J.ヒッケル、「資本主義の次に来る世界」(東洋経済)

 

J.ヒッケル、「資本主義の次に来る世界」(東洋経済)

 1920年代に、アメリカのGE(ゼネラル・エレクトリック)を中心とした電球メーカが白熱電球の製造・販売に関してカルテル(企業連合)を結んだことを知っている人は少ないであろう。これは、この本の第5章に書いてある。平均で約2500時間だった白熱電球の寿命を 1000時間以下に短縮する協定を結んだのだ。効果は抜群である。売上げと利益が急増した。

気になったので、参照文献 (M.Krajewski,The Great Lightbulb Conspiracy, IEEE Spectrum,2014)に当ってみた。GEの他に、OSRAM (ドイツ)、イギリス、フランス、東京電機(東芝の前身)などが参加している。この事件は、映画にもなっている(Wikipedia)

フィラメントをタングステン金属線で作り、アルゴンガスを封入した当時の白熱電球の特許はGE(エジソンが創立した)が持っていた。企業がより高い利益を求めるために、このようなカルテルを結ぶことは古くから行われていた。資本主義の発展とともに、その影響が大きくなった。そこで、カルテルは法律で規制されるようになった。

寿命をわざと短くするのは、計画的陳化と呼ばれる手法の1つである。この手法は、もし、ある企業が独占的競争力を持っている場合には、他社を巻き込んだカルテルを必要としない。例えば、ナイロンストッキング、フォード社の自動車、アップルのIpodなどが知られている。最近のスマホは電池を交換できないので、電池が故障したら端末全体を買換えさせられる。

カルテルないし計画的陳腐化は、ひたすら資本の増殖をめざす資本主義の規範に従ったものである。ただし、これらは地球の資源を無駄に消費することにつながる。

この本の言いたいことは、資本主義はこのままでは、立ち行かなくなることである。全世界、特に、先進国における資源・エネルギーのあまりにも大きい無駄使いで、地球が壊れてしまうと言うものだ。このような主張は、これまで何度もなされてきた。ただし、この本の著者の主張は、他のものに比べてより説得的に、私には思える。

著者の言いたいことは、この本の原題 「Less is More : how degrowth will save the world」に表現されている。私がまとめるよりも、本の帯に書いてある宣伝文と、目次を示す方が適切だろう。

(宣伝文)

 本書が語るのは破滅ではない。語りたいのは希望だ。 どうすれば、支配と採取を軸とする経済から 生物界との互恵に根差した経済へ移行できるかを語ろう(本書:はじめに)。

 「少ないる」。 「アニミズム論」というかつてない視点で文明を読み解き、 成長を必要としない次なる社会を描く希望の書。 

   デカルトの二元論は「人間」と「自然」を分離した。 そして資本主義により、自然や身体は「外部化」され、「ニーズ」 「欲求」 が人為的に創出されるようになった。 資本主義の成長志向のシステムは、人間のニーズを満たすのではなく、「満たさないようにすること」が目的なのだ。  それでは、人類や地球に不幸と破滅をもたらさない、「成長に依存しない次なるシステム」とは何か経済人類学者が描く、かつてない文明論と未来論。

 

(目次)

はじめに  人新世と資本主義 

 

大量絶滅の時代に生きる 

エコ・ファクトの裏側 

永遠に続く経済成長という資本主義の幻想 世界中で高まる資本主義への反感 

脱成長によってもたらされるもの 

アニミズムから二元論、そして再びアニミズムへ 素晴らしい未来を垣間見る

 

 1  多いほうが貧しい 

 

  第 資本主義 - その血塗られた創造の物語

             封建社会を覆した忘れられた革命

上流階級によって叩き潰された平等主義の社会 

植民地化による「成長」 

人為的希少性というパラドックス 

二元論による人間と自然の分断 

身体という「資源」 

経済の「外」に存在する「安い自然」 

自然を打ち負かし、征服せよ 

 

       2 ジャガーノート (圧倒的破壊力)の台頭 

資本の鉄則 

投資家は成長を追い求める

資本は次の「解決策」を求める

私的な成長要求から公的な執着へ

成長という拘束衣 

むさぼり食われる世界 

植民地主義2.0 

21世紀に「限界」をどう考えるか

 

         3  テクノロジーはわたしたちを救うか

パリ協定の危険な賭け

BECCSが救世主とならない理由

1.5°Cをめぐる戦い 

グリーン成長は解決策となり得るか

つくり変えられる惑星 

グリーン成長という夢物語

 技術革新はエネルギーや資源の消費を減らさない 

リサイクルについては?

