投稿

11月, 2020の投稿を表示しています

是求事実

イメージ
  添付している写真は、九州大学の教養部から箱崎にある電子工学科に進学した我々を、 3 年生と先生達が歓迎してくれた宴会の時のものである。会場は三畏閣と呼ばれた学生厚生施設の建物の一室である。三畏は論語から来ている。今は、九大移転により全ての建物とともに取り壊された。このブログの表題は写っている額に書かれている。この額を見たとき揮毫した人が、有名な中国人の郭沫若と知ったので、私の記憶に残っていた。彼は、中国からの留学生であり、九大医学部で学んでいる。帰国後は、文芸活動をもっぱらにして、政府内でも重用された。   当時、私はこの文字を左から右に読んでおり、しかも記憶していたのは、是求是真であった。ある講演で使おうとして、この写真を見つけた。中国人の学生達に、この是求事実の意味を聞いてみた。いろいろな解釈が出た後、誰かが辞書で調べて、英語への翻訳、 Looking for Truth through Fact (事実を通して真実(真理)を探す)が正解だろうとなった。この額は、その後、三畏閣から、本部応接室あるいは図書館などに動かされたようである。   このブログを書くきっかけは、岡本隆司、「中国の形成」、シリーズ中国の歴史 5 、岩波新書、を読んだからである。この中に、この言葉が出てきた。私は、てっきり郭沫若の創作と思っていたら違っていた。中国の清朝、乾隆帝の時に広まったという。明朝で栄えた陽明学などが空理空論に陥りがちな弊害を避けるために、過去の文献の事実をしっかり調べて、正しいこと、特に政治経済の策、を決める実証主義考証学のスローガンであったそうだ。実証主義は、細部にも気を配る満州人に合っていた。支配者である満州人に対して、著述に従事する知識人は漢人である。満州人(夷)を排斥する攘夷思想は当然出てくる。支配層は清朝を批判する言論を弾圧した。すると、権力に忖度する知識人が出てきて、正論を述べる者を批判した。また、実事求是の精神も形式化、形骸化して行った。   この本は、漢人による中国の統一は、未だかって達成されたことがないと書く。元も清も支配したのは漢人ではない。これらの政治が上手くいったのは、異なる民族の任意性に任せて統治したからだという(因俗而治)。現在の習近平の強権的な「一つの中国」は実現されたこと

二度目のヒラマサ釣り

イメージ
コロナウイルス禍のために、控えていた、五島の実家行きを、 10 月下旬、今年、初めて決行した。ニュースを観ていたら、 Go To 五島キャンペーンで、福江空港が出たので、その気になった次第だ。台風の被害(瓦が何枚か飛ばされ、マキ兼用風呂釜の煙突が折れた)の検分を言い訳にした。主目的は、弟を誘っての船釣りである。近所に土産を持って行くと、「お前たちはいいときに来た」と言われた。今まで 20 間ほどは海が荒れて船は出せなかったそうだ。低気圧が西から近づいているので、これから数日間は凪が続くとの予想である。     船を降ろして早速、問題が起きた。エンジンが一度はかかったものの、すぐに止まってしまう。何度か試すもののダメだ。昨年、中古の小型予備エンジンを買って取り付けていたので助かった。これを使って、船の係留場所まで移動できた。いつも親切に対応してくれるエンジン屋に電話するとすぐに駆けつけ、診てくれた。原因は、空気が燃料供給系のどこからか入っているためである。燃料フィルタタンクが透明になっており、確かめられる。これは、ディーゼルエンジンにとって致命傷である。疑わしい部品を交換するために手配をしてくれたものの、届くまで、 2 日間はかかる。弟は翌朝に着いいて、 2 晩泊まって帰らなくてはならない。私が、昨年、ヒラマサを 3 匹釣ったのを自慢していたので、これにつられて、京都から来ることになっている。私は困った。島でずっと漁師をしている同級生が船外機付きの小型ボートも持っていいることを思い出した。漁に出ているところに、ケータイで頼んだところ、快く貸してくれた。     弟が来た翌日の朝早く船を出して、 20 分ほどして釣り場に着いた。仕掛けは、昨年、実績のある、スロージギング (slow jigging) 仕掛けである。釣れた場所は、だいたい頭に入っておるうえに、魚群探知機に記憶させている。この釣りは、イワシなどに似せた、鉛でできた偽の魚を、動かしながら、特に、弱った魚を演じさせて誘う。底付近からずっと誘い続けるので、腕がかなりしんどい。速い動作を行う( fast pitch )よりも楽とはいえ、当たりもない仕掛けをひたすら動かし続けるのは虚しくなることがある。私は、そのうち当たりが来ると思っているので我慢できる。弟は辛抱できない。だいたい、金属でできた偽の魚にヒラ