「知性の罠」

 

「知性の罠」 

 著者はD. ロブソン。 日経ビジネス文庫 20254月。 「The intelligence trap-なぜ賢い人ほど愚かな決断を下すのか」、日本経済新聞出版 20207月を文庫化したもの。私のブログをいつも読んで感想を述べてくれる、娘ムコが読んだものを貸してくれた。著者はケンブリッジ大学で数学を専攻。雑誌の特集担当編者を経て、科学ジャーナリストとして独立。最初印象はハウツー物に近いと感じた。しかし、読み進めると面白くなり、一気に読んだ。 語り口と話題の提示の仕方は、雑誌編集の経験が影響しているらしく、事実を次々に上げて、論を進めるので読者にアキさせない。ここでは、本の内容を適当に選んで紹介し、 これに加えて、私がこれまで感じを考えて来たことを書く。 

 

最初知能指数 (IQ: Intelligence Quality) の話である。知能テストを受けた方はどれくらいいるだろうか。知能テストの例題として、次をあげてある。

ジャックはアンを見ており、アンはジョージを見ている。ジャックは既婚だがジョージは違う。 ここで、

  問題: 1人の既婚者が1人の未婚者を見ているのか 

「イエス」「ノー」、「判断するのは十分な情報がない」のいずれかを選べ。 

  正解はイエス。 私は最後を選んだ。本にもたいていの人はこのまちがいを犯すとある。 皆さんはどうですか。ヒント: アンは未婚か既婚か知らされていない。そこで、それぞれの場合について、考えてみれわかる。 

 

IQ 試験で高得点を得た人々が、その後の人生でたいした業績を上げていないことが紹介される。私は高校のときに一度、会社の人事研修で一度受けた。どちらも、たいした成績ではなかったはずだ。私の印象では、何かパズルを解かされている気がした。例えば 、詰め碁の問題、あるいは、幾何の問題に近い。人間の知性のごく一部を計っているだけで、そんなに重要視しないで良いと思ってきた。 IQテストは、大学入試にも近い気がする。ただし、入試は一度、習った ことを試している。

 

会社を辞めて、九工大、九大、その他の大学で講義の雑談でよく話した。

「君たちは東大にはたとえ受けても合格しなかったはずだ。しかし、気にすることは無いよ。入試は、短い時間で、あらかじめ決まっている正解をまちがわないで答える能力を試しているだけだ。実際の仕事では、時間は相当あるし、間違ってもそれに気づいて訂正すればよい。さらには、正しい解答が無いこともある。 だから、東大に行かなかったから、たいした仕事ができないと思い込むことは ない」。

 

この本が言わんとすることは、東大入試をIQ試験に変えているだけだと思う。 知性が高かった人物の限界の例として、コナン・ドイル (シャーロック ホームズシリーズなどの推理小説作家) を上げている。小説家として名声を得たけれども、降霊術 (彼の奥さんが術士) を信じて疑わなかった。彼を尊敬していたある心理学者は、奥さんの降霊術のウソを見破った。

 

アインシュタインも上げられているのにびっくりする。彼が量子力学を最後まで理解できなかったという話は有名だ。彼は、量子力学を批判する際に、「神はサイコロを振らない」と言った。 この言葉に違和感はない。しかし、著者は、すぐれた科学者であるアインシュタインが、量子力学と相対論の統一理論を完成させようとしている時に、「神の御心に委ねられている」、「神の考えそのものを知りたいのだ」 と書いたことを批判している。さらには 「共産主義を支持していたので、旧ソ連のさまざまな過ちに 目をつむりつづけた」とも書いている。 

 

エジソンは、直流送電に最後までこだわったと批判される。アップルの共同創業者 S. ジョブズは、膵臓癌と診断されたとき、主治医の意見を無視して、ハーブ療法、スピリチュアル治療、果汁中心の厳格な食事療法など、いんちきな治療法に走ったと書かれている。 その他にも、専問家がその専門領域でまちがいを起こす原因を紹介している。それは、「近視眼的自信過剰」である。 

 

知性の罠に落ちるのを防ぐには、「知的謙虚さ」、「心の広さ」、「穏やかで冷静な知能」、「根拠に基づく知恵」、「他者の視点も考える」、「オープンマインド (open minded)」、「自己との距離症化」などの概念が書かれている。 

 オープンマインドについては 、日本人は褒められている。 若いときに、すでに、年配のアメリカ人と同じくらい 「成人の判断力」を身につけていると書かれているのだ。すなわち、「第三者の視点」で考えることができ、反対意見に柔軟に対処対できるとある。私はにわかには信じがたい。 理由として 、「日本における自己は常に変化する関係で決まり、それゆえ、個人が絶対的自己を主張する固定的起点がない」としている。こう言われれば、納得できる。要するに、他人を気にして、自分 の考えを持てていない。他者に開かれた心 (open mind) は良し悪しである。

 日本人が誉められているところは、まだある。ミシガン大学の大学院生だったスティグラーは、仙台の小学校での授業を参観していた。立方体の描き方を習っていた。 先生は一番できの悪い図を描いた生徒を指名して、それを黒板に描かせた。スティグラーは、これを見て、有益な演習ではなく、見せしめではないかと思った。欧米の文化では、子供の誤りをこのように人前で上げるのは考えられない。

 日本を含めて東アジア諸国は機械的な暗記型学習や規律を重んじ、相像力、自立的思考、それに子供自身の幸福を犠牲にしているのでは、と考えられていたそうだ。私も、日本の下手な先生はそのような授業をしていると今でも思っている。 

 しかし、著者によれば、これは事実無根であり、日本の教育方法は優れた論理思考の原則 (知的謙虚さに基づいていると誉めてある。 

 

