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ポンプ小屋の修繕

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30 年ほど前に作った井戸ポンプの小屋の劣化が進んでいた。塩化ビニール製の屋根覆い波板が、あちこち破損し、屋根の杉板も痛んでいた。簡単な修繕で済むと思っていたものの、板を外してみて驚いた。土台と柱が腐っていて、再利用できる骨組みは半分以下しかない。杉板も使えるものは、扉部分のみである。劣化には気がついていたものの、修繕に手をつけないでここまで来たことを悔やんだ。 分解してみて、当初の製作に当たった、シルバー人材センターから派遣されて来た素人大工(と思えた)さんの工夫に感心した(家内の記憶によれば、無口で大人しい感じの人だった)。一例を挙げれば、雨漏りに対する対策が、基礎、土台左官工事を含めて入念になされている。ヒノキの土台の上に、焼き板杉で屋根と壁を作っている。壁に当たった雨水が内部に入らないように、壁を土台からせり出させて、先端を土台のよりも下に来るようにしている。 杉板と土台部材を材木店で、塩ビ波板はホームセンターで買った。杉板を焼くのには、もともと生魚を炙るために買っていたガスボンベバーナーを使った。骨組みを組み立てるには、釘よりもビスが良いと考え、前々から欲しかったリチュウムイオン蓄電器で駆動する電動ドライバーを購入した。例によってネットで検索し、安いものを探した。中国製と思われる物が性能対価格比で日本製を圧倒している。性能を同じとして、価格は、 1/ 2 〜 1/3 である。問題は信頼性である。悪く書かれいる商品レビューもあったけれど、今のところ不具合は起きていない。補償も 1 年間ついているので、メーカも自信があるのだろう。使い方には少しコツが必要であった。初めの頃は、トルク設定と手の力のかけ方に問題があってビスの頭の溝を潰し(ナメる)してしまうことが多かった。ビス、釘ともにステンレス製を用いた。杉板の劣化を防ぐために、焼いた後で防水防腐塗料 ( 水性、浸透性 ) を塗ってある。塩ビ板は 30 年前のものに比べて耐候性が数倍伸びているそうだ。修理が終わってからの写真を載せている。これで、あと 30 年ぐらいはもってくれるだろう。 今回の大工仕事で感じたこととして、年数を経て乾燥した木材の硬さをあげたい。古い部材に釘を打とうとして、何度も曲げてしまったことから分かった。何百年も、もっている日本家屋の強さの秘密は木材のこのような

講演 「私の学生、会社、大学時代」

これは、ずいぶん昔に、高校の文化祭に呼ばれて体育館で全校生の前で喋ったものです。 講演録音から学校側が文字に起こして、学内報に載せてくれたものです。終活活動の一つとして、例によって、スキャナでPDFファイルにして、https://www.onlineocr.net/で無料でword ファイルに変換してもらいました。縦書きの2段組の原稿でしたが、かなりの精度で変換してくれました。 嘉穂高校 文化講演会  「私の学生、会社、大学時代」 九州工業大学教授    赤岩 芳 彦  ただ今ご紹介いただきました赤岩です。今日はどういうことを話そうか考えたのですが、私は会社にもいたことがあるし、今は大学の先生をしている。会社のことも含めてその辺の話をさせていただきたいと思います。話す順番は逆にいってみたいと思います。 まずは大学の生活を少し紹介してみたいと思います。例えば、今は就職の時期です。学生が会社の面接に行ったり内定をもらってきたりしでいます。四年生になると研究室に配属になりまして、我々の研究室では今、学生は、朝九時から十二時までアメリカのテキストを皆で分担して読んでいます。最初のころ英語は嫌いで、特に九工 大の学生は英語が苦手な生徒が多く、真っ赤になるくらい辞書で単語をたくさん調べていますがそれが何か月かたってくると技術系の専門用語ですのでかなり慣れてきて、英語はこんなに簡単だったのかと皆さん一様に言います。高校時代の受験英語はすごく面倒くさかったのに理科系の技術の英語というのはわかりやすい、かえって 日本語よりわかりやすい位だと言っています。  そのほか大学では研究室にきて、一年間卒業研究をやっています。 修士課程になれば二年ぐらい研究しているので新しいことを発表で きるのです。ちょうど今、電子情報通信学会の秋の全国大会に向け て、修士の二年生と卒業したての助手が論文準備をして夜遅くまで頑張っています。学会とは何かというとちょうど皆さんの文化祭のようなもので、1年間やってきたことを発表するのです。それがよければ会社なども注目してくれまして次々とそれを発展させたことをやれます。面白くなければ、またあんなつまらないことをしてる、 と知らん顔されるということにもなります。

技術開発について 

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  紙の別刷から、ウェブサイトのサービスで、電子ファイルに変換したものです。 技術開発について  (国際電気技報 No. 17(ずいぶん前に掲載済)   九州工業大学情報工学部教授 工学博士 赤岩芳彦  小学校 1 年生の算数の授業の時であった。 たしか、繰り上りを伴う足し算を習っていたと思う。担任の女の先生がある生徒を立たせて、彼に対して黒板で説明した。 終わってか ら彼に、”分かったか”と問うた。 彼は分からないと答えた。先生はまた説明した。次も彼は分からなかったと答えた。先生はもう一度 説明した。このときも彼は分からないと答えた。そうすると先生は大声で、 ” あなたは偉い”と言った。そして全員に向って、 ” 分からないことを分からないと言えるのは立派なことで す ”   とおっしゃった。  大学を卒業して 21 年間、多少なりとも技術 開発に携ってきて感ずることは、小学校でのこの一場面がおそらく、私が仕事をする際の心構えとなっていたようであるということで ある。しかし、一体、分かるということはどういうことであろうか。たしかに分かったつ もりであったのに、実際になるとそうでなかったことは、たびたびある。例えば、ある考え方に基づいて、何かを設計しようとするときなどである。大抵は、理解不足のため、どこかで作業が中断される。あるいは、どうしてもうまくいかず、結局は理解の誤りに気がつかされることがある。技術開発の面白さは、このように分かったと思うこと、あるいはこれでよいはずだと思っていたことが、しばし ばひっくり返されるところにある。ただし、 開発品が製造に移ったり、すでに客先に渡ってからこのような事態になれば、面白さを通り越したことになる。このような事態においても、面白いと少なくとも腹の中で感じられ る人が上司にいたら、担当者は幸せだろう。     技術開発の面白さをもう少し探してみよう。私の子供の頃の田舎での話である。”地下蜂”と呼ばれる嫌われ者の男がいた。詳しくは知らないが、地下蜂というのは、地中に巣を作ってむやみに刺す性質があると聞いてい る。台風が近づいたりすると舟を陸に上げる 必要があるが、 2-3 人ではとてもできない。 しかし、仲間はずれになると協力しても