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英語のカタカナ表記について

先日、大工仕事のために、近くのホームセンターに木ネジを買いに行った。 10cm くらいの長いものを探した。木ネジの表示で、コースレッドと書かれているものがあり、前から気になっていた。店員に聞いてみたら、意味の説明はしないで、「昔は固有名詞であったのが今では普通名詞になっている」とのこと。商品名であれば、どのような名前をつけようが構わないないから、意味は無いのかと思った。しかし、納得がいかないので、家に帰ってからネットで調べた。なんてことはない、コーススレッド (course thread) とある。糸状 (thread) につながるネジ山の間隔が粗い (course) ネジのことだそうだ。この方が、木材を留めるときの強度が上がることは分かる。 フレイルという言葉を福祉会の研修で講師が使った。パワーポイントスライドの中で、英語表記なしでである。身体が虚弱な状態をさすとは一応説明した。英語が思い浮かべないので、その場で、ケータイの辞書を引いた。 Frail と出た。知らない単語だった。この単語は、介護に関する他の講演でも出た。業界では当たり前の言葉なのだろうか。それとも、講師がわざと自慢げに使ったのだろうか。 コンピュータ関係の専門用語には、カタカナ表記がふんだんに出てくる。私の専門である通信の分野でも、最近はこの傾向がある。ただし、昔は、できるだけ漢字を使って翻訳する努力がなされていたと思う。例えば、交換方式などで登場する「呼」がある。これは、英語の call を翻訳したものであり、傑作の筆頭であろう。 漢字で表せば、その意味はなんとか理解できて便利であるのに、また、漢字の造語能力は極めて高いのに、近年はそのような努力が少ないと思う。日本人の英語能力が上がったので、カタカナで書いても、元の英語が思い出せるようになったからとは信じ難い。各分野の専門家の漢字に対する造詣が浅くなっており、的確な翻訳ができなくなったのが、一つの原因であろう。本家の中国は、簡略体を使うようになったので、期待しても無理かもしれない。仏教などの言葉を、漢字で的確に表した古代の先人に頭が下がる。 私が勤めていた九州大学が移転して、建物に付けられた表記には今でも腹立たしくなる。私の部屋があった建物は、「ウエスト 2 号館」であ

訂正 NHK番組 独占告白 渡辺恒雄

 以下の部分、「私は誰かの本で読んで知っている(保坂正康、半藤一利、内田樹、白井聡の誰かと思う)」を、「孫崎亨、「戦後史の正体」」に変更します。 本棚を調べて見つけました。 CIA の金の話は、公文書開示で広く知られた話のようだ。前にあげた著者も言及していると思う。孫崎亨のこの本は、実際に外交に携わった経験と、防衛大学での講義を 多分 元にしているので、説得力がある。終わりの部分で、歴代総理大臣のアメリカに対する立ち位置 まとめてい る。この本を読んで、岸信介に対する私の見方が変わった。

NHK番組 独占告白 渡辺恒雄〜戦後政治はこうして作られた を観て

NHK で放送したのを録画しておいて観た。私は、事前知識として、読売新聞の親玉で、保守独裁者風の男という程度しか持っていなかった。出だしから興味深かった。東大(哲学科)で日本共産党の細胞(支部)のリーダーだったそうだ。後に除名された。党のやり方が、全体主義的で個人の自由をおろそかにすることに疑問を感じ、党の方針に反した行動をとったことが原因だと説明していた。終戦に近い頃、軍隊に取られ、 2 等兵としてひどくいじめられたそうである。戦争に反対していることは、番組をとおして話していたと思う。ちなみに、軍隊にいるときに、カントの「純粋理性批判」(岩波文庫)を持ち込んでおり、ボロボロになったその本を見せた。 読売新聞社に入社(ネットで調べるとあちこちで落とされている)し、週刊読売に配属される。共産党の山村工作隊の取材記事が最初のスクープ記事であり、これが、当時のトップであった、正力松太郎に認められ、政治部に配属換えとなる。この時の取材時の話に驚いた。私が昔、大学卒業して会社に入社しての間もなく読んで、今まで印象に残っている本、「生きることの意味:ある少年のおいたち」(ちくま少年図書館)の著者で、名前もしっかり覚えている男、高史明、が実際に取材を受ける場面が現れたからである。この本を買ったのは、今思い起こすと、同シリーズの本、「人が生まれる 五人の日本人の肖像」(鶴見俊輔)と、「こころの底をのぞいたら」(なだ いなだ)を買った時に見つけたものと思う。このブログを書くために本棚を探したものの、いづれも、みつからなかった。おそらく、甥っ子にくれたようだ。「生きることの意味」で、母親が離縁して家をでたときと、泥棒に入られたときの描写は、今でも覚えている。高は渡辺の取材の時に、命を助けてくれた恩人だそうだ。奥多摩のアジトに入った時、共産党の党員たちは、彼を殺して埋めてしまおうとした。これを止めさせて取材に応じたのが高であった。 次に印象に残った場面は、岸信介内閣から池田勇人内閣になった顛末である。実は、岸の次の総理大臣には、大野伴睦がなること、及びその後の数人を決め、当事者の密約として決まっていたそうである。番組では、密約書類(本物かどうかは不明,児玉誉士夫が保管)が映されていた。この約束が反故にされたそうである。渡辺は当時

