経済学 – 「人新世の資本論」を読んで –

 


書評に出ていたので、斉藤幸平のこの本を最近読んだ。33歳と言う若さ故と思われる議論展開のスピード感が、その文章の巧みさと相まって印象的で一気に読み終えた。その感慨は、音楽の場合に当てはめると、シュタルケルが初めて録音したLPで、コダーイの「無伴奏チェロソナタ」(日本コロンビア)で聴いたときに似ている (録音はバルトークの息子でありその音質の良さでも当時は驚かされた)

出だしの文章からして挑戦的である。明らかに共産党宣言の出だしを意識している。最初にSDGs (持続可能な開発目標)をバッサリ切っているので、なんでなんでと思わされる。それに続いてこれまでの脱成長論あるいは修正資本主義が槍玉に上がる。日本人では、広井良典(私は読んだことがない)佐伯啓思(私はかっている)が、外国人では、スティグリッツなどが切られている。著者は意図的にこのような煽り(アジテーション)の言説を用いている。

私自身の頭を冷やすために、アマゾンの読者の評価を調べてみた。例によって賛否両論である。私は評価の低いものから読むことにしている。たいていは、まともに理解していない。本質的な問題、欠陥を指摘している、たまにある意見は貴重である。書評で触れられた中で気になったので、白井聡の「武器としての資本論」と泉田瑞賢という人の「出口王仁三郎の世界改造論」を買って読んだ。また、水野和夫の「資本主義の終焉と歴史の危機」を読み返してみた。これらを読んだ後に、「人新世の資本論」を2度読み返したところである

「人新世」とは地球の歴史年代を区分した地学的な呼び方である。「ヒト新世」と書いた方が良いと思う。現在の地球は人が大繁殖している状況だと考えれば良い。確かに新人類は地球の隅々まで生息しており、資源を含めて地球環境をひどく変えてしまっている。マンモスの繁栄した時代と比べようのない変化を地球に与えている。他の動植物に大変な被害を与えていると言うべきだ。著者は二酸化炭素の排出による気候温暖化現象をとり上げる。人類の経済活動によるこの環境変化がすでに危機的状況 (point of no return) にあると指摘する。その後に続く議論はこの事態を前提としている。

日本を含めて経済成長が続いた時期、すなわち、分厚い中間層が形成された時期は資本主義の例外時期であり、現在のひどい格差社会が資本主義の本当の姿だと指摘する。資本主義の弊害が目立たなかった時期は、資本のグローバル化がそれほどでもなく、後進国から資源を安く手に入れたから実現されたと言うことだ。周辺部 (後進国) を中心部 (先進国) が食い物にしたと言って良いだろう。周辺部が細くなるにつれて、資本は国内の中間層を食い物にしている。例えば米国では住宅バブルで、庶民は蓄えていた金を巻き上げられ、大資本は税金で救済された

著者はなぜSDGs活動を非難するのだろうか。それは資本主義の中でのほんの少しの気休めに過ぎず、気候温暖化は止められないと言うものだ。経済活動をもっと根本から変えないとなくてはならないと言う。気候温暖化を止めるため、経済の脱成長を目指す従来の議論もダメであると断定する。例えばスティグリッツは次のように批判される。「公正な資本主義を実現するためには、労働者の賃上げや富裕層や大企業への課税さらに独占禁止の強化をすべきだ」として紹介する。これを「民主的な投票によって法律と政策を変更することによって実現できる」と要約する。これらは資本主義の下では実現できないと著者は言う。資本主義と脱成長は両立できないからだと

著者の到達した答えは、「脱成長コミュニズム」である。彼はこの解決策をマルクスが資本論の第1 (2部と第3部はエンゲルスがマルクスが残した草稿をもとにして書き上げた) を出しただいぶ後まで書き留めていた、膨大なメモや書き込みを読み解くプロジェクトの一員として参加することによって見つけ出したようだ。「洪水の来る前に」という本を、ドイツ語で書き、何国語にも翻訳されている。また、これで、有名な賞を最年少でもらっているそうだ。詳しくは本を読んでください。

脱成長コミュニズムの柱として、(1) 商品価値から使用価値への転換 (2) 労働時間の短縮、(3) 画一的分業の廃止、(4) 生産過程の民主化、(4)エッセンシャルワーク(医療介護その他のなくてはならない仕事) の重視、をあげている。もっともな話だ。 しかしこれらを達成する具体的な処方箋はそれほど明確ではない。誰かが資本を集めて権力を握ることを防ぐ制度を持っていた、昔のドイツの「マルク共同体」を参照している。そこに、技術の進歩と脱成長を加える事を考えているようだ。その他にバルセロナ市の取り組みなどを紹介している。これらの目標を目指す人々が、全体の3.5%までは高まれば社会は動いていくと主張して終わる。これから先の議論の展開を期待したい。

