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1月, 2022の投稿を表示しています

南無阿弥陀仏と無限大 ∞

  南無阿弥陀仏は、ほとんどの人が知っているだろう。しかし、漢字が意味するところは仏の所しかわからない。その理由は、この言葉はもともと、インドのサンスクリット語の発音を中国の漢字で表したものだからだと本で読んだことがある。(他の例をあげる。マルクス( Marx )を中国では、馬克思と書く。中国人の姓で馬を名乗る人がいるし、克思の意味もそれらしく感じられるところが妙訳だ)。その本を本棚に探す事はここではしないので、以下は、うろ覚えである。英語の起源をインド・ヨーロッパ ( 印欧 ) 語源で説明してあったところに出ていた。一番よく覚えているのは、 catch, cap, have の語源が、印欧語で動物 ( 牛 ) の頭を両手でつかむことを表した kap から来ているというところだ。印欧語を話す語族はカスピ海付近で始まり、そこでは牧畜が盛んだった。それで、この説明は納得がいく。この語族はその後、インドとヨーロッパに散っていった。それで、インドとヨーロッパの言葉は共通の起源を持っている。 話を元に戻す。南無阿弥陀仏は英語風に書くと、 Name ameter Budda だと書いてあったと思う。なるほど、ナムアミダブツに近い。「測りがたいほどの ( 徳のある ) 、仏の名前を唱えなさい」と言うものだ。 ameter の語源はおおよそ見当がつく。シップリー英語語源辞典 ( この本はとても面白い。読む本がないとき、適当なページを開いて気になる単語のところを見るだけで楽しい ) に当たってみたけど出てなかった。例によってネット検索すると、「 me, meter, metry ( 量る ) の英単語の意味まとめ」として出ていた。 ameter の a は否定を表す接頭辞である。それで、量れないの意味になる。以上で前置きを終わる。 「無量大数」と言うものがある。これも、仏教用語だ。量ることができない大きな数、すなわち ∞ を意味していると思っていた。調べてみると大きい数だけども有限の値のようだ。ところで、 ∞ と言う概念はいつ頃出てきたのだろうか。 ∞ はある程度想像できるけれど、数学になると最も難しい概念のような気がする。数学は無限大との闘いだと私は思う。無限大あるいは無限大に近い数がなければ、たいていの数学の問題は解けるだろう

数学論文投稿(電子情報通信学会 3度目の拒絶)

 書き直して投稿していた3度目の投稿も 編集者から拒絶通知 が来ました。二人の 査読者A , 査読者B からのコメントもあげています。どちらも厳しい意見です。査読者からの有益な指摘のおかげで、私の主張も明確になり、議論が核心に近づいております。ただし、私は 全面的に反論 しています。4度目の 書き直し原稿 をあげていますので、興味がある方は読んでください。そして、論文が受理されるために助言を頂ければ幸いです。今回のやり取りは、すべて日本語でしているので、わかりやすいと思います。

新渡戸稲造「武士道」( 岬龍一郎訳)

  テニスと畑の仲間の 1 人が、最近、読んで私に勧めてくれた。著者は有名であるし、この本の題目も知ってはいた。新渡戸稲造は札幌農学校の第 2 期生である。内村鑑三と同輩であり、著者もプロテスタントである。前文によれば、 1899 年に、米国ペンシルバニア州で英語で書き上げたものである ( 「 Bushido -The Soul of Japan 」 ) 。執筆の動機は、ある外国人から、「日本の学校では宗教教育はないと言うのですか」と驚いて言われたことである。人々の行動規範、道徳は、西洋ではキリスト教が土台となっている。著者は、それが日本では「武士道」であるとの考えに至った。章立てを以下に示す。   第 1 章 武士道とは何か、 2 章 武士道の源はどこにあるか、 3 章 義 - 武士道の礎石、 4 章 勇 - 勇気と忍耐、 5 章 仁 - 慈悲の心、 6 章 礼、 7 章誠 - 武士道に 2 言がない理由、 8 章 名誉 - 命以上に大切な価値、 9 章 忠義 - 武士は何のために生きるか、 10 章 武士はどのように教育されたのか、 11 章 克己、 12 章 切腹と仇討ち、 13 章 刀 - 武士の魂、 14 章 武家の女性に求められた理想、 15 章 武士道はいかにして「大和魂」となったか、 16 章 武士道はなお生き続けるか、 17 章 武士道が日本人に残したもの 以上を眺めれば、内容の大方の検討はつくであろう。日本人の道徳感を表したもので、私が読んだことがあるのは、「葉隠れ」、「茶の本」、「菊と刀」、「無用者の系譜」(唐木順三)などを思い出す。この本の著者の語り口の良いところは、武士道を、西洋の騎士道やキリスト教その他とを、多数の具体例を出して比較検討しているところである。著者は西欧の精神に負けないくらいに、武士道の精神は崇高であると言いたかったのだろう。例えば、次のことが書かれている。菅原道真の恩に報いるために、道真の息子の代わりに、偽って我が子を差し出して、首をはねさせた夫婦の話である。著者はこれを旧約聖書に出てくる、アブラハムがイサクを犠牲にしたような話と同じくらい、意義深いものだと書いている。私はこの件については、どちらも賛成できない。 この本は世界で評

アブッテカモとクサブ

  アブッテカモを知っている人は少ないだろう。博多では知られている。本称はスズメダイである。餌取りの名人で、特に磯や堤防でフカセ釣りをする人に嫌われている。見た目が黒く、変に長い背びれを持っていて、姿かたちもやや異様である。口が小さいので、針にかかることが少ない。かかっても、釣り人は持ち帰る事はあまりない。ところが、博多の人々は、好んで食べていると聞く。炙って焼いて食うそうだ。クサブは私の田舎での呼称であり、ベラのことである。赤や青の原色が特徴で、いかにも暖かい海にいる特徴を有する。歯はかなり鋭く、サンゴ礁や砂場の虫などを食べているのだと思う。関東では、釣っても捨てているようだ。福岡では魚屋に並んでいることもある。白身で淡白な味がする。私が育った五島 ( 列島 ) ではカサゴ ( 五島ではアラカブ ) と並んで、特に産後の人に喜ばれていた。後で知ったことには、沖縄ではクサブベラと呼んでいる。本土ではクサブとベラに分かれて呼ばれているのだ。 私は、子供の頃 1 人で伝馬船を漕ぎ出して、湾の沖合の砂浜と岩礁帯のきわ ( 駆け上がり ) に錨を落として、このベラとアラカブを釣りによく行った。アラカブを天草地方ではガラカブと言うようだ。 GARAKABU と書いてみよう。日本語では母音の前の子音を省略することが多い。例えば OOKITA>OOITA 、 SAKITAMA>SAITAMA など。それでガラカブがもともとの呼び方だったのだろう。   何年か前に、中学校の同級生会が島であった折、私が退職後に実家に釣り船を買ったことを知っている、同級生 5 人ぐらいが前にやってきて、私の船で釣りに出た。大物を釣らせたかったので、当時流行っていたタイラバ仕掛けで、クエ ( ハタ、アラ ) を狙わせた。この時は喰いが悪く、 1 人が赤ハタを 1 匹釣ったのみだった。女性が 1 人おり、彼女は島原に嫁いでいて、そこで知人の船でよく釣りに出ているそうだ。彼女がしびれを切らして、もう少し釣れるところへ 移動しようと言い出した。私はこの事態を予想していたので、早速、ベラ・アラカブ釣りに変えて、船を磯近くに動かした。案の定、入れ食い状態だった。湾の外の沖合であったので、ベラもカサゴもかなり大きなものばかりだった。みんな喜