 大学での授業で私が心がけたことは、大半の学生が分ってくれているかどうかを確かめることであった。授業中に学生にあてて質問し、答えさせた。まちがっているときには、全員に正しいか否かを言わせた。私に当てられた学生には気の毒と思ったけど、「人間だれしも間違いはある」と常々強調していたので、 そんなに傷つけなかったと思っている。 

 しかし、このくせはあまり評判が良くない。学生の授業でもないのに、私がすでに分かっている問題に対して、唯かれ構わず質問して、後で正解を教えるやり方に、カミさんを含めて 何人もから、「意地が悪い」と文句がでた。私としては、「 疑問を持つこと、そして、考えることの大事さ」を、例をとって伝えたいだけだ。 しかし、相手には余計なお世話なのだろう。 

 

知性の罠を避け、優れた業績を上げた人物が何人か紹介される。まずは、リッティーという名の少年である。自宅の研究室 (暖房機、蓄電池、電球の電気回路、 スイッチ、抵抗器などがあるのみ)で実験を楽しんでいる。最初の作品は盗難警報器で、自分の部屋に両親が入ったらベルが鳴る仕組である。彼のIQ値は 125であった、たいしたことはない。 リッティー学び続けた。百科辞典をむさぼるように読み、10代前半から 数学の入門書を独学で学んだ。高校に進むと物理クラブに入り、 代数トーナメントに出場した。ニューヨーク大学が主催する数学選手権では、ニューヨークのあらゆる学生を抑えてトップに立った。翌年にはMITに入学した。彼のフルネーム、リチャード・ファインマンである。 あの有名なノーベル物理学賞受賞者である。 唯かが 「ファインマンの思考の深さは最高の魔術師のレベル」と書いているそうだ。 彼の興味は物理学にとどまらないことは良く知られている。何事にも偏見なく知識を追い求めた。小学生の頃、ラジオを修理して小づかい稼ぎをしていたことは、私も知っている。そして、スペースシャトル「チャレンジャ —」の事故究明の委員会 の委員として、 大きな貢献をしたことも私は知っていた 

 

著者はファインマンの成功の要因として、「好奇心の強さ 」を上げる。子供の頃からの好奇心については、私も自負している。 好奇心 については、次にダーウィンが上る。 

 

この本では、その他の多数の事柄例が紹介されている。 その中には、集団としての「知性の罠」も含まれている。 IQ 指数の高い人々のみで構成される集団がかえって、低い成果しか得てない事例がたくさん紹介されている。その理由は、異なる意見が尊重されることが少ないことだ。優秀な人が多いと特にそうなる。 スポーツについても、チームとしての成績が問題である。 サーカーやバスケットなどはチームプレイが大事なので、スター 選手をたくさん集めると、かえって成績が落ちると書いている。野球は個人プレーだから、その問題は少ないと書いてある。しかし、私は賛成できない。 昔、巨人軍は、他の球団から4番打者をたくさん引き抜いて チームを作った事があった。しかし、成績はたいしたことはなかったではないか。 

 

頭の良い (学業成績という観点から)人間を集めた組織が上手く行かなったのは、先の戦争における軍の参謀本部を指摘したい。軍の大学校での成績が上位の順で、参謀本部に集められていた。学校の成績は、前に書いたように、短時間で正しい解答を書く、筆記試験が重視される。そして、正しい答は、試験問題作成者の意に沿うものが求められる。これは、「付度」に近く、実際の問題の解決にそのまま役に立つことは少ない。ただし、組織の中での出世には、役に立つ。 

  昭和の戦争において、軍部は、新しい強力兵器の必要性を感じていた。そのためには、科学的才能の人材が求められる。そこで、理科・算数 (数学) に優れた青少年たちを選り集めて特別な教育を行った。しかし、その結果はたいしたものではなかった。

  多分、小泉首相のときだったと思う。今後、日本人のノーベル賞受賞者をさらに多くすると宣言した。その後、どうなったかは知らない。私は、例え、金を使っても無駄だったと思っている。 ノーベル賞級の学問成果を出すための特別な秘策があるとは思えないからだ。 

 知性の高い研究者に提案をさせて、誰かが評価、選考して、大金を与えたところで、独創的な成果が出ることは、まずないであろう。研究者の好奇心にまかせて、自由に研究させる環境を満遍なく与えることしかできず、またそれが最善である。ところで、最近、大学における研究状況は大変なことになっているようだ。予算が選択と集中で割り振られ、多くの研究者がカネ集めに精力を削がれ、研究をじっくりやれる環境ではないようだ。

 

本題に戻る。この本がハウツー物と違うところは、学問、あるいは、研究成果を大事にし識論していることにある。 知性の罠には 心の問題がかかわる。私が喜んだ個所の1つには、A. ダマシオの 「ソフテックマーカ —仮説」が紹介されている。この仮説は、私はすでにブログに書いた。 「新しい発想の着火点、あるいは、まちがいに気付く」には、 身体が絡む直観の大事さを指摘している。例として、昔、マクドナルドをそのまま買収したセールスマンの話が出る。 

 

最後に、この本について物足りなく感じたことを書く。「知性の罠」を避け、さらには、新しい問題解決策を考え出すための、心がまえについて抜けていることがある。それは、私の永年の経験によれば、「本質を見分ける姿勢と努力」が大事だということである。 いわゆる 「知性ある人々」も、問題の本質を探る姿勢に乏しいように思える。そのためには、「開かれた心と考え」は 必要である。ただし、それだけではなく、それを用いて、本質は何かどこにあるかを問い詰めなくてはならない。 

 ただし、 このような姿勢は日常生活の問題においては、理想論だとして非難されることがままあることを、指摘しておきたい 

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