ある猫の死

私は猫は好きでない。どちらが好きかと聞かれたら犬と答える。

その猫とあったのは、3〜4年前の夏の日であった。五島の奈留島にある生家に帰っていた。今では誰も住んでいないので、定年後の趣味の釣りを兼ねて、家に風を入れるのと庭の手入れのために、2〜3週間の予定で、春、夏、秋と少なくとも年に3回は訪ねている。

その猫はまだ大人になっておらず、また、ひどくやせていた。実家に来て間もなく、庭に出てみるとその猫が近づいてきた。おまけに、私の足に体全体をぐりぐりと寄せる。どうやらかまってくれと言っている。私も一人でこの家に滞在しているので、寂しくないといえば嘘だ。最初は少しかわいいと思った。

私が実家に帰ると必ず、何匹かの野良猫がやってくる。特に釣ってきた魚をさばいている時に。たいていは追い払う。野良猫はすばしっこい。刺身用におろした身を、今まで何度か持ち(咥え)逃げされされている。大事なところを取られるよりはと思って、頭やハラワタを投げ与えることもある。

今度の猫は全く違う態度である。まだ、小さいので甘えていると思った。よっぽど、エサをやろうかと思ったけれども、止めた。私が餌をやったら、この猫はその時には嬉しいだろうが、私はすぐにいなくなる。甘やかしたら、その先、自分で餌を見つけて食っていく技を習得するのに、よくないと考えたからである。次の日も同じように私に近づいてくる。私は前よりも邪険に接する。

実家の隣には初老の夫婦と息子が住んでいる。その当時、猫を7〜8匹飼っていた。息子さんが猫が好きで、捨て猫をかわいそうだといって拾ってきて世話をしている。猫たちの餌も兼ねて、仕事の合間に波止場に釣りに行っている。その息子に、今話している猫のことを話した。彼は、あの猫は多分、だいぶ大きくなってから捨てられたのだろうと言う。だから、人なつっこいのだろうと。彼の飼っている猫の一員になれないのは、そこそこ大きくなっているので、元からいる猫(たち)が受け入れないのであろう。

その猫に邪険する日が続いたある夜のことである。一人での晩飯と酒を済ませて、久しぶりに皿洗いも直ちにやり終えて、外の風に当りに出た。家のすぐ前に海水浴場が整備され、子供達が飛び込む為の突堤まで作られている。この突堤の先端に出て、高くなっている台地に寝そべって夜の空を見上げるのが好きである。その夜は、海がおだやかで水が澄んでおり、月が海の中まできれいに照らしている。突堤の付け根に来たところ、あの猫が波打ち際の岩の上に立っている。耳をピンと立てて身動きしない。魚が寄ってきたら、飛び込んで捕まえようとしている(と思った)。私は喜んだ。彼(あるいは彼女)は、野生に目覚めたのだと。ところが、翌日になると同じように私にまとわりついてきた。

10月になって再び実家に行った。このころになるとツワブキの花が咲き始める。「ツワブキの花が咲くとアラ(ハタ、クエ)が近場に寄ってくる」と、島に一人で住んでいて、4〜5年前に死んだ兄がおしえてくれていたので、10月には毎年行っている。船外機付きの中古の船を手に入れ、おいてある。実家は、船廻湾の一番奥に、海まで20メートルぐらいのところに建っている。船を30分ぐらい走らせて、湾の外の釣り場に着く。当初は、新しい釣り方であるタイラバという仕掛けで、アラが良く釣れた。大きくても、2〜3キロどまりではあるが、1日に7匹釣ったことがある。最近はあまり釣れなくなった。

話を猫にもどそう。夏にいた猫の姿が見えない。隣の家のあるじに、あの猫のことを聞いてみた。車にひかれて死んだということだった。何日か後に、ゴミ収集場所で、隣の家の息子と会い、あの猫の話になった。彼が言うには、彼の飼い猫たちに追い立てられて逃げるうちに、頭を石にぶつけて死んだそうだ。

今年の夏に、隣の家の猫は12匹に増えていた。5匹の集団できたそうだ。たぶん、特別養護老人ホーム(私の両親はそこで死んだ)がある、山のふもとあたりに、峠の向こう側の人が捨てたのだろうと、隣の家の奥さんが話してくれた。

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