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私の夫はマンスプレイング ?

  新聞の 悩 み事相談欄の 「 悩 みのるつぼ 」 をたまたま 読 んだら、マンスプレイングと言う 単 語が出ていた。最後まで 読 んでみて大体の意味はわかったものの、もとの英語が思い浮かばない。 man’s playing あるいは   man   spraying と考えたが、しっくりしない。仕方がないので、ネットで調べたら、 man explaining の省略だと分かった。なるほどこれで 悩 みの相談とその回答とぴったりした。   60 代の女性の 悩 みとは、その夫が、ニュースや何かで、すぐに自分の意見を 「 それの本質は … である 」 と彼女に 説 教調で喋るので、見下されているようで、ムカつくと言うものだった。回答者の上野千鶴子は、これは、いわば、マウンティング ( 男と男、女と女の間での優位性の見せつけ : 猿の行動で有名 ) の男と女のバージョンであると 説 明していた。そして、その夫は管理職か教師だろう。また、その夫はお友達いない系だろ。何、友達にはやらないが妻にはやる。それなら、ほんと、マンスプレイングと言う。上野千鶴子はさらに書く。物事には本質と言う( 絶対 的な)ものはなく、すべて見る人ごとによって異なる多 様 性がある ( 相 対 的 ) と説いた後に、夫に向かって忠告する。   この件については妻が何かを意見を言ったら 「 いや 」 、 「 しかし 」 の前に一旦 「 そうだね 」 と 1 拍おく習慣をつけましょう。そして、 「 本質は 」 と言う代わりに、 「 僕は ( 主 観 的 ) こう思う けど 」 と付け加えるようにしましょう。それだけで会話が 弾 むようになりますよ。 この忠告は、私はカミさんから何度も言われ 続 けてきて、まだ治っていない。私は一 応 、会社で管理職 ( 下っ端 ) をやった後、先生になった。この点で、上野千鶴子は的を得ている。私に友達がいないと言われると微妙である。酒飲み友達はたくさんいる。しかし、相談している女性の夫と私が、もしかして違うのは、マンスプレイングを男仲間にしょっちゅうやって顰蹙をかっているところだ。テニスやゴルフで私が自分の理論を言うと、たいていは、 「 赤岩さんには言われたくない 」 と言う反 応 が返ってくる。理由の 1

寺島実郎 「人間と宗教」

  この著者は、新聞雑誌で彼が書いた評論を読んで知っていた。本質をついた考えを示していることが多いので気に留めていた。それでも、単行本を買ったのはこれが初めてかもしれない。今回、なぜこの本を読む気になったのかは、最近のことなのに思い出せない。   実は著者の講演をいちど聞いたことがある。私の本「ディジタル移動通信技術のすべて」が大川情報通信財団の出版賞をもらったときに、大川賞 ( こちらが上 ) との合同授賞式での講演である。世界情勢、特に、中華人系の経済活動とそれが与える世界の政治のことを話した。大した話ではなかった。二次会の折、私が講演内容について大したことがなかったと話したら、授賞式に私の招待枠で呼んでいた甥っ子 ( 夫婦 ) が、「聴衆のほとんどは大学関係者なので、彼らにはこの程度の話で充分だと割り切って話をしたのじゃないか」と皮肉を言ったのを覚えている。 本の帯に「世界を歩いてきた経済人が今、再考する体験的宗教論」と書いてある。この「体験的」と「人間と宗教」と言う言葉遣いが、私の興味を引いたのかもしれない。確かに宗教に関する体験をもとに、さらには、文献をよく読み込んで書いてある。ただし、読み始めた私は、よく勉強しているものの、話題の本質の掘り下げは十分に深くないと感じた。例えば、 R. ドーキンスの「神は妄想である : God is Delusion 」を紹介しているものの、この本が提起している問題意識に対しては、さほど気にかけていないように思えた。このような私の感想は、最近亡くなって話題に上った立花隆の著作にも通じる。 ただし、宗教に関する知識の概観を得る 1 つとしてよくかけていると思う。特に、仏教並びにキリスト教の日本への伝来の経緯については、私の理解が進むのにとても有効であった。特に印象に残ったところは、キリシタン弾圧で、島原の乱で 2.7 万人、江戸時代に斬首、火焙り、吊しで 5000 人から 6000 人が殺されたことを書いた後に次のように書いたところである。   この大量殺戮と集団的狂気を日本人としてどう受け止めるか。中東一神教は異教徒に対して「不寛容」であり、八百万よろずの神を奉る日本人は「寛容」だと言う議論がある。だが、お上 ( 権力 ) の権威付けと「民衆」の無知が

五島列島

  名前からわかるように 5 つの島が列となって東シナ海方向に連なっている。本土から見て遠い方から、福江島、久賀島、奈留島、若松島、中通島がある。その手前にも、小値賀島と宇久島があるので、 7 つの島がまとまっているとも見える。   福江島のことを、私が小さい頃にはフカエ(深江)と呼んでいたので、もともとは深江島だったのかもしれない。もっと昔は、大値賀と呼ばれたと何かの本に書いてあった。値賀の島は万葉集にも登場する。大値賀と小値賀の 2 つの島の呼び方が紛らわしいので、深江島に変わったのだろう。値賀と言う語感からすると、「近い」と言う意味があったのかもしれない。   朝鮮半島や中国大陸から見たとき、日本列島は太平洋に向かって吹き溜まりのようにへばりついている。日本列島はもともとは大陸とつながっていたところが、大陸移動に伴って切り離され次第に離れていったそうだ。その証拠を NHK の番組で紹介していた。日本海側の海岸の岩石の崖がロシアの海側の崖と同じ構造でありこれらは元はつながっていたと言うものだった。大陸側から見たとき、五島列島が最も近かったので、値賀の島と呼んだのかもしれない。   九大の 1 人の学生が研究のために、奈留島に 1 ヵ月ほど滞在していたことがあった。当初は、指導教授もいたけどすぐに帰ったそうだ。私が奈留島の実家  ( 無人 ) に行った折、知り合いの区長がその学生を家に泊めていると、私に話してきた。私が九大で教えていたことを知っていたのだろう。彼らと役場の若い職員 ( 学生はその後、何週間かその職員宅に泊まることになった ) とで、私の実家で一晩、酒を飲んだことがあった。その学生の研究は、地質学である。島の海岸の岩石の構造を調べることで、太古の昔、湖であった日本海の縁(五島列島も含む)が壊れ海水が流入した頃の様子がわかると言っていた。毎日毎日、海岸の石を眺めて、採集すると言う地味な研究である。 このブログで何を書くつもりかは前もって決めていない。したがって話があちこちと飛ぶことを許されたい。私は五島列島の奈留島に生まれ育った。当時の島には高校がなかったので、高校は長崎へ出してもらった。中学までしかいなかったけれども、山と海、それに亜熱帯の植生が多い宮の森、田畑、漁船などで、小さい