濡れ縁の自作

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11 年前に自宅を建て替えた折に、中庭に面して一緒に作ってもらっていた濡れ縁がだいぶ前からかなり傷んでいた。(何年か前に、私がペンキを塗り直したときに、塗料の選択を間違えていたことも傷みを早くしたようだ。材木に浸透するタイプを使う代わりに、皮膜を作る塗料を使っていた)。自分の手に負えるようには思えなかったので、市の商工会の窓口に相談して、工務店を紹介してもらった。長持ちするという材料ということで、サイプレス(豪州ヒノキ)を使って、 13 万円の見積もりが出た。材料が高いので、普通の板のような形状である。そのため、仕上がりはウッドデッキ風になる。これまでのものは、ヒノキの角棒( 9cm x 4.5cm ) を縦に使っており、これに比べると見栄えがだいぶ劣る。そこで、自分で作ることを念頭に置いて、近くの材木屋に相談に行った。 店員が親切に助言してくれた。彼は、価格の点でも、耐久性の点でも、杉の赤身材を薦めた。耐久性の証拠として、 30 年くらい野晒しにした、赤身杉、サイプレス、ヒノキの角材を見せてくれた。名前を挙げた順で、痛み具合が少ない。赤身は脂分が多いので腐りにくいとのことである。材料費を見積もってもらうと 3 万円ほどだったので、自分でやることに決めた。コロナウイルスで自宅にこもっていることも、この決断を後押しした。 今の造作のうち、表の角棒のみを取り替えれば済むとふんでいた。角棒を止めているビス(木ネジ、仏語)などは見えないので、土台にどのように取り付けているかを調べた。よく見ると、厚くない板材を使い、そちら側から、角材をビスで留めているようだ。その後これを裏返して、土台に乗せている。土台に固定するために、角材の隙間のところどころで、ビスを使って板の上から留めている。なるほどよく考えていると感心する。 解体に取りかかって難儀した。延長ネジまわしをつけた電気ドリルでビスを抜こうとすると、錆びているので、すぐに頭の溝が潰れるか、ビス本体がねじり切れてしまった。結局、ビスの両側で板材をノコで切って、ブロックごとに取り外した。上手に切れないので、土台までかなり切り込んでしまった。土台が現れてみてがっくりした。土台までが相当に腐っているのだ。ひどいところは、中心部の固い芯を残して、周りがふかふかの状態である。この原因は、板材の幅が

Lapis Lazuli の歌うケルト民謡

最近、 Lapis Lazuli の歌をよく聴いている。きっかけは、ハイレゾ( High Resolution :例えば、標本化周波数 192kHz, 量子化ビット数 24 )音源で特に録音の良いものを探して見つけたことである。彼女の曲は、オーディオマニアの参照音源として知られている。声の響きが心地よい。特に、気に入っている曲は、アイルランドやスコットランドのケルト系の民謡である。 An Irish Lalluby, Annie Laurie, Greensleeves, Scarborough Fair, Danny Boy, Morning has Broken, Water is Wide, The Skye Boat Song をウエブサイト e-onkyo  から購入した。 Lapis Lazuli は宝石の瑠璃を意味する。祖父はイギルス人だそうだ。英語で歌っているので、歌詞がわからないところが多い。それで、ネットで検索して印刷した。 Scarborough Fair はサイモンとガーファンクル、 Danny Boy はハリーベラホンテの、昔、買った LP レコードの中に入っている。これらが、もともとケルト民謡であったことは、このたび知った。 Scarborough Fair の歌詞の意味を理解するのは難しい。 Danny Boy は、出征する息子を父親が悲しんでいる曲だそうだ。参考までに、歌詞を末尾にあげている。 歌詞を見ながら、曲を聴いていて気付いたことがある。感動がもう一つの薄くなるのである。おそらく、私の脳が二つのことを同時に行うことに十分に対応できていないのでだろう。日本語の歌であれば、歌詞を見ないのでこのようなことは無い。特に、演歌などは、歌詞がわからないと感動は半減するだろう。 Scarborough Fair Are you going to Scarborough Fair Parsley, sage, rosemary and thyme Remember me to one who lives there She once was a true love of mine On the side of a hill in the deep forest green Tracing o

