是求事実

 

添付している写真は、九州大学の教養部から箱崎にある電子工学科に進学した我々を、3年生と先生達が歓迎してくれた宴会の時のものである。会場は三畏閣と呼ばれた学生厚生施設の建物の一室である。三畏は論語から来ている。今は、九大移転により全ての建物とともに取り壊された。このブログの表題は写っている額に書かれている。この額を見たとき揮毫した人が、有名な中国人の郭沫若と知ったので、私の記憶に残っていた。彼は、中国からの留学生であり、九大医学部で学んでいる。帰国後は、文芸活動をもっぱらにして、政府内でも重用された。

 

当時、私はこの文字を左から右に読んでおり、しかも記憶していたのは、是求是真であった。ある講演で使おうとして、この写真を見つけた。中国人の学生達に、この是求事実の意味を聞いてみた。いろいろな解釈が出た後、誰かが辞書で調べて、英語への翻訳、 Looking for Truth through Fact(事実を通して真実(真理)を探す)が正解だろうとなった。この額は、その後、三畏閣から、本部応接室あるいは図書館などに動かされたようである。

 

このブログを書くきっかけは、岡本隆司、「中国の形成」、シリーズ中国の歴史5、岩波新書、を読んだからである。この中に、この言葉が出てきた。私は、てっきり郭沫若の創作と思っていたら違っていた。中国の清朝、乾隆帝の時に広まったという。明朝で栄えた陽明学などが空理空論に陥りがちな弊害を避けるために、過去の文献の事実をしっかり調べて、正しいこと、特に政治経済の策、を決める実証主義考証学のスローガンであったそうだ。実証主義は、細部にも気を配る満州人に合っていた。支配者である満州人に対して、著述に従事する知識人は漢人である。満州人(夷)を排斥する攘夷思想は当然出てくる。支配層は清朝を批判する言論を弾圧した。すると、権力に忖度する知識人が出てきて、正論を述べる者を批判した。また、実事求是の精神も形式化、形骸化して行った。

 

この本は、漢人による中国の統一は、未だかって達成されたことがないと書く。元も清も支配したのは漢人ではない。これらの政治が上手くいったのは、異なる民族の任意性に任せて統治したからだという(因俗而治)。現在の習近平の強権的な「一つの中国」は実現されたことがない夢の段階であり、中国の過去の歴史の課題から逃げ切れていない弱さの表れと述べている。この本の著者は、週刊東洋経済で歴史について連載記事を書いていた頃から注目していた。本質を突いた論を展開していると思う。中国を理解したい人に薦める。

 


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