クリント・イーストウッド 「クライマッチョ」(Cry Macho)

 

前から気になっていたおり、知人がFacebookにあげていたので、カミさんを誘って先週の火曜日に観に行った。福岡でもコロナウィルスが再燃しているので、映画館の混み具合が気になった。行ってみると我々の他には6人のみであり安心した。まだ見てない人にはネタバレになるけど容赦を乞う。イーストウッドが演じるマイク・ミロはかなりの老人である。牧場主からクビになって少し経ってから、彼から仕事を依頼される。メキシコに住んでいる離婚したメキシコ人の妻から、一人息子のラファエルを連れ戻してくれと言うものだ。マイクは昔は牧童でならし、ロデオ大会で何度も優勝したことがあるマッチョ (メキシコスペイン語だそうな)であった。妻と息子を交通事故で亡くしてから荒れた生活を送り、最近、首になるまでその牧場主の世話になっていた。二人の仲は良くないけれども、その恩義で彼の依頼を断れない。

 

ラファエルは、ふしだらでアル中の母親(ただし随分と裕福)から虐待されているのと、母親の生き方を嫌って、汚い裏小路で孤児同然で暮らしている。闘鶏にはまっていて、その雄鶏の名前がマッチョである。彼は母親も父親も嫌っている。人は誰も信用していないと言い放ち、荒れすさんでいる。そして、自分自信をマッチョと思っている。父親も、息子を引き取るうとしている理由は、実は妻がアメリカで息子にかけていた保険金の満期金の支払い通知が来ているのを知って、その分け前を妻から受け取るためだけだということが、途中で明らかになる。このような設定から察しがつくと思う。いろんな困難な事件に遭遇することによって、ラファエロが心を開いて、マイクにだんだんと心を寄せてせていくことが全ての流れである。ラファエルはマッチョとして生きて行くと決めていた。これを昔のマッチョのマイクが諫めている。「Cryマッチョ」は雄鶏に戦う鳴き声をあげろとも取れるし、マッチョの男は泣いてもいいだと、昔のマッチョ老人が強がっているラファエルに対して言い聞かせているとも、昔マッチョだった自分自信に言っているともとれる。ラファエルは、最後にはオンドリのマッチョをマイクに譲る。


西部劇のように単純な筋立てながら、2人以外の脇役も雄鶏も含めてよく演じていると思う。脚本もそれらしいエピソードがふんだんに出て楽しめる。いろいろな邪魔(母親のさしがね)があったけれども、父親が待っている国境検問所に無事にたどり着く。マイクはメキシコで知り合った寡婦一家のもとに戻るという。ラファエルが父のところに近づいているところで終わった。遠くから撮っており、父親の顔も息子の顔もその表情はわからない。

 

帰ってからカミさんといろいろ、感想を話し合った。1番のところは、息子が父親のところにずっといるかどうかである。メキシコで寡婦一家(子供夫婦を事故で亡くし、何人かの孫を育てている)で世話になって泊まっていた頃、マイクがラファエロに対して、どうしようもなくなったら、この家で会おうと言っていたからだ。孫娘の一人はラファエロに惹かれている。私はメキシコにいるマイクのもとに戻るだろうと言う意見である。

 

また、イーストウッドの老人の仕草が、特に歩き方が、演技かどうかも話題に上った。さらに、字幕でイーストウッドが主演と監督以外にもう一つの役割があったのに、2人とも思い出せない。そこでウィキペディアを見たら、ずいぶんと詳しく書いてあった。残る役割は製作者(プロデューサ)である。脚本はずいぶん昔に書かれたものである。映画会社に売り込んでみたものの、断られて同名の小説として発表されていた。その後、映画化が決まり、イーストウッドは出演を頼まれたけれども、演じるには若いと断って、ロバート・ミッチャムを推薦したそうだ。いろいろあった後、シュワルツネッカーが主演と決まったものの、その後、州知事の時に起きたスキャンダルで話が消えた。2020一年に封切りしている。イーストウッドは91歳になっている。これで老人の振る舞いは演技では無いのだろう。イーストウッドがここまで待っていたのは、「この老人役を演じられるように、人間として成長しなければならないと思った」と語ったそうである。

 

これで彼の主演は見納めだろう。英語は話す速さが遅く、センテンスも短く、さらに、字幕付きであるから私にもかなり聞き取れた。 roosterが何度か出たときには、中学英語 (Jack and Betty) で習ったのを思い出して嬉しくなった。発声の雰囲気も重要な要素であるから、できれば吹き換えでなく字幕が良いと思う。この映画は彼の(渋さ)の集大成とはFacebookの知人の言である。私もあと何年生きるかわからないけども、このようなシブさを少しでも身につけたい。


追記

映画館を見ている時、マナーモードにしていた携帯に着信があった。会場を出てから思い出したので、こちらからかけ直した。またもや、私の失敗である。その日の午後2時から、各町内会の福祉の代表者が集まる会議が入っていたことをすっかり忘れていた。私は、会議のあるその公民館から歩いて、2分位の近くに住んでいる。それで、会議が始まって連絡してきたのであろう。実はこの失敗は今度で2度目である。私は、面目ないと謝るついでに、「映画を観にきている、ちなみにイーストウッドの「クライマッチョ」である」と告げた。相手の会議の幹事役の女性は、「私も観たいと思っていると」応じた。

 

コメント

このブログの人気の投稿

数学論文投稿 (電子情報通信学会 9度目の拒絶と10回目の投稿)

日本数学会への論文投稿(続き)

数学論文投稿(電子情報通信学会 8度目の拒絶と9度目の投稿)