グリーン成長というディストピア 

「成長し続けねばならない」という絶対的な思い込み 

 

2部 少ないほうが豊か 

 

 4  良い人生に必要なものとは何か 

成長は進歩をもたらすか

GDP は人を幸福にできない 

成長のない繁栄

サウスのための公正さ 

イデオロギーからの脱却 

イノベーションは成長を必要とするか  

新しい進歩の指標が世界を正しい方向へと導く 

  ―ただし、それだけでは十分ではない 

 

  第 5    ポスト資本主義への道 

      大量消費を止める5つの非常ブレーキ 

 

ステップ1    計画的陳腐化を終わらせる 

ステップ2  広告を減らす 

ステップ   所有権から使用権へ移行する 

ステップ   食品廃棄を終わらせる

ステップ5  生態系を破壊する産業を縮小する 

 

仕事はどうなる

不平等を減らす 

公共財を脱商品化し、コモンズを拡大する

「豊かさ」が成長の解毒剤となる

債務を帳消しにする 

           新たな経済のための新たな資金

ポスト資本主義のイメージ

民主主義の力

 

  第6 すべてはつながっている

祖先の知恵 

アニミズムのエコロジカルな暮らし 

デカルトの敗北とスピノザの勝利

第二の科学革命が明らかにする人間と他の生物との関係 

ポスト資本主義の倫理 

少ないほうが豊か

 

 

目次から分かるように、多数の具体的な題目がつけられている。そして、すべての大事な主張には、根拠となる文献が示されている。書いてあることが、興味を引き説得的であるのは、著者が、事実を大事にして書いてあるからだろう。

 

著者は、南アフリカ生まれの経済人類学者と紹介されている。経済人類学とは聞いたことがない。調べてみると、人類学において、経済的な側面から研究を行う学問のようである。従って、経済学的な側面は薄い。それで、この本が読みやすのかもしれない。先の書評で紹介した、斎藤幸平、「人新世の資本論」は経済学を論じたものである。マルクスの「資本論」は哲学的な論考に特色があるとはいえ、人類学の観点からの議論は少ない。この本は、「人新世の資本論」の議論をより発展させたものだと私は思う。

  最後に、本の謝辞の最初と最後の部分を書き出しておく。

 

 

謝辞 

  次の物語は、仏陀が戒めとして語ったとされる。 ある夫婦が、幼い一人息子を連れて砂漠を越える旅をしていた。食料が乏しくなり、彼らは日に日に飢えていった。しかし、目的地に辿り着きたいという思いがあまりに強く、進路を変えることができなかった。 飢餓のあまり我を忘れた夫婦は、生き延びるために子供を殺して食べた。 やがて砂漠の果てに辿り着いたが、目的地は魅力を失い、我に返った夫婦は悲しみと後悔で呆然とするばかりだった。 

  わたしたちはここで何をしているのか? どこへ行こうとしているのか? それは何のためなのか? 人間が存在する目的は何なのか? 成長主義は、わたしたちが立ち止まってこれらの疑問について考え ることを、どのような社会を実現したいかを考えることを阻む。実のところ成長の追求は、考えること自体を拒むのだ。わたしたちは我を忘れ、あくせく働き、深く考えようとせず、自分が何をしているか、周囲で何が起きているかに気づかず、自分が何を、そして、誰を犠牲にしているかに気づかない。

  脱成長という考えは、私を夢から目覚めさせる。詩人ルーミーはこう記している。「座って、じっとして、耳を傾けなさい。あなたは酔っていて、私たちは屋根の端っこにいるのだから」

 

(途中省略)

 2012年の初め頃、グディ(私の注:著者のパートナー)とわたしは、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスのポール・クルーグマンによる公開講座に参加した。 当時はグレート・リセッションの最中で、 クルーグマンは、 メリカが再び成長するには政府による大規模な刺激策が必要だ、と主張した。 講座が終わり、歩いて家に戻りながら、 グディは、「アメリカは世界で最も富裕な国の一つなのに、これ以上GDPを増やす必 要があるのかしら」と尋ねた。「アメリカよりGDPがずっと低くても、重要なすべての指標がはるか に良い国はたくさんあるわ。 高所得経済は本当に永遠に成長し続けなくてはならないの? 何のため ?」わたしは、「健全な経済やその他諸々にとって成長は不可欠なんだ」という決まり文句を返した。 しかし、彼女の質問は、わたしを大きく揺さぶった。今も覚えているが、その後しばらく黙り込んでいる間に、わたしはただ教えられたことを繰り返しただけで、自分の頭で考えてはいなかったことに気づいた。その会話は、本書へと続く8年の旅の始まりだった。  疑問を持つことは、何より強力である。 

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