NHK番組 独占告白 渡辺恒雄〜戦後政治はこうして作られた を観て


NHKで放送したのを録画しておいて観た。私は、事前知識として、読売新聞の親玉で、保守独裁者風の男という程度しか持っていなかった。出だしから興味深かった。東大(哲学科)で日本共産党の細胞(支部)のリーダーだったそうだ。後に除名された。党のやり方が、全体主義的で個人の自由をおろそかにすることに疑問を感じ、党の方針に反した行動をとったことが原因だと説明していた。終戦に近い頃、軍隊に取られ、2等兵としてひどくいじめられたそうである。戦争に反対していることは、番組をとおして話していたと思う。ちなみに、軍隊にいるときに、カントの「純粋理性批判」(岩波文庫)を持ち込んでおり、ボロボロになったその本を見せた。

読売新聞社に入社(ネットで調べるとあちこちで落とされている)し、週刊読売に配属される。共産党の山村工作隊の取材記事が最初のスクープ記事であり、これが、当時のトップであった、正力松太郎に認められ、政治部に配属換えとなる。この時の取材時の話に驚いた。私が昔、大学卒業して会社に入社しての間もなく読んで、今まで印象に残っている本、「生きることの意味:ある少年のおいたち」(ちくま少年図書館)の著者で、名前もしっかり覚えている男、高史明、が実際に取材を受ける場面が現れたからである。この本を買ったのは、今思い起こすと、同シリーズの本、「人が生まれる 五人の日本人の肖像」(鶴見俊輔)と、「こころの底をのぞいたら」(なだ いなだ)を買った時に見つけたものと思う。このブログを書くために本棚を探したものの、いづれも、みつからなかった。おそらく、甥っ子にくれたようだ。「生きることの意味」で、母親が離縁して家をでたときと、泥棒に入られたときの描写は、今でも覚えている。高は渡辺の取材の時に、命を助けてくれた恩人だそうだ。奥多摩のアジトに入った時、共産党の党員たちは、彼を殺して埋めてしまおうとした。これを止めさせて取材に応じたのが高であった。

次に印象に残った場面は、岸信介内閣から池田勇人内閣になった顛末である。実は、岸の次の総理大臣には、大野伴睦がなること、及びその後の数人を決め、当事者の密約として決まっていたそうである。番組では、密約書類(本物かどうかは不明,児玉誉士夫が保管)が映されていた。この約束が反故にされたそうである。渡辺は当時、大野の番記者であり、他社の記者よりも深く食い込んでいたようで、そこでの彼の発言は真実味がある。

NHKの取材者の質問に答えて、政治記者としての心構えに触れた部分に、私は引っかかった。政治家から重要なことを聞き出すためには、相手のふところ深く入りこんで、人間関係を築く必要があると述べたのち、そのためには、書くなと言われたことは書いてはならないと話したところである。これは、報道精神に反するのではなかろうか。国の今後に大きな影響を与える案件であれば、知りえたことは、国民に伝える義務があろう。これに目をつむり、そこそこの情報のみを、他者に先駆けて取材して報道すれば、勤めている新聞社の中では、高く評価され、出世できるだろうけれども。

以上のことは、毎日新聞の記者、西山太吉(彼も取材を受け登場した)の話題と相容れない。西山のスクープは、日本とアメリカとの軍事同盟での密約を暴いたことである。彼は、その情報を、外務省勤務の女性と個人的に親しくすることによって(裁判では「情を通じて」という表現が使われた)得た。このことのみに世間の注意が向いた(あるいは誘導された)。渡辺は、この裁判のときに、西山の証人として弁護している。渡辺は番組で言う。「記者はどのような手段であり、入手した大事な事実は国民に報道する必要がある」と。

以下、その他、異議を感じたことを述べる。自由党と民主党の合同がなって、自由民主党がなった頃について、話したところである。選挙が近くなって、記者の渡辺の目の前で、新聞紙に包んだ現金が、各議員に手渡されたと話している。この時に配られた現金には、米国(CIA)からのものが含まれていたことを、私は誰かの本で読んで知っている(保坂正康、半藤一利、内田樹、白井聡の誰かと思う)。この金について、NHKの取材者も渡辺も言及しなかった。米国からの金は、冷戦対策の一環として、黒幕、例えば、児玉誉士夫を通じて渡されているそうだ。自由民主党の誕生にも米国の意図が働いていると想像できる。

渡辺が93歳になっても、読売新聞の主筆になって現役でいることにも、私は違和感を覚える。取材は、新聞社の彼の部屋(かなり広い)で行われたと思う。なぜ、この歳になっても、権力のある仕事をしなければならないのであろうか。ネットで調べてみると、彼は、早くに父親に死なれている。母親は子供の頃の彼に、叔父(母親の兄か弟)のように立派な男になれと、励ましていたそうだ。その教えを死ぬまで達成しようとしているのかもしれない。このような話は、占領軍のトップだった、マッカサーについても語られていることを本で知っている。母の日に当たって書く。「母親の教えは強い」。

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