大衆論 -「大衆の反逆」( オルテガ )と「大衆への反逆」 ( 西部邁 )

 

西部邁が、オルテガを高く評価して大衆論を展開している事は、知っていた。このたび、西部のこの本を娘婿から借りて読んだ。オルテガの本は、読んでいない。その代わりに、中島岳志 ( 評論家、東工大教授 ) の解説したNHK番組-100de名著-のテキストを買って読んだ。その中には、西部の本も紹介されている。ここでは、この2冊の本の紹介、その感想とともに、西部邁、及び大衆について私が思うことを書いてみる。

 

オルテガはスペインで生まれた哲学者思想家である。彼の本「大衆の反逆」は、第二次世界大戦開戦の前に書かれている。イタリアとドイツにおけるファシズム (全体主義) の台頭と、ソ連における共産党独裁 (ボルシェビキ: 多数派主義) の動きを危惧して、その問題点を指摘している。これらは、いずれも、多人数の、いわゆる大衆がこれまでの秩序を壊して、新しい危険な状態に突っ込んでいくことに警告しているものと言えよう。大衆が動いたという点では、フランス革命などの市民革命もそうである。私はオルテガの本を読んでいないので、彼がこれらの革命の結果をどのように判断しているかはわからない。いずれにせよ、ここでは、大衆 (mass) を否定的な意味に捉えている。すなわち、多数者であると言う「驕り」に陥っており、自分たちを「正しい」と思い込み、疑うことを知らない「愚か」な人々と言う意味である。ここで、大衆は単なる庶民だけではなく、専門家、特に科学者等のうち、考えが浅い、いわゆる教養がない人間も含んでいる。社会を科学的、合理的に作ることができると楽観視する、いわゆる、設計主義を取る専門家である。彼らが愚かな大衆を先導している。庶民においても、自分自身の考えを常に疑い、自分の頭で考える人々は、大衆ではないとする。中島岳志の本の裏表紙によると、オルテガは「20世紀初頭、ヨーロッパは大衆に覆われていると説き、「寛容=リベラル」、「死者の英知による制約」 (保守) の大切さを訴えたとある。ここで大衆とは、トポスを失った凡庸かつ大量の「平均人」であると定義されている。トポスという言葉は聞いたことがあるものの、意味がはっきりしないので、ネットで調べてみた。元はギリシャ語で「場所」のことである。その後、哲学では、人間の主観に対する概念として、その人が「拠って立つ場所あるいは考え」と言う意味のようである。「拠って立つ自分の考え」を持っていない人が、トポスを失っていると言うことだろう。

 

西部邁は、生きた時代とは異なるものの、オルテガの思想に注目した。保守思想家として1回の番組を用いて紹介されている。中島岳志は、西部を師匠のような存在だと述べている。西部の本を読んでみて、オルテガの思想をそのまま受け継いでいるように思う。先に挙げた本のタイトルからしてそうだろう。ただし、西部の本のタイトルは、私が想像する彼の性格のうち、露悪的な面を打ち出している。オルテガは大衆の問題を指摘するものの、彼らをそれほど突き放してはいないのではなかろうか。2つの本はともに、連載された評論を本にまとめたものである。一環した筋書きのもとで、文を進めてはいないので、論旨を体系的に理解することはできない。しかし、著者のことを知るには、論点が固定されていない、このような論述の方が役に立つ。以下、西部の人となりを私なりに書いてみる。

 

彼の事は、「新しい教科書をつくる会」などで、名前のみを見た保守の論客である位の認識しかなかった。何年か前 (2018) の新聞に死亡記事が出たので、気になって彼の本を1冊買って読んだ覚えがある。確か、晩年のもので、文字を書けなくなったので口述したものだったと思う。本棚を探したものの見つからない。多分、ブックオフで売ったのだろう。今回の本の中で出ていた話題が、いくつかあったのを思い出した。今回のブログの主題、「大衆論」にあたる論考、例えば「高度大衆社会批判」などは触れないことにする。

 

