講演 「私の学生、会社、大学時代」

これは、ずいぶん昔に、高校の文化祭に呼ばれて体育館で全校生の前で喋ったものです。
講演録音から学校側が文字に起こして、学内報に載せてくれたものです。終活活動の一つとして、例によって、スキャナでPDFファイルにして、https://www.onlineocr.net/で無料でword ファイルに変換してもらいました。縦書きの2段組の原稿でしたが、かなりの精度で変換してくれました。


嘉穂高校 文化講演会 

「私の学生、会社、大学時代」

九州工業大学教授   赤岩

 ただ今ご紹介いただきました赤岩です。今日はどういうことを話そうか考えたのですが、私は会社にもいたことがあるし、今は大学の先生をしている。会社のことも含めてその辺の話をさせていただきたいと思います。話す順番は逆にいってみたいと思います。 まずは大学の生活を少し紹介してみたいと思います。例えば、今は就職の時期です。学生が会社の面接に行ったり内定をもらってきたりしでいます。四年生になると研究室に配属になりまして、我々の研究室では今、学生は、朝九時から十二時までアメリカのテキストを皆で分担して読んでいます。最初のころ英語は嫌いで、特に九工 大の学生は英語が苦手な生徒が多く、真っ赤になるくらい辞書で単語をたくさん調べていますがそれが何か月かたってくると技術系の専門用語ですのでかなり慣れてきて、英語はこんなに簡単だったのかと皆さん一様に言います。高校時代の受験英語はすごく面倒くさかったのに理科系の技術の英語というのはわかりやすい、かえって 日本語よりわかりやすい位だと言っています。

 そのほか大学では研究室にきて、一年間卒業研究をやっています。
修士課程になれば二年ぐらい研究しているので新しいことを発表で きるのです。ちょうど今、電子情報通信学会の秋の全国大会に向け て、修士の二年生と卒業したての助手が論文準備をして夜遅くまで頑張っています。学会とは何かというとちょうど皆さんの文化祭のようなもので、1年間やってきたことを発表するのです。それがよければ会社なども注目してくれまして次々とそれを発展させたことをやれます。面白くなければ、またあんなつまらないことをしてる、 と知らん顔されるということにもなります。

  今から私の研究について簡単にふれさせていただきます。わかっ てしまえば簡単、ただわかるまでが難しい、 わかるというか問題を見つけるのが難しい、そして見つけてそれを解決するのがやや難し い。その辺の雰囲気を少しでもかいでいただいて、その後は私が高校、大学そして会社時代とどんな風に考え過ごしたか少しでもわかっ ていただければと思います。

 さっそくですが、私の研究していることは、皆さん、自動車電話というのを見たことあると思うのですがあれなのです。ここにムーバと書いていますが、テレビで宣伝していますね。 NTTの自動車電 話です。NECを含めて4つの会社が作っています。外で歩きなが らでも、車の中ででも通信をしようというものです。これが今どのくらい普及しているかと言うと、日本では1991年で140万台くらい、1993年では二百数十万台が普及しているそうです。各国別に見ると、アメリカは650万台、今はもっと増えていると思います。それからイギリス、 日本、そしてカナダと続きます。これ を人口比で見ますとスウェーデン、フィンランド、ノルウェーは6.7パーセントといっていましたが、最近は10人に1人くらいの割合 で普及しているようです。車でもボートの上でも使っている。自動車電話はたくさんの人が使います。アマチュァ無線をやっている方 もいると思いますが、アマチュァ無線の電波のチャンネルは少ないので、誰かがちょっと使うと、すぐ満杯になって使えなくなる。自動車電話ではチャンネル数が1000個ありまして、どれかを選んで使うことになります。その他にも工夫しています。セルラー方式です。 セルラーの「セル」とは ”Cell” つまり生物で習った細胞のことです。細胞があって中心に細胞核がある。自動車電話はその細胞のようになっているので す。この東京の地図は金網で覆ったようになってい ますが、金網のーつーつの真ん中に基地局があって それを介して通信をしている。そして、この赤いところでは同じ周波数を使っているわけです。例えば、 新宿と東京駅ではだいぶん離れている。電波を出し ても干渉しないから同じ電波が使えるということで す。それ以外にも無線を使ったシステムにはクロネコヤマトの宅急便というのをご存じと思うのですが、あのかた達が、 今度はここの酒屋さんに寄れ、というようなことを無線で伝えていますね。あれはセルラー方式ではなくこういう丸い大きなゾーンでやっています。赤坂の高いビルの上から遠くまで届くようにやっているのですがこういうーつのゾーンでやると誰か1人がチャンネルを使うともうそのデャンネルは使えなくなる。それに対して、セルラー方式でやると、赤い所は同時に使える。これだとお客さんが10倍位は入れることになる。このような自動車電話でやってきたのですが、どんどん普及していまして、そのうちパンクして、使えなくなる。道路が混雑してどうにもならなくなるのと同じように自動車電話もなるわけです。特にアメリカの大都市や東京などでは、一杯 になって使えなくなってしまう。それをどうしようかというのが我々の研究のーつです。そこでデジタルがでてくるのです。

