「戦争はビジネスだった」
金田信一郎、「ヤバい会社烈伝」、第91回、保阪正康と近現代日本、ビジネスは戦争だ、全員玉砕せよ!」週刊東洋経済 、2025.8/9-16.
なぜ、日本はあれほど無謀な戦いに突入したのか。著者、金田はその答え(標題)を保阪正康の本「近代日本の地下水脈」を読んでいて知り、のけ反ったとある。(金田は以前、保阪の講演を聴いたことがあったそうな)。保阪の書いたことをさらに引用している。戦争とは「賠償金を得るための経済活動にすぎず、(中略)兵の命はカネを稼ぐために戦場で使い捨てにされたのである」。最初の戦争、日清戦争からビジネスだった。そして、国家予算の4倍もの賠償金を得た。次はロシアを相手に、かろうじて勝利をあげる。そして、満鉄の権益や樺太の領土を獲得する(私の注:ただし、国民は賠償金の少なさに怒って、日比谷焼き打ち事件が起きた)。第1次世界大戦にも参戦し、ドイツが持っていた中国などの利権を手にする。そして、得た金を「富国強兵」に投資する。これはビジネスサイクルだと保阪は喝破する。アメリカにもこのモデルで勝てる。いや、勝たなければ、ビジネスモデルが破綻するので戦争に負けるわけにはいかない。戦争に勝って利益をあげるためであれば、戦場の兵士の人命など惜しくはない。だから、国民を捨て駒のように使うことに躊躇がなかった。たとえ、沖縄が玉砕し、広島・長崎が原爆で焦土と化そうとも、と続ける。
明治政府は暴力によって誕生し、富国強兵が第一あった。そして、帝国主義を欧米から形だけ安直に導入した。 欧米では、商人が外国を開拓したのち、後から軍が乗り込んだ。しかし、日本はこれを逆にした。そして、政府が権益と大金を手にした。また、高級軍人は、日清、日露の戦争において、けっこうな恩給付きの爵位を手にし、運悪く死んだ軍人には、その家族に対して、たいへんな額の金で報いた。
ポツダム宣言の受諾を検討する御前会議で参謀総長はカネにこだわった。「日本は賠償金をどれほど取られることになるのか」と言ったのだ。それで、保阪は、日本軍は賠償金を獲得するビジネスとして戦争を行っていたのであり、軍とは「会社」であったのだということに思い至った。そして、現代にも日本軍と政商の水脈が流れると続く。これを受けて、金田は、「若い社員をボロ雑布のように使い捨てる」のもそのためだと続ける。
コラム 「ヤバい会社烈伝」は、これまで91回の連載である。数々の会社と組織を取り上げてきた。逆に優れた(最近の若者ことばではヤバい)会社 (私が憶えているのは3M社)についても書いてある。著者金田は、歴史家の保阪より刺激を受けて、日本の多くのヤバい会社は、元をたどれば、日本の明治維新後の日本の戦争のシステムを受けついだと、気付いた。そこでは、もともと兵士の人命を軽んじた。上級軍人は安泰な地位にいて、高い棒給を得るシステムだと言うのだ。それには、現在になって、とみに株主と上級幹部が重視され、社員が経視されるビジネス経営手法の風潮がヒントになったのだろう。
米国との戦争に負けた後、朝鮮戦争の特需、冷戦の始まりなどによる幸運があったおかげで、日本の経済、すなわち、会社のビジネスは大きな成功を得た。ビジネスマンには、アメリカに戦争に負けた仕返しを経済貿易で行ったという意識を持っていた人がいたと聞く。 確かに、日本の戦争はビジネスであり、日本のビジネスのやり方は、日本の戦争のやりかたを反映しているかもしれない。事実に基づく経営戦略(哲学)がなく、権力争いはあっても、同じ部局内では皆がかばい合って、指導者が責任を取ろうとしない会社がある。このようなことが起きた昭和の軍部が主導した戦争に負けたように、そのようなヤバい会社は、消え行くのみである。これは、現在の国家にも当てはまる。
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