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初めてのヒラマサ釣り

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今度の釣果               手前が私の船(定員:8名) 10月の中旬から2週間ほど、五島の奈留島の実家に帰っていました。今回の目的は、ヒラマサ釣りです。台風がたて続けに来たので、船を降ろすことができず、ヤキモキしてました。もっぱら、堤防からの釣りで、ムツを釣っていた。例年だとカマスが回遊してくるのだけれど、島のどの湾にも魚影が少ない。それで、これを追ってくるヒラマサもあまり釣れていない。 低気圧が来る前の日に、波がおさまって、朝6時半に出港した。今回、船を出したのはこれが1回のみである。ネットで情報を仕入れたヒラマサ釣りの仕掛けとして、年寄り向けの、light slow ジギングを用意した。湾の外に 出て、いつもタイラバ仕掛けでハタを釣る場所を選んだ。シャクっていて、何回目でいきなりこれまで感じたことが無い強い引きが来た。慌てて竿をたて、リールのドラグ締めた。ほどなく、バレた。リールを巻いて確かめてみると、ステンレス製のスナップサルカンが壊れたのか、仕掛けと一緒に無くなっていた。 ヒラマサなどの青モノは横に走ると聞いていたので大きなハタだったのだろうと思っていた。サルカンはやめにして、仕掛けはリングに直付けにした。 新しく投入して、誘っていたら、きた。今度はドラグを調整しながら、慎重にやり取りをした。竿が弓なりになる。必死に少しずつ巻き上げる。あまり横には走らず、途中で何度も首を振って抵抗する。大きな真鯛のような引きである。上がってきて魚体が見えた。銀色で長い。ヒラマサと確信した。タモを手に取っていると最後の抵抗で、ドラグ力を超えて、pe(ポリエステル)製の糸が激しく出て行き、指先が摩擦で痛くなった。釣り上げたのが、写真にある大きい方である。計ってみたら、ちょうど4キロであった。その後、小さい方の一匹がかかった。また、同じ仕掛けで、オオモンハタ(地元ではモアラと呼ぶ)を上げた。写真にある、丸い模様がある茶色の方である。その後、当たりが無くなったので、いつものタイラバ仕掛けで釣った。小さい方のオオモンハタと、赤い色のアカハタ(地元ではアカンジョ)を3匹(地元では大きな魚はコンと数える)上げた。アカハタは、昔は、男女群島にしか居なっかそうである。近年の海水温の上昇で、五島でも釣れるようになった。ちなみに、地元では、ハタの仲間で

今年の芥川賞

小説を読まなくなってから久しい。最後に、本を買って読んだ小説は、井上ひさしの「一週間」だと思う。その後は、(朝日)新聞連載小説として、宮部みゆき、吉田修一(高校の後輩)、および、夏目漱石の復刻シリーズを読んだ。また、昨年と今年の芥川賞作品は、文藝春秋に掲載されたものを読んだ。これは、同賞が掲載される 9 月に、たまたま、2年続けて入院したおり(前立腺癌の経過観察)、娘が暇つぶしのため、買ってきてくれたからである。どちらの作品も作者の名前は忘れてしまった。題目は、昨年が「コンビニ人間」、今年が、「紫色のスカートの女」である。 娘が読後の感想として、昨年と今年とでどちらが気に入ったかと聞いてきたので、どちらかといえば、昨年の「コンビニ人間」と答えた。「紫色のスカートの女」は、手法の新しさは認めるものの、才能に任せて書いた娯楽小説のような印象を持ったからである。作者が書きたいという意思は、「コンビニ人間」の方が勝っていると感じた。娘には、画家でいえば、ピカソとゴッホの違いかなと付け加えて言った。 一番、興味を持てたのは、今年の選者たちの評である(今、確認すると、小川洋子、高樹のぶ子、奥泉光、山田詠美、島田雅彦、川上弘美、宮本輝、吉田修一、堀江敏幸である。こんなにたくさんいたのには驚く。こんなに多いと、評価が平均的になってしまわないかと、気になる)。高樹のぶ子は、 18 年間続けた選者を今年で降りたそうである。彼女は、辞めるにあたって、芥川賞とその選考についての感想と思い出を、 6 ページにわたって書いている。彼女が選考委員を辞める気になったのは、他の選考委員達との評価意見の違いだそうだ。昨年の選考会で、「コンビニ人間」にたくさんの票が集まったのに対して、彼女はこの作品を理解できなかったと書いている。 今年の選考会でもそうだったのではないかと私は思う。 世の中に付いて行けなくなっているのは、私もである。つい先日、 74 歳になってしまった。文学作品はどうでもよいとして、政治や経済の動きと、その時流に乗っている人達の考え方や行動は、どうしても納得できない。高樹のぶ子は、余生を作家活動に当てるそうである。頑張って欲し

