保阪正康 近現代史の著作家

この人の著作は、だいぶ前から読んでいる。昭和の戦争について知りたいと思ったことが動機である。もう一人の著述家、半藤一利と並んで私の気に入りの作家である。語り口のうまさでは、半藤一利が少し上かもしれない。しかし、物事の本質を見抜く力量では、保阪正康がより優れていると私は見る。前者は(東大卒の)文藝春秋の編集者、後者は(同志社卒)の朝日ソノラマの記者だった。保阪正康は、戦争体験者の声をコツコツとじかに聞いて、戦争の実態を解明する手法から始めたようである。東条英機の奥さん、参謀本部の瀬島龍三、堀栄三大佐などの面会を元にした、記録が印象に残っている。瀬島龍三は、シベリア抑留に関わり、東京裁判のロシア側証人となり、戦後は、伊藤忠会長、中曽根康弘元主将の顧問などをした男である。保阪は批判的に書いている。戦争の実態をよく知っているのに、戦後、国民に真実を知らせることを拒んだようだ。瀬島龍三が死亡した時の新聞記事で、保阪はそのことをやんわりと批判している。堀栄三大佐が台湾沖海戦での戦果を疑問視する電報を鹿屋基地から参謀本部に送ったのを、瀬島龍三が握りつぶしたと、保阪が書いてあることを知っていたので、この記事が私の印象に残った。 最近、テレビシリーズ番組(BS –TBS)「関口宏のもう一度!近現代史」に登場しているので、毎回録画して観ている。幕末から始まっているので、参考になる。番組の要所に、保阪memoをまとめているが本質をついている。この番組を元にして、本質部分を書物にまとめて欲しいと思っていた矢先、保阪正康、「近現代史からの警告」講談社現代新書、として出た。物事の本質に迫る方法論(演繹と帰納)、学会(Academism)と報道(Journalism)の関係などにも言及している。 このブログを書くにあたりWikipediaで調べたら、中学生だった息子が、学校でのいじめにあって自殺したことが書かれていた。保阪の本を読み始めた頃、彼の父親は関東大震災の時に暴行を受けたと書いていた。父親は関東大震災のおり、横浜で医者をしており、道筋で壊れた建物の下からけが人を助けたそうだ。助けた相手が朝鮮人だったので、なぜ助けたかと周りの日本人から殴られたそうだ。これが原因で耳が悪くなり、聴診器を使えないので、医者をやめて高校教師になったそうである(私の記憶)。 保阪正康の著述に迫力があるのは、このような体験をして、人間がどのように考え行動するかを突き止めたかったからかもしれない。戦争になれば、事態はもっとひどいことになる。事態が起きた時に最も被害を被るのは弱者である。保阪正康は弱者の無念を晴らすとともに、今後の愚行を防ぎたいと思っているのだろう。

コメント

このブログの人気の投稿

数学論文投稿 (電子情報通信学会 9度目の拒絶と10回目の投稿)

日本数学会への論文投稿(続き)

数学論文投稿(電子情報通信学会 8度目の拒絶と9度目の投稿)