係者の解雇(いわゆるレッドパージ)が行われた。朝日: 72 、毎日: 49 、読売: 34 、日経: 10 、東京: 8 、 NHK:104 、時事通信: 16 、共同通信: 33 である。 3. 日本(朝鮮総督府)は敗戦すぐに、朝鮮にいる日本人の安全確保のためもあって、朝鮮臨時政府「朝鮮人民共和国」を作った。これは、首席:李承晩、副主席:呂運享、国務経理:許憲、内務部長:金力、以下部長9名などの人選であり、活動が始まっていた。しかし、上陸

ふくれ餅

故郷の五島(奈留島)では、お盆や祝い事のとき、ふくれ餅を作る。小麦粉を練ってイースト菌で膨らませ、中にアンコを入れて、カンナの葉などを敷いて、蒸して作る。蒸し器の中でふくれて、お互い押し合いするので、面白い形になる。ふくれ餅の型枠があると思い、どこに売っているかと聞いた男がいたとの笑い話がある。私の母親の作るふくれ餅は評判が良く、大きなざるに盛られたのを、お盆に集まってくる大勢のいとこたちと、皆、思い思いにとって食べたことが懐かしい。 私が生まれたのは、昭和 20 年 9 月 9 日(旧暦)である。この日は、奈留神社のお祭りの日である。朝から、母親が産気付いたので、父の妹が代わりにふくれ餅を作ったそうだ。それが失敗作で、ふくれずに固い団子状であったと、今でも姉たちの語りぐさになっている。ふくれ餅を作るには、そこそこのコツがあるみたいで、いつも、うまくいくとは、限らない。島の中学の同級生の女たちに聞いても、自分で作れるものは少ないようだ。父と母が相次いで亡くなってから、 14 年になろうとしている。私の妻が、ふくれ餅の作り方を伝授してもらっており、今まで、そこそこのできぶりである。島に残っている、いとこの一人で、この餅作りの名人と我々が認める女性に数年前に教わってから、母親のものとは少し変わって、粘り気がちょうど良いのを、昨年のお盆に作ってくれた。 ところが、今年のお盆に作ったのは、失敗作だった。先に書いた叔母の作ったのはこれかというものだった。家内も途中でおかしいと気がついたものの、どうすることもできなかったようだ。私は、問題が起こると、その原因を突き止めるのが大好きである。落ち込んでいる家内に、いろいろ理由をを尋ねると、機嫌が悪くなる。「俺はお前を責めてはいない、来年に向けて原因を究明したいだけだ」と言うも、話に乗ってこない。「俺の母親は、なぜ失敗したかをいつもしっかり考えていた」と言ったのが悪かった。「来年からは作らない」言い出してしまった。失敗作で、固いけど、団子と思えば食えなくもなかったので、そのむね言ったものの機嫌は直らない。私はさらにひどいことを、娘への電話の中で喋ってしまった。「今年のふくれ餅はふくれず、母さんの顔がふくれている」。 夫婦喧嘩をしながらも、失敗の原因は、イースト菌が悪くなっていたのだろうと結論付けた。このイ

私の囲碁

2 年以上前から囲碁の指導を受けている。テニス、ゴルフ、酒の仲間の一人が師匠役を申し出てくれて始まった。彼は、日本棋院の 3 段の認定を受けており、碁会所では 5 段で打っている。 1 年で初段にしてくれるとの言いに、私は喜んで指導を受けてきた。 4 子置いて、勝ち越せるようになれば、初段認定の取り決めである。彼が私の能力を買い被りすぎていたことは、 1 年経っても認定が下りないことで証明された。 2 年になろうとした、今年の年明けについに認定が下りた。これほど時間がかかったのは、私に言わせれば、私の74歳という年のせいである。しかし、師匠に言わせると、他人の言うことを素直に聞かない私の性格のせいだそうな。そんなことはともかく、初段というと、柔道でもわかるように、そこそこの実力が認められたいうことである。素直に嬉しい。引き続き、 3 子で指導を受けている。 私が最初に囲碁を打ったのは、大学の寮にいたとき、同室の男が教えてくれたのが初めてである。それまで、将棋さえも打ったことがなかった。子供の頃、周りに囲碁、将棋を楽しむ余裕のある人は少なかった。何度か機会はあったように思うものの、将棋は、駒の動きを覚えるのが億劫だった。子供の頃から憶える(暗記)が苦手だった。その点、囲碁のルールは極めて簡単である。最初に囲碁を打ってから、それきりやる気をなくしたのは、その最初の囲碁が面白くなかったからである。うち始めてまもなく、私の石が当たりになり、逃げる羽目になった。しかし、最後まで逃げて全ての石が取られてしまった。「シチョウ」という手だったのである。相手も初心者だったと思う。習いたてで、私を実験台にしたフシがある。その男の性格も好きになれなかった。例えば、次のようなことがあった。我々の部屋に仲間を呼んで、私の迷惑も顧みずによく麻雀をしていた(彼らは、経済学部で授業は相当に暇だった)。彼は、自分が負けると、場所が悪いと言って席変えを要求していた。 その次に囲碁をしたのは、 NEC の中央研究所にいた時であった。当時の会社の囲碁部はかなり強かったらしい。東京の職場対抗団体戦では、いつも上位の成績を収めていたという。そのメンバーの一人は、研究所の人事部の男であり、九大の先輩(経済学部卒)であった。私の部下であった男は、京大(物