  デジタルという言葉を皆さんは聞いたことがあるでしょう。例え ば数字を01 で表現する。これがデジタルの世界です。01 23と、飛び飛びの値で表現する。こういうのは整数と習ったと思います。整数のほかに実数というのがあるのも習ったと思います。ルート2である1.412…というのはそのような数字ですね。飛び飛びの数字で通信をしようとい うのです。例えば01 2進数で表すとすると、0は当然0ですね、11と表します。21×21 0×20ですから10と表す。3はどうなるかと言うと、21の和 ですから1×211×20114でしたら22ですから1005 でしたら101という風に10だけですべて表せます(図1参照)。 高校ではこの2進数のことはやってないと思うのですが、例えば2 +3というのをやってみます。221だけで表せますから103 212011です。これをわかっていただけたら、1011 普通のたし算をやるのですが、2という数字をもたないから、くりあがって、101という答えがでます。101というのはここで見ると5でしたね。という事は2+3というのが10の世界でも表 現できるのです(図②参照)。たし算が非常に簡単にできるわけで すね。かけ算も同じように例えば4×2というのをやってみると1 00×10になりますので100010の九九だけを覚えていればいいのです(図③参照)。ここで私が言いたかったのは01 すべての数字が表現できるということなのです。

  通信の話にここから移りますが、さっき自動車電話が増えて、 パンクしそうになるというところで、デジタル通信という話になりましたが、デジタル通信にするとチャンネルがたくさんとれて、たくさんのお客さんが使える。デジタル信号というのは、先ほど言っ
10かというのがつながっていっているものです。 電圧が1か0 かで信号を表現しているのです。それに対してアナログ信号というのは時間とともに連続的に変化しているのです。僕が今話している言葉も、このマイクが僕の声の音波を電気信号に変えてくれるので す。皆さんオシロスコープというのを見たことあるかもしれませんが、それで見ると電圧が波形となって見えます。アナログ信号通信というのはこれをそのまま送っているのです。ところがデジタル信号というのは時間を飛び飛びに間引いていきます。これをサンプルといいます。化粧品のサンプルというのがありますね。あれはたくさんある中から一部取り出したものでして、標本と言いますが、蝶の標本、鉱石の標本などもありますね。それと同じことで、通信でも音声の信号を標本化していきます。この標本をどのくらい取っていけばいいかという定理があります。例えば我々の信号、音声の波形でしたら8キロヘルツの周波数ごとに標本をとっていけば、元の信号がきれいに再現できるというサンプリング定理というのがあるのです。ここで標本化したものに有限な状態で数を割り当てていきます。例えば11とか10という数になれば、先ほどの01の符 号で表せます。電話で使われているデジタル通信は018つの 組で表現しています。これは256通りになりますり。そのどれにしていいのか数値を割り当てます。1 0 の信号を送るとどうなるか というと、受信側で1か0のどちらであるかがわかれば、また組み立 てて元に戻せるのです。8ビット、すなわち8つの10の組から 数値を割り当てるのです。解釈して、もしそれが12 であれば12という電圧を、3であれば3という電圧を発生するのです。この間をなめらかにつないでいけばまた元の音声に戻るというわけです。

