新聞小説「人よ、花よ、」(今村翔吾)
4月になって朝刊を開く楽しみが減った。連載小説が終わったからである。読み始めたのは、連載途中からではあるが、早い回のことだろう。南北朝時代の南朝における楠木党にまつわる歴史小説である。主人公は、楠木正成の子である正行だ。中世の日本史を勉強したことがなかったので、特に、北朝と南朝のどちらが天皇家として正統であるかを含めて、興味があった。人物描写が上手いので、著者の今村翔吾が気になっていた。これまで、知らなかった名前である。途中で新聞とTVでニュースになって、顔も見ることできた。そこでは、佐賀(駅?) にある、本屋が閉じることになったのを受けて、今村が経営に 乗り出すことが紹介された。彼は他にももう1店舗の本屋を営んでいるそうだ。「今村」姓は佐賀に多いと聞く。著者の経歴はたいへん面白い。どうりで、話の展開の仕方がうまいはずだ。北方謙三に、小説を書くようにすすめられたとある。北方謙三の文章にも似ていると思う。
著者は、歴史小説家としての司馬遼太郎を模範として目指しているようだ。司馬遼太郎の歴史小説への批判、疑問を呈する人々(私もそうだ)のことに言及しつつも、司馬遼太郎を高く評価している。 私としては、司馬が歴史を話題とした小説を書くとき、事実を確認する努力を十分せずに、あるいは、自分が感じたように、小説に書いてしまっているように思う。この点では、松本清張の「小説帝銀事件」の書きぶりとは大きく異なっている。清張はこの本を、ノンフィクションとしたいのに、GHQがらみの証拠の裏を取れないので、涙をのんで「小説」としたことは、NHKの番組で観た。
ここで脱線して、下山事件についての別のNHK番組について書く。 当時の国鉄総裁である下山が汽車にひかれた状態で発見された。自殺か他殺か、他殺としたら唯がやったか。清張もこの事件について「黒い霧」として書いてある。私も昔読んだ記憶がある。今回の番組によれば、ソ連共産党の仕わざに思わせる工作をして、実はGHQのキャノン(少佐)機関の仕業であることを、最近の資料をもって、明らかにしている。下山総裁が殺された理由は、朝鮮戦争に備えて、軍需物資の運輸を国鉄に全面的に協力させるようにしたのに対して、総裁が反対したことにあるようだ。彼は三越デパートに呼び出され、GHQの指示により殺された。 血液を抜いて殺された後、鉄道軌道に横たえられた。自殺に見せかけるために、総裁の服を着た人物が、旅館に泊まったり、事件現場を歩いたりして、目撃されるように仕組んだ。担当検事 である布施健 や新聞記者(朝日、読売) に扮する人物が登場する。事件の鍵をにぎる人物、児玉誉志夫の息子、キャノ機関 (米国人) の当時者の一人、また、別の当事者の子供(日系米国人)、とのインタビュー も出た。暗殺が明らかにされた。そして、占領下の米国と日本のこのような関係が、今現在も同じレールの上で走っているとのナレーションで終わった。
話を戻す。連載を終えて、今村翔吾が新聞に書いていた。今回の小説のできには、十分、満足しているそうだ。 特に、終の頃の書きぶりをそのように書いていた。私も 3月末で終るのでどのように話をもって行くのか、気になっていた 。私の 感想は、著者とは異なる。「おいおいそれで終しまいかよ」という気持であった。 権力者としての天皇、公家、武士ならびに、領地民の生き方考え方を含めて、人物描写に上手さは認める。しかし、彼が、今後、いつかは、司馬遼太郎の「坂の上の雲」を越える作品を書きたいとしていることには、異和感を持つ。
面白く拝読致しました。違和感を持たれたということは、持論をお持ちということと存じます。お聞かせ下さい。
返信削除たいした持論はありません。作者が司馬遼太郎を高く評価しており、次には、「坂の上の雲」を超える作品を目指すと書いていたことに違和感を持ったのです。私は司馬遼太郎を好きではないからです。歴史小説では、彼よりも藤沢周平が好きです。歴史小説では事実の扱いが微妙な問題です。司馬遼太郎のそのところの記述が気になります。
返信削除小説家が尊敬する作家を超えるような作品を残したいのはよく分かります。例えば、宮崎駿が手塚治虫を超えたと自分で書いていたのを読んだ気がします。その時には、強烈な違和感を持ちました。この例は、今回の私の違和感とは反対です。私は手塚治虫を超える作者はまず出ないと思っています。反対に、司馬遼太郎を目指してどのような境地が開けるのか私にはわかりません。