以下、私の考えも混ぜながら書く。著者は「脱成長コミュニズム」という言葉を使い、共産主義とは言っていない。今まで失敗したソ連の共産主義、中国の共産党独裁(毛沢東主義)を否定しているので、意図的にこの言葉を選んでいるのだろう。 従来の資本論の読み方ではマルクスは当初、経済成長を否定していない。ソ連も中国もこれを否定していないで、むしろ、これを資本主義と張り合った。世界不況の際に一時は勝ったこともある。結局、この競争に負けた。特にレーガン時代に、米国が仕掛けた軍拡競争に負けたことが、ソ連崩壊へとつながった。毛沢東は、「農業は太寨に学べ」と開発を主導したことがある。結局は成功しないで、毛沢東以後、資本主義政策を取り入れるに至って現在まで来ている。

ソ連共産党にとって運が悪かったのは、レーニンが後継者として目していたトロッキィーではなく、人間として問題が大きかったスターリンがトップについたことだろう。そして指導層が独裁的官僚的利益集団に成り下がった。このような歴史の経験から、ほとんどの人々は自分たちには共産主義はありえないと思っているはずだ。それでも、斉藤幸平は、マルクスの後期の思想を解明することで、脱成長とコミュニズムの組み合わせしか、我々人類の将来は無いと、若者に特権的な挑戦的物言いをする 。先に挙げた (1) から (5) の目標を一党独裁に代わり、どのような制度(システム)で実現するかがカギである。


白井聡の「武器としての資本論」は、マルクスの「資本論」を通して、資本主義の本質をわかりやすく解説している。ただし、その問題解決策は無きに等しい。彼は「人新世の資本論」が解決策を示しているとして絶賛しているそうだ。泉田瑞賢の「出口王仁三郎の世界改造論」は、私が思ったよりまともな議論をしている。経済という言葉が政治をも含んだ概念であり、いわゆるエコノミーよりも広い概念だとしている。私は、経済という訳語は、福沢諭吉が経国済民から作ったと聞いていた。この本によれば、江戸時代の儒学者、太宰春台が書いた「経済録」にあるそうだ。その中に、「凡そ天下国家を治むるを経済と云、世を経め民を済うという義也」と示しているそうです。昭和62年に発行されているものの、今日の資本主義の陥っている問題を地球環境の荒廃も含めて指摘している。ただし、マルクスが晩年において、地球環境の悪化を予想して、脱成長を唱えていたことはもちろん知る術はなかった。解決策は自立した協同組合的な組織であるとしているので、「脱成長コミュニズム」に通じるものである。この本の中で、天皇家の先祖が崇神天皇と応神天皇であり、それぞれ、伽耶と百済から来たと言い切っているのも注目したい。

コメント

  1. 解説ありがとうございます。天皇家の源泉は分かりませんが、資本主義の限界を先生は述べているのですか?この場合、経済形態は度外視して社会はテクノロジーが救い国際社会も同じ手法で救済されるのが理想だと思います。全て権力闘争の歴史論議であり人類は平和と経済安定が一番の望むところであると。議論は大事ですが、先の見えない議論は勿論、無意味です。私は政治理念より人類普遍の経済理念でのテクノロジー化拡大計画を尊重します。その為にも早く世界がひとつになって共産主義ではないですが計画経済の立て直しが必要不可欠だと思います。世界的エゴが経済混乱を招いている現実。山口健吾です

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  2. 若い人がこの議論をしていることに救われた気がする。グレタも居るし、今後の世界に希望が持てそう。

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  3. 若い人がこの議論をしていることに救われた気がする。グレタも居るし、今後の世界に希望が持てそう。

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  4. 原始以来進化・進歩・発展してきた人類が社会成長を抑えることができるのか?
    人類が存在し進歩する事自体が自然の破壊や社会の破壊に繋がっていると思われる。
    しかし強力に地球全体を統括する組織ができて哲人的運営者が世界を上手くコントロールでき
    ればいいが、そうでなければ攻撃的で欲深く傲慢で利己的な現在の人類に取って代り、新人類出現するのを待つしかないと思う。 

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