彼は東大における学生活動指導者の1人であった。東大の経済学部の時、近代経済学のある問題を数学的に解いて、宇沢弘文に認められている。ただし、宇沢弘文と同じように、近代経済学の本流からは離れたようである。東大に教養学部ができて、そこの教授になっている。その後、その職を辞めることになった。彼が主導していた教授選考において、当初は、根回しで全員賛成していたのに、後で反対する者が何名か現れたからである。その候補者とは、中沢新一である。その当時、有名になっていた思想家であり、彼の本「雪片曲線論」は題名が面白かったので、今でも覚えている。私は読んだ事は無い。友人の言いで、奇弁の類だと聞かされたことがあったからだ。教授選考における、中沢新一に対する評価がどのように言われたのかは、西部は何も説明していない。ひょっとしたら、私の友人のような評価を下す教授がいたのかもしれない。当時には、「構造と力」を書いた浅田彰も、新進の学者評論家として有名であった。彼の評価を後になって読んだことがある。曰く、この本は当時流行った哲学の受け売りのみであり、彼自身の考えは何も示されていない、その後、彼は見るべき研究業績をほとんど上げていない、中沢新一と対談した中で、2人とも、「でまかせを書いたら、皆が信じてしまった」と言っていた、などの酷評もある。西部邁が、死ぬ前にでも中沢新一に対する彼自身の評価を書いて欲しかった。

 

愚かなる大衆に対する、西部邁の見方は厳しい。ケータイが流行り出した頃、多数の人が、電車の中でいじっている様子を罵っている文章を覚えている。この厳しさは、父親の影響を受けているのかもしれない。彼は、子供の頃、一人の孤児に石を投げつけたことがある。これを見ていた父親が怒り、松の木に縛り付けられたうえで、顔面にも向けて、石を思いっきり投げつけられたと書いてある。彼の父も孤児同然に育ったからだろうと書いている。彼の父親について書いてあるのを、もう一つ思い出した。戦争に負けて、国民大衆は鬼畜米英と言っていたのに、すぐに、米国軍の進駐を喜んで迎えている。この風潮を許せずに、父親は占領軍の兵士に出会ったら、1人でも殺すと決めて、短刀を研いでいたと言う話だ。北海道の田舎だったのでそれは起こらなかった。

 

西部は周りの人々から評価されていないと、思い込んでいたようだ (その割には、周りには信奉者が多いと思う) 。信頼してくれるのは、自分の最愛の妻だけだと書いていたと思う。奥さんに先に死なれたので、後を追ったものと思われる。ただし、知られているように、その死に方が問題である。本の出版で知り合い、西部に心酔していた2人の男に、自殺の手伝いをさせている。青酸カリも使ったようであるから、黙って1人で死んでいく事はできなかったものか。

 

別の見方もできる。彼は、日ごろから自分が行っている言動の全てに、本当に全身全霊をかけていることを伝えたかったのかもしれない。大衆の愚かさを啓蒙し、あるいは、保守の言論の真摯さを示したかったのかもしれない。この点では、三島由紀夫の自決にもつながるように思う。

 

大衆をどう捉えるべきであろうか。鶴見俊輔は、昔、流行った漫画「がきデカ」を表して、大衆がこの主人公ような人物 (自分本位) になれば、愚かな指導者に騙される事は無いと書いた。吉本隆明は「大衆の自立」と言う論旨のもとで、大衆に近 () い立場をとっている。井上ひさしは、人々の3つの大罪として、「嘘つき」、「ケチ」と並んで「愚か」を挙げている。愚かさは思い込みにつながっている。思い込みは自分自身で起こしているとともに、それとなく外からも仕向けられる。これに対抗する手段は、一切を疑うことから始めることと、本質に戻って考えることではなかろうか。

 

皆の意見が1つにまとまることは、私は気持ちが悪い。それで、わざと反対の意見を言うこともある。それで、私はKYと言われたことが何度かある。これは、伝馬船に乗っていて、皆が片方に寄ってひっくり返りそうになり、私が慌てて反対側に移動した子供の頃の体験から来ているのだろう。

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