 また、人に話を聞かれたくない、つまり秘話の場合、 デジタル通
信ではこの10 の信号を引っかきまわす、つまりスクランブルす る。そうすると、何番目をひっくり返したかわかっている人はまた元に戻せばいいのですが、わからない人にはただザーッと音がして、 通信しているかどうかさえもわからなくなります。

  デジタル通信というとなじみがないと思うのですが、例えば皆さ んが持っているコンパクトディスク、あれは音楽をマイクでとって、 サンプルして、量子化して、10という信号で表現しでいます。 これを16個の10で表現するので21665千ほどの値のうち どれかをとることになります。音声でしたら簡単ですが、フルオー ケストラの音から小さなピアニッシモの音までを表現しようとすると、高い精度が必要になってきます。65千ほどの01の表現、 16 ビットが時間波形に対応して盤の上に点々と10があるかなしかで記録されているのです。昔のLPレコードは盤が大きいのにC Dは小さい。それはCD10かを記録するだけでいいからなのです。そしてそれは、光の技術で非常に簡単に小さくできるのです。 それから雑音に大変強い。雑音がのっても10かを間違えない限り一切変化がないからなのです。対してLPは少しでもほこりがあるとガリッと音がする。通信でも同じで誤らない限り、少しも音は 劣化しない。 アナログは信号をそのまま送っていたのにデジタルは10に変 換して送るのです。自動車電話にデジタルが使われるのは、一つは 10に直すとビットを大変少なくすることができるからで、これを圧縮といいます。今の自動車電話は1チャンネル当たり25キロヘルツの帯域をとっています。帯域とは周波数の幅です。アナログ信号の幅よりデジタル信号の幅はずっと狭くてすむのです。アメリカ と日本の自動車電話のデジタル方式には我々が提案した方式が採用されています。

  次に私が会社にいた時どのようなことをやったかお話しましょう。 私はNECという会社に20年間おりました。 研究所にいたので、 これから商売のネタになりそうな、新しいことを探してやっていく のですが、NEC の研究所には1000人位おりました。大学卒が中心でしたが、最近はある程度有名な大学の修士あるいは博士課程を出た人しか入っていません。私が会社に入ったのは26年前です。 九州大学の学部を出てそのまま入ったのですが、同じ年に研究室に 入った人は修士をでた人が20人、学部を出た人が10人、あと工業高校をでた人が10人位おりました。 当時工業高校をでた優秀な人たちが入ってきておりまして、同期の人たちで学会でずいぶん活躍している人たちがいます。私の2 つほど上の柏崎工業高校 からきた人は大変いい仕事をして、東大から博士号をもらい、国際学会のフェローという一番名誉な会員になっています。

