麻田雅文「日ソ戦争」 - 帝国日本最後の戦い (中公新書2024)
4月25日初版、11月15日 8版、5万部突破。 著者は1980年(昭和55) 生れ、学習院大学文部部史学科卒業。まずは、帯に書かれている文章をそのまま紹介する。
日ソ戦争とは、1945年8月8日から9月上旬まで、満州/朝鮮半島/南樺太/千島列島で行われた第2次世界大戦最後の全面戦争である。短期間ながら両軍の参加兵力は200万人を超え、玉音放送後に戦闘が始まる地域もあり、戦後を見据えた戦争だった。これまでソ連の中立条約破棄、非人道的な戦闘など断片的には知られてきたが、本書は新資料を駆使し、米国のソ連への参戦要請から各地での戦争の実態、終戦までの全貌を描く。
加藤陽子: 日本軍の本質を描く決定版。本書は最も信頼でき、最初に手に取るべき本として、長く読み継がれていくだろう。
小泉悠: 本書を通読して実感するのは、政治指導者や軍人たちの酷薄さである。記憶の風化に抗おうとする本書の意義は大変に大きい。
「はじめに」の冒頭に次のように書く。
1945年8月8日、ソ連は日本へ宣戦布告した。
なぜ、ソ連は第二次世界大戦の終わりになって参戦したのか。
日本はなぜこの直前まで、ソ連に期待して外交を続けていたのか。
玉音放送が流れた8月15日以降も、なぜ日ソ両軍は戦い続けたのか。
章立ては次の通り
第1章 開戦までの国家戦略(日米ソの角遂)
第2章 満洲の発足、関東軍の壊滅、
第3章 南樺太と千島列島への侵攻
第4章 日本の復讐を恐れたスターリン
「おわりに」-「自衛」でも「解放」でもなく
日ソ戦争は、従来、日本側から見たら「自衛戦争」、一方ソ連から見たら「軍国主義」日本の「解放戦争」とされてきた。著者はこの見方を離れて、「アメリカが及ぼした影響、日ソ双方の勝因と敗因、現代とのながリ」を考える。
以下、私が気になったところを列記する。
1945年の時点で日本側は唯もソ連との開戦を望んでいなかった。むしろ、戦争終結の仲介をソ連に頼んでいたほどだ。
ソ連を対日戦に引き込んだのはアメリカだ。その張本人は、対日戦争早期終結のため、ソ連参戦を熱望したローズベルト大統領である
日ソ戦争は同時代の米英との戦いに比しても、さらに陰惨な印象を受ける。それには、ソ連そしてロシアの「戦争の文化」が関係している。すなわち、自軍の将兵の命すら尊重せず、軍規が緩い。これはウクライナ戦争でも確かめられる。
ソ連の参戦は米の要請に基づく正当なもので、アメリカの核攻撃よりもソ連の参戦が重要な役割を果している。
皆さんにこの本を紹介したいと思ったのは、内容もさることながら、著者の研究と執筆の心構えに共感したからだ。巻末の注記が、241か所もある。参考文献も多彩多量である。 例えば、未刊史料を求めて、次の箇所を訪ねている。
アジア歴史資料センター、アメリカ議会図書館手稿部、アメリカ国立公文書館、国会国立図書館憲政資料室、イギリス国立公文書館、ウィルソンセンター・デジタルアーカイブ、国史館(台北)、 国立公文書館(東京)、国立国会図書館憲政資料室(東京)、フランクリン・ローズヴェルト大統領真記念図書館・博物館、防衛省防衛研究所(東京)、友邦文庫(東京)ロシア国立社会政治史公文書館、ロシア国防省中央公文書館、ロシア連邦外交 政策公文書館、
特記すべきは、ロシア国防省中央公文書会所蔵 捕獲関東軍文書 27件 である。
その他の公刊資料も次のように、ロシア語公刊資料を含めて多数である。
日本語公刊資料 64件
中国語公刊資料3件
英語公刊資料15 件
ロシア語公刊資料 29 件
巻末はスターリン、ローズヴェルト、チャーチルによる、ヤルタ会談資料である。
ヤルタ秘密協定草案(1945年2月10日付)
セルタ秘密粉定(1945年2月11日調印) ソ連が対日参戦するにあたっての協定(機密)
日本敗戦を見越して、ソ連、米国、イギリスの外交の協力と駆け引きがわかる。
著者は、ロシア語を含む膨大な資料を読み解いている。「事実をして語らしめよ」とはまさにこの本のためにある。研究者・学者はかくあるべきである。加藤陽子(東大教授)も脱帽の思いで推薦文を書いたのであろう。新しい若い書き手、 麻田雅文の登場を喜びたい。
私が気に入ったことの一つは、歴史専門家ではない人々の体験談をたくさんのせていることだ。これは、ジョンダワーの「敗北を抱きしめて」を意識しているのかもしれない。目に付いたのは下記の人々。
赤塚不二夫、安部公房、五木寛之、李恢成、森繁久彌、細川護貞
日本人の専門家の著作で目に付いたのは、加藤陽子と半藤一利である。残念ながら、保阪正康は出ない
なぜ、シベリア抑留が始まったのか、3つの説が紹介されている。4つ目の説は、「関東軍がソ連軍に媚びて、労働力の供出を申し出たことがソ連への抑留につながった」という説である。この説は、定かではないが、私は保阪正康の「瀬島龍三」の本を読んで、関東軍参謀の瀬島が媚を売ったと思っていた。 ただし、これは近年の研究で否定的だそうだ。 それでもなお、私は、瀬島龍三は好きになれない。彼は、戦後になっても、自分と仲間の関係を大事にして知り得た不都合な真実を公にしない優等生の見本のような気がするからだ。
小泉悠の指摘は、毎度のことながら的を得ている。推薦文にある、「政治や軍の指導者の浅はかさ」については、私は日本のことかと思い込んだ。考えてみると、日本のみならず、世界の各地で今でもこの事実が確かめられる。歴史は学ぶことができる。しかし、指導者には(彼らを支持する国民大衆にも)たいして役に立っていないようだ。
この本で、ソ連ロシアを含む西洋の戦争の歴史と外交的駆け引きの激しさを改めて教えてもらった。第二次大戦における独ソ不可侵条約におけるヒットラーとスターリンの表と裏の駆け引き、日ソ不可侵条約は、スターリンの裏の思惑を知らずに松岡洋右が得意げに結んだことも歴史の事実である。
日本外交と昭和の戦争の失敗は、経験不足からきている。それにかえて、西洋諸国と中国は、戦争に明け暮れていて経験豊富だ。そもそも、日清、日露戦争に幸運にも勝ったことが今に思えば、影響しているはずだ。日清戦争では、当時の国家予算の4年半分の賠償金を手にしている。今の金額だと、500兆円ぐらい。途方もない額である。軍人といえども戦争は儲かると思い込んだであろう。実際に、軍需産業も含めて、儲かった人々がそれなりにいたはずだ、
歴史家の仕事は、過去の悲惨な出来事の原因を明らかにして、将来に備えるすべを考えるヒントを与える。著者が日ソ戦争の記憶が薄れていく今日、研究成果を本にまとめてくれた。感謝する。
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