五島から済州島 (道) への牛泥棒

済州島は五島の西北に位置する。距離は五島から長崎までの3倍ほどである。韓国経済の興隆にともない、リゾート地としても有名になった。私は国際会議のために3回は訪れたことがある。五島では済州島の話は昔から聞いていた。何年か前では、地元で漁師をしている同級生が海岸に打ち上げられて死んでいた海女さんを見つけたそうだ。警察に届けて、身元捜査が行われたけど、近隣からかの情報は上がって来なかった。韓国への問い合わせで、けっきょく 、済州島の海女さんであることが、歯形などで確認された。海流 (対馬海流) に流され、ウェットスーツを着ていたので、浮いたままで流れ着いたようだ。 子供の頃に、済州島の海女さんが五島まで遠征してきて、アクビ などの漁をしていたことは聞いたことがある。海の民が韓国沿岸、九州北岸そして、日本海沿岸 にかけて住み着いていたことは、最近のDNA研究でも明らかになっている。弥生時代の始まりの頃である。 私が今住んでいる宗像の近くにある鐘崎は、大きな船を持つ漁師がたくさんいる。最近までは、海女さんもいたと聞く。 

子供の頃、父親から聞いた話が、今回の題目である。父親がその父親に聞いた牛泥棒のことだ。五島の人が船で済州島に出かけて、牛を盗んで帰ることがよくあったというものだ。私は当時、ヘー と思ったけど、見たこともないそんなに遠い済州島までどっやって行けたのだろうか? 行けたとしても、住民がいるので、そんなに簡単に牛を盗めるだろうかという疑問を持っていた。ところが、最近、韓国の連続テレビドラマ「チャングムの誓い 」のある場面を観て、父親が私に話したことは、十分に可能ではないかと思った。 

チャングムは陰謀による事件にからんで宮廷を追われ、奴卑(ただし医者の見習いで医女と呼ぶ。医女が奴卑の身分とは今では考えられない)となり済洲島に流されている。何度も脱走を企だてて捕まる。その時に、役人が言った。「次にやったら、無人の牛島に追放する」。牛島は、済州島北東端に付随するいくつかの無人島のうちの一つである。私は「牛島」と「無人」を結びつけて、父親の言った方を考えてみた。恐らく無人の牛島には牛が放牧されていたのであろう。無人の島でも牛が繁殖するのは、私の実家がある五島奈留島のそばにある葛島で確認できる。 この島はかっては人が住んでいた。だいぶ前に集団で移住して来た。 

海の民の航海技術はかなりのものだっただろう。私の母の父親は 小さな帆掛け船で、五島の島つたいに長崎まで交易商売に出かけていたそうである。恐らく海産物 (アワビの干物など) 積んで行き、帰りには砂糖などの高価な品を持ち帰っていたのだろう。済州島まで行き、牛を積んで帰るには、そこそこの大きさの舟が必要であっただろう。私が想像するに、4丁ぐらいの櫓と帆を備えた船であれば、十分であっただろう。行きは風を待って、帰りは対馬海流に乗ればよい。五島の和牛は小型で、真黒な毛、角が短い。昔はたいていの家で農耕用に飼っていた。今ではほとんど見ない。例によって、五島牛のブランド名で、ずいぶんと高い値で売られている。牛泥棒の実際を確かめるための1つは、済州島と五島の牛のDNAを調べることだ。恐らく近縁であるだろう。 

「チャングムの誓い」はずいぶんと昔にも観た憶えがある。ただし、話のスジはほとんど忘れている。登場人物は不思識など記憶に残っている。その当時、高血圧での私の主治医の上園先生(九大病院(内科教授)時代から今でも)に、「チャングムの誓い」のことを話したことがある。チャングムは医女として、宮廷に復帰していた。 血圧測定の際の深呼吸のしかたとして、チャングムが王様に指示した呼吸法についてである。私がこの呼吸方法を試すと血圧測定の結果が安定したのである。先生は「チャングムはきれいな人ですね」と答えた。彼女も観ていたのである。先生も美人の女医さんである。

コメント

  1. タイトルがチャングムの夢、としてもありましたね

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    1. そいでしたか。もしかしたら、別のシリーズがあったのかもしれません。今回、私が観たの前のものと違うのかもです。

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