   通信というと馴染みが薄いと思いますが、君たちが電話ができる のは通信のおかげなのです。いろいろな設備があって、東京までも、 また外国までも簡単に通信できますね。それをNTTが中心でやっ てきたのですが、製品はメーカーが作って納めています。そのなかでNECは通信の一番大手でやってきました。私がNECに入ったのは特に理由はなかったのですが、入って3年目に「もうこんな仕事はしとうない」となったのです。皆が入りたがる研究所に入ったのですが、とにかく3年目で嫌になったのです。はっきり辞めたいとは思わないのですが、胃が痛くなる、会社に行きたくないと。 病院で調べてもらったら、十二指腸潰蕩の疑いがあると。なぜ嫌になったのかわからない。22で大学でてからですからその頃25くらいですが、このままこういう技術の事をやっておしまいになるのかなというのもあったような気がしますが。本当の自分のやりたいことが他にあるのではないかと思ったのです。それは何だろうかと色々考えてみて、結局、自分は学校の先生がいいのではなかろうかと思ったのです。中学校の理科か数学の先生になりたいと思ったのですが私は免許を持っていない。それで玉川大学の通信教育で先生の免許が取れるというので資料を取り寄せてみたら、社会と国語しか取れない。それでだめだと思い、大学の卒業研究でお世話になった先生のところに相談に行くと、「大学をでて、通信じゃ一番のところに入って、しかも研究所にいるじゃないか。僕だって、つまらん事かもしれんが魔法瓶を一生懸命作っているぞ」とおっしゃる のです。先生は物理の研究なのですが、魔法瓶で冷やして磁気天秤で、磁力計を作っていたのですが、魔法瓶がうまく作れないといい実験ができないというわけです。で、「もう少し辛抱してみたら」 と言われて、何とかかんとかしているうちに、仕様がないと思いました。

 自分に一番あっているのは何かとずっと考えてみたのですが、 私は高校のときには何でも好きでした。国語も好きで、漢文の時間も面白かったです。受験対策用の副読本がありまして教頭先生が漢文の授業をされるのですが、その中で荘子や老子の話が好きでした。 今でも覚えていますが、ある人が蝶々になった夢を見て目が覚めたら、ひょっとして蝶々が夢を見て今の俺になっているのではないか、どっちなのだろうかと思う。また、亀が取り立ててやるから都に出てこいと言われたが、俺は干からびて飾られているよりは、田んぼの泥のなかでしっぼを引っぱっている方が好きだと言って断わった。 それから車輪の真ん中に穴が空いているスポークが出ている所ですが、この真ん中の何もない所が用を為している。何もない所が非常に役にたっていると。あるいはゴツゴツの木があって何の役にも立たない。でも役に立たないからずいぶん生き延びている。 立派な木は切られて材木になってしまうと。英語も好きでした。社会は日本史はあまり好きではなかったですが、世界史は好きでした。物理にいたっては本当は物理の先生になりたいなと思ったくらいで、物理 の先生が非常にいい先生で、PSSC物理というアメリカの物理の 本が当時あったのですが、そこにボールを投げたとき、放物線の運 動で落ちていくというのがありまして、それを先生がカメラで暗室 で撮って、ストロボをパッパッとたいて、「実際になつたぞ」とPSSC物理にあるようなのを見せてくれたりで、とにかくその先生は物理が好きで好きでたまらなくて我々に教えてくださった。非常に分かりやすかったですね。微分とか積分がでてきた時にも、ああ、これいいなと思いました。大学を選ぶときには好きな物理に進みたいけれど、物理は学者になるのは大変で、飯が食えないだろうというので、電子工学なら物理に近いだろうと、電子工学を選んだの です。