ある猫の死

私は猫は好きでない。どちらが好きかと聞かれたら犬と答える。 その猫とあったのは、3〜4年前の夏の日であった。五島の奈留島にある生家に帰っていた。今では誰も住んでいないので、定年後の趣味の釣りを兼ねて、家に風を入れるのと庭の手入れのために、2〜3週間の予定で、春、夏、秋と少なくとも年に3回は訪ねている。 その猫はまだ大人になっておらず、また、ひどくやせていた。実家に来て間もなく、庭に出てみるとその猫が近づいてきた。おまけに、私の足に体全体をぐりぐりと寄せる。どうやらかまってくれと言っている。私も一人でこの家に滞在しているので、寂しくないといえば嘘だ。最初は少しかわいいと思った。 私が実家に帰ると必ず、何匹かの野良猫がやってくる。特に釣ってきた魚をさばいている時に。たいていは追い払う。野良猫はすばしっこい。刺身用におろした身を、今まで何度か持ち(咥え)逃げされされている。大事なところを取られるよりはと思って、頭やハラワタを投げ与えることもある。 今度の猫は全く違う態度である。まだ、小さいので甘えていると思った。よっぽど、エサをやろうかと思ったけれども、止めた。私が餌をやったら、この猫はその時には嬉しいだろうが、私はすぐにいなくなる。甘やかしたら、その先、自分で餌を見つけて食っていく技を習得するのに、よくないと考えたからである。次の日も同じように私に近づいてくる。私は前よりも邪険に接する。 実家の隣には初老の夫婦と息子が住んでいる。その当時、猫を7〜8匹飼っていた。息子さんが猫が好きで、捨て猫をかわいそうだといって拾ってきて世話をしている。猫たちの餌も兼ねて、仕事の合間に波止場に釣りに行っている。その息子に、今話している猫のことを話した。彼は、あの猫は多分、だいぶ大きくなってから捨てられたのだろうと言う。だから、人なつっこいのだろうと。彼の飼っている猫の一員になれないのは、そこそこ大きくなっているので、元からいる猫(たち)が受け入れないのであろう。 その猫に邪険する日が続いたある夜のことである。一人での晩飯と酒を済ませて、久しぶりに皿洗いも直ちにやり終えて、外の風に当りに出た。家のすぐ前に海水浴場が整備され、子供達が飛び込む為の突堤まで作られている。この突堤の先端に出て、高くなっている台地に寝そべって夜の空を見上げるのが好きである。その夜は、海が

自分が納得のいく成果を

自分が納得のいく成果を https://www.jstage.jst.go.jp/article/bplus/2008/4/2008_4_4_20a/_article/-char/ja/

私のコンピュータ体験

九州工業大学 情報工学部計算センターの雑誌に投稿したものです。 私のコンピュータ体験

物事の本質を訪ねて

 大分大学での最終講義のスライドです   物事の本質を訪ねて https://drive.google.com/open?id=1_OfoZxnUGO3-npJOo0GYjn6h9GOhDnQl

書評:前方後円墳: 巨大古墳はなぜ造られたか、Amazonへ 投稿

古代史の研究において、ある出来事の年代を確定することは重要である。特に、金属や石に刻まれた年代は、その他の年代決定の基準になるので、その確定は古代史の真実を知るための根幹となる。この本の中でも述べられている稲荷山古墳出土の鉄剣に刻まれている辛亥年は最も重要であろう。編著者の吉村武彦は、何の根拠も示さずに西暦471年と書いている(p187)。一方で、韓国の研究者、申 敬澈は古墳発掘土器の編年を元に、これに疑問を呈し、6世紀前半(531年)と指摘している(p243)。重要な論点について、同じ本の中でこのように異なる見解が書かれていることについて、編著者が無頓着であることが不思議でならない。研究において、論点の重要性の軽重を意識していないのだろうか。私が属している理工系の学会などの書物では、このような事態は考えられない。すぐに活発な議論がおこり、真偽が確かめられる。新しい重要な事実は、研究に革命を起こすからである。この辛亥年については、在野の研究者であった、故 石渡信一郎が、古くから531年と主張していた。ただし、主流の研究者からは無視されているように思われる。私は、専門外ながら、彼の論の展開は説得力があると思う。古代史の研究者の研究執筆態度には前々から、疑問を感じていたので、この本を読んだ機会をとらえてここに述べさせていただいた。赤岩 芳彦