保阪正康 近現代史の著作家

この人の著作は、だいぶ前から読んでいる。昭和の戦争について知りたいと思ったことが動機である。もう一人の著述家、半藤一利と並んで私の気に入りの作家である。語り口のうまさでは、半藤一利が少し上かもしれない。しかし、物事の本質を見抜く力量では、保阪正康がより優れていると私は見る。前者は(東大卒の)文藝春秋の編集者、後者は(同志社卒)の朝日ソノラマの記者だった。保阪正康は、戦争体験者の声をコツコツとじかに聞いて、戦争の実態を解明する手法から始めたようである。東条英機の奥さん、参謀本部の瀬島龍三、堀栄三大佐などの面会を元にした、記録が印象に残っている。瀬島龍三は、シベリア抑留に関わり、東京裁判のロシア側証人となり、戦後は、伊藤忠会長、中曽根康弘元主将の顧問などをした男である。保阪は批判的に書いている。戦争の実態をよく知っているのに、戦後、国民に真実を知らせることを拒んだようだ。瀬島龍三が死亡した時の新聞記事で、保阪はそのことをやんわりと批判している。堀栄三大佐が台湾沖海戦での戦果を疑問視する電報を鹿屋基地から参謀本部に送ったのを、瀬島龍三が握りつぶしたと、保阪が書いてあることを知っていたので、この記事が私の印象に残った。 最近、テレビシリーズ番組(BS –TBS)「関口宏のもう一度!近現代史」に登場しているので、毎回録画して観ている。幕末から始まっているので、参考になる。番組の要所に、保阪memoをまとめているが本質をついている。この番組を元にして、本質部分を書物にまとめて欲しいと思っていた矢先、保阪正康、「近現代史からの警告」講談社現代新書、として出た。物事の本質に迫る方法論(演繹と帰納)、学会(Academism)と報道(Journalism)の関係などにも言及している。 このブログを書くにあたりWikipediaで調べたら、中学生だった息子が、学校でのいじめにあって自殺したことが書かれていた。保阪の本を読み始めた頃、彼の父親は関東大震災の時に暴行を受けたと書いていた。父親は関東大震災のおり、横浜で医者をしており、道筋で壊れた建物の下からけが人を助けたそうだ。助けた相手が朝鮮人だったので、なぜ助けたかと周りの日本人から殴られたそうだ。これが原因で耳が悪くなり、聴診器を使えないので、医者をやめて高校教師になったそうである(私の記憶)。 保阪正康の著述に迫力があるのは、

絶対可積分でない関数のフーリエ変換

要約 数学を専門としない大学生に対して、絶対可積分でない関数のフーリエ変換をどのように説明したら良いかについて、私なりに、まとめてみた。デルタ関数から始めて、フーリエ級数からフーリエ積分への移行へについて述べた。続いて、絶対可積分でない関数を扱うために、フーリエ積分における積分領域の極限の取り方について、私がだいぶ前に提案した方法を改善したものを紹介した。次に、私の長年の懸案であった超関数論による議論について、最近、私が理解したことを書いた。ここでは、絶対可積分でない関数として、定数関数を例にとって検討した。また、ラプラス変換の思想を取り入れた方法も考えた。最後に、フーリエ変換の対称性を用いる方法を説明する。これらの4つの方法を比較検討することにより、私の方法は、超関数の議論に深入りしないで、フーリエ変換における極限の取り方に制限を設けるのみであるから、初心者に最も容易に理解出来るであろうと結論づけたい。 続きは下記 に入ってください。 https://drive.google.com/file/d/12UULiAefOoVGn8hFLnuer7AQ4X2cwerJ/view?usp=sharing  https://drive.google.com/file/d/12UULiAefOoVGn8hFLnuer7AQ4X2cwerJ/view  

ウイルスと人の生き延び方(続き)

ヒトの受精妊娠の過程では、異物侵入に対する拒絶反応が起きることが考えられると先のブログに書いた。これを裏付ける専門家のコラム記事が少し前の朝日新聞に出ていた。その記事によると、異物を排斥する免疫リンパ球は、胎児に向かう母親からの臍の緒の中で、遮断されているそうだ。しかも、これには、(レトロ)ウイルスが絡んでいるとのことである。ウイルスとヒトの付き合いはかくも深いと知らされる。臍の緒は、胎児への栄養分のみを通してくれているそうだ。