  会社で自分は何に向いているのかと悩んで、学校の先生に向いてるのではと思ったと言いましたが、結局、後で考えついたのは、もうそんなことは関係ないと。嫌いなものをぜひともやれと言われたらそれはやりたくないけれども。誰でも好きな職業に就けているわけではないのですね。お金をもらって生活していて、つまり「プロ」 であると。プロとはですね、プロフェッショナル、金をもらっているわけですね。サッカーのカズや、野球の落合など三億円位もらっていますが、彼らはプロで飯を食っています。ところがプロでたいした金をもらえない人たちはたくさんいるのですね。年収数百万円くらいで二軍で下積みの選手がたくさんいるのですが、彼らははっ きりプロという意識があるのです。ところが普通の会社だとこれがもうひとつはっきりしない。まあまあの仕事をしていればある程度の給料はくれるというので、日本の会社は今まで年功序列でやってきていたのです。私は最後は課長という管理職で辞めたのですが、 課長になると部下の給料を査定します。人事評価といって、ボーナスの時に2回と、春の昇給のときに1回あります。課長は自分の下の主任以下、主任が査定会議に入れるのはその下の社員のときで、 それぞれひとつ上の人たち以上で評価を決めていくのです。ボーナスも枠がありまして、これを分けなければならない。これは一律ではないのです。配分率がありまして、五段階評価になっています。 それで一番上の段階に入れるのは五パーセント位。そして真ん中当たりが一番多いのですが、一番下につけられると、かわいそうにかなり額が減ります。この分布率があって、何人入れるということをやるのです。どうやって決めるかというと、まず上司が一回目採点して出すわけです。そうすると、みんな自分のところの部下は引き立ててやろうとしますので、みんな良い点数のところに集まるのです。それでは困るので調整します。自分のところの彼と君のところの彼とはどちらが良い仕事をしたか、皆さんどう思う、と。そうしても決まらないときには部長に任せる。我々のときにもそうでしたが今は不景気で人が余っているのでどんどん辞めて欲しいということになっているのです。アメリカでは数年前から大学卒の人までどんどん首を切られています。日本でもそれほど厳しくないけれど年俸制というのが入ってきているようです。プロのサッカーや野球選手は契約で年俸を決めるのですが、普通の会社員でも、こういう仕事をするからいくら欲しい、ということを宣言させる。うまく行ったらそれだけもらえるし、だめだったら来年減らされる。そうなりつつあります。

  プロというのは金を稼いで生きていくときには、少々の嫌なこと も金のためだと思う。本当は、嫌なというのはあまり良いことでは ありませんので、本当に自分のやりたいことが見つかってやってい ければそれはそれで良いと思いますが。プロというのは、とにかく 行きががり上やる、俺はやると決めたと。金をもらっているからに は、やればいいんだろうと。それでいいんじゃないかと思います。

  話を少し変えますが心理学の岸田秀という和光大学の先生が面白 いことを言っています。「幻想」ということです。人間は動物と違って、偉そうなことを言っているが人間は本能が壊れて生まれてきた動物だと。動物は生まれたときにプログラムされているのである程度成長したら雌を探して子供をつくって、というようなことが自動的に悩まずにすむようになっているのです。ところが人間は早い時期に生まれて、母親が数年もかけて世話をしないと一人では生活できないのです。馬などは生まれ落ちたらすぐ立ち上がれるのに人間の赤ちゃんは立ち上がれない。その間に色々なことが特に母親を通して子供に入るのです。人間は本能で行動できないので、何の行動をするにしても何か基準を持たなければならない。それを個人個人が全部作りあげている。それについては、これは良い、これは悪いというようなことはない、とその先生は言っています。私もそういう気がしています。絶対的な価値というのはない。あるいは聖なるものはない。みんな幻想だ、お前がそう思っているだけだ、というような言い方をしています。本当の私とは何かと高校時代から大学時代、考えてみたことがあったのですが、皆さんもそういうことで 悩んでいる人もいると思いますが、ひとつそういう考え方もあるのだと思ってみたらどうでしょうか。

  プロという話が出たのですが、会社というところは厳しくて、研
究所から取締役になった人がいたのですが、その人が盛んにプロと いうことを言っていました。我々が課長になったとき研修があるの ですが、その席で、プロとは何か、要するに集団から離れても生きて行ける男だといっていました。組織のなかで偉い人というのは確かにその中では生きていけるのですが、組織から離れて生きていけるか。組織から離れて生きていくのは自分の力だけです。知力、体力含めて自分の力です。 それができる男がプロだと言っていたのですが、その取締役も突然解任されました。下から上がってくる人を取締役にするためだったらしいのです。今大学の教授として会社を出ましたが、楽しそうにやってらっしゃいます。君たちも将来これでよかったのかなとか色々考えると思いますが、金を稼ぐ、金をもらって生きていくという時にはそういう考え方も悪くはないと思い ます。

 生きているとはどういうことかを色々考えていく上で参考になる 本があります。「君たちはどう生きるか」吉野源三郎という人の本で岩波書店から出ています。その中で、少年がデパートの屋上から、 沢山の人が、アリがうごめくかのように動いているのを見下ろしていたら、突然、自分もあの中の一人だ、自分はいろんな人の中で生きているのだとその時、思うのです。そしておじさんにその事を話したらよく気がついたと言われます。また別の話しになりますが、神経症の治療をするときに黙って衝立だけおいて、その中に患者をおいて、何でもいいから自分の昔のことを一生懸命考えて思い出してくださいというのがあるそうです。先生は時々きて、どうですか、 思い出しましたかと聞くだけ。結局じっくり考えてみると、我々は小さいときから親の世話になって、たくさんの人の世話になって育ててもらったというのが確かにあるのです。じっとそこを考えたら、ジタバタしなくてすむということかもしれませんね。 私は大学で教えているわけですが、昔やっていたことが段々世界的にも認められてきまして、スウェーデンでの学会に行ってきたば かりなのですが、イタリアの人がお前たちのはとてもいいから、ヨー ロッパの方式に使ってみたいと言ってくれたりしています。

 私は決して高校のときに成績が良かったわけでもないと思います。私は長崎南高校というところの一回生です。できたばかりの高校で四クラスあり、ークラスは就職クラスで残り三クラスが進学のクラスでし た。先生は一所懸命教えてくださって、東大に二人現役で行きまし て、九大に四人入って、私はその中の一人でした。一所懸命勉強しまして、ガリ勉だと言われていたと思います。ただーつ思っていたのは要するに話は簡単なのだと。いっぱい難しいことが出てくるが、 わかってしまえば簡単なのだと。 例えば微分というのは結局何だと考えてみると、ニュートンだとかライプニッツだとかがものすごい時間と体力、知力を使ってそこ まで到達しているのですが、それをもとにして我々が考えてみると、 ああそういうこと、とすぐ理解できますよね。大学の先生がずいぶん偉そうなこと言っているかもしれませんが、私が新入生への挨拶で言うのは、講義ではものすごく難しい概念が沢山出てくる。だけど研究室に来てごらん、バカみたいなことをやっているよと。言われてみれば当たり前。でもまだ誰も言っていない新しいだろうということしかやってない。わかってしまえばとても簡単。だけどわかるまではちょっと時間がかかる。一番最初にわかった人はものすごい苦労をしている。それを先生たちが君たちに教えている。教え方によって非常に差があるということは私も先生の一人として感じています。試験をしてみてがっかりすることもあります。だけどわかってしまえばとても簡単。簡単でないときには、俺はわかってないと 思ってください。

  そのーつの例として小学校一年生のときの話をしたいと思います。 算数の授業だったのですが、だいぶ年とったお母さん先生が教えて いました。 38を足したら11になるというような繰り上がりの足 し算でした。先生は一人の生徒を立たせて、説明したわけですが、彼はわからなかった。それでもう一度説明した。そしたらまだわか らない 。で、三度目の説明をした。「これでわかったね」というと 彼は「先生、まだわからん」。そしたらその先生が「えらいーと言っ たのです。「あなたはえらい。わからないことをわからないというのは偉いことなのです、皆さん」と言ってくれたのです。私も今までやってきてプロとしていくらか金を稼がせてもらっているけれど、その一つだけ。あの小学校1年生のとき先生の言った「わからないことをわからないというのは偉いのです」だけ。じゃあそういうことは言わないようにしようと。自分のなかで本当にわかったのだろうか、といつも自分に言い聞かせて、わかろうと努力をしてきました。