プログラム電卓HP33E

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この電卓は、 43 年前、会社に勤めていた頃買った。当時の月給の半分くらいの値段だったと思う。下宿先のおばさんが、横浜高島屋の割り引きカードを持っていたので、頼んで手にれた。逆ポーランドという算法を用いており、慣れると使いやすい。レジスタ(スタック)、 x, y, z, t   と Last x を持っている。レジスタに入っている値に、演算を行うことで計算を実行する。 例えば、 1+2 を計算することにする。まず、“ 1 ”を入力する。これは、レジスタ x に入る。次に、 Enter キーを押す。これにより、レジスタ y にレジスタ x の値がコピーされる。次に、“ 2 ”を入力すると レジスタ x の値が 2 になる。最後に、“ + ”を押すと、レジスタ x とレジスタ y の値が足されて、レジスタ x に“ 3 ”と表示される。日本語の言葉の順序、「 1 に 2 を足す」というように演算(動詞)が最後になる。レジスタ y には、レジスタ z の値が降りてくる。レジスタ z には、レジスタ t の値がコピーされる。使った値は、消えるのでレジスタを有効に使える。レジスタ x の消えた(演算前の)値は、 Last x キーで復元できる。 内臓関数もかなり揃っている。プログラムも操作手順をそのまま行えば良い。ステップ数は最大 49 であるものの、これまで、少ないと感じたことはない。表示が赤色の発行ダイオードであり、明るくて見やすい。プログラムの実行中に、この点滅が見ていて楽しい。電池は、充電式のニッケルカドミュウム(松下製)が付いていた。長く使っているうち、その補給が心配になったので、ニッケル水素電池を秋葉原で単体で買って、ケースに入れて使うことにしていた。その後、汎用単 3 充電池(エネループ)を使えるように細工した。 最近、ブログを書くために、整数の演算を行う必要があり、久しぶりに使うことにした。ところが、手動計算は動くのに、プログラムを動かすと不安定になる。電池パックを外してみると、電池に接触する電卓側の金属バネ板が取れており、外部電源をつないでも、内部の充電回路のみでは、供給電圧が低いことが分かった。そこで、九大在職中に買って、一度も使ったことがなかった、 HP48G のことを憶いだした。手動計算は、同じであるものの、

9の倍数の不思議な性質

東京に転勤(出向)していた息子一家の社宅に、一昨年、泊めてもらった時の出来事である。孫娘(当時小学 2 年)が、私に、掛け算の九九の九の段のことで質問してきた。掛け算の結果の一の位の数と、十の位の数を足すと全て 9 になるのはどうしてかというのである。確かに、 9 × 2=18 、 9 × 3=27 、 9 × 4=36 、となるので、言っていることは正しい。おもしろいことに気がついたねと褒めたら、実はママが言い出したと答えた。私は、しばらく考えたが答えられなかった。ゆっくり考えるから時間をくれと言い、その晩は寝た。明け方に、布団の中でいろいろ考えた結果、式を使うことで分かった。 n を 1 から 9 までの整数とする。 9 × n = (10-1) × n = 10 n – n =( n -1) × 10+10- n と変形することで、説明できる。ママはすぐに理解してくれた。ただし、孫娘には無理である。そこで、 9 × 1= 9 から始まって、一の位の数は、 1 つずつ減るのに対して、十の位の数は 1 つずつ増えるから、いつも足したら 9 になると説明した。 ママも孫娘も「じいちゃんはすごい」と褒めてくれた。私は言った。「偉いのはママだよ。算数は問題を解くよりも面白い問題を見つけることが大事だよ」と。 以上のことを、最近、ブログに載せようとしているうちに、 n が 10 以上になるとどうなるかを確かめてみた。一の位、十の位、百の位の数を足すと、たいていの場合、足すと 9 になる。例外は、 n = 11, 22, などの場合である。ただし、 9 にならない場合でも、 9 で割り切れる数になる。 一昨日、孫息子の誕生日の祝いを言うのに電話したおり、息子嫁(ママ)に、このことを話した。そしたら、またも彼女は、 11 × 9 = 99 の時に、 十の位と一の位を足すと 18 なる。そして、もう一度これをやると 9 になるといってきた。我々、 3 人(孫娘はどれほど分かったのか疑問)は、またの不思議に驚いた。 例を挙げておこう。 987654321 × 9=8888888889 各位の数を足すと 81 である。 81 の十の位と一の位を足すと 9 になる。次の例でも同様である。