 先ほど言ったようにわかってしまえばそんなに難しい話はないのだと。もう少ししっくりこないなというのはやはりわかっていないのだと。どこがわからないのか、どこで引っかかっているのかと自分でジーッと考えてみる。そうすると、ハハーンというところが出てきます。これを大学や会社の研究でテストしてみます。すると、 驚くべき効果があります。皆さん誰かが言うと、はあ、はあとなっ てわかったような顔をしていることが多いのです。それはこうだと思い込んでしまう。デジタル変調方式といって、10のパルスの 信号を無線の周波数にのせる作業があります。変調と言います。 それでFMという技術がありまして、FM通信じゃないと移動通信では使いものにならないという話があったのです。自動車電話を作 るときも、警察の無線機を作るときもFM系統のデジタルの方式を世界中どこでもやっていました。ところがある日、上司にAMを考 えてみたらどうかと言われたのです。AMというのはラジオのAMです。あの方式でデジタルを導入したらどうかと。確かにその方が帯域が狭くなっていいことは間違いなかったのですが、みんなそれはできないというのが常識だったのです。僕もすぐ常識を言ったのです。そしたら上司に「お前はNECの研究所にいるのじゃないか。 研究所というのは誰もやらないことをやる所じゃないか。考えてみ たか。」と。「では考えてみましょう。」と私は言いました。私の偉かったのはそこで素直に考えてみたこと、それと小学校一年生のときのその先生の言ったことを思い出して、ではどこがだめなのか徹底的にわかっているのか考えてみたこと。そしたら確かに難しくてできなかったのですが、ちょっと発想を変えてみてですね、実は昔 SSBという技術にあったやつを拝借して送信機の問題を解決したのです。受信機のほうはちょっと考えたら、こだわらなければこれでやっていけるのでは、というのが浮かんで、やってみたらバッサリとうまくいった。それでアメリカの学会からアバンギャルド賞というのをもらいました。アバンギャルドといったら「前衛」という意味です。今まで誰もやらなかったことをやったという賞です。それから日本の学会の業績賞というのをもらいました。すべての研究者が学会発表のときの枕言葉として、移動通信にはFMしか使えません、何故ならば、これこれこういう問題があってと、ずっと言っていた。それが我々の発表がうまくいったら一夜にしてみんな我々 AMのほうにきた。今は当然という事になっていますが。ヨーロッ パの自動車電話も、私の発表があと一年早ければこのやり方にしたの にと言われたことがあります。これぐらいの話では、よしわかった、 俺もわからないというのを正直に言えるようになろうというのは難しいとは思いますが。

  学生にもしょっちゆう言っています。この前ゼミをやっていて一 人が発表して「皆さん、よろしいですか。質問ありませんか」とやるとみんな黙っているのです。それでこれは絶対わかってないなと思って、一人に「君、質問ないなら何でこんな式が出てくるか黒 板でやれよ」と言った。するとやっぱりできない。「僕がわかったふりするのがいかに嫌いか知ってるだろう」と怒鳴りつけました。 まあ無理もないとは思います。自分がわかったのか、わかってないかがわからないのだとは思うのですが、わかれば非常に簡単になる話なのです。

 簡単ではない話も確かにあると思います。えらく込み入っていて、 人間がからんだりとか、世界がどうやって生き延びていくのがとか は一筋縄ではいかないと思います。でもわからないということ、お互いに意思が通じないということを大前提にして話し合っていけば、 いくらかは何かが進むはずなのです。ところが日本人同士だろう、 同じ人間だろう、わかるのは当たり前だ、といった前提でいくと、これは危ないと思います。わかりあえないのが当然です。そういう人たちが本当に苦労してわかりあった瞬間は、かなり良くわかっているということになります。君達の中にもいづれ結婚して子供を持つ人がかなりいると思いますが、子供もなかなかわからないし、夫婦というのもなかなかわかりにくいです。だけどそのわかりにくいということを頭において、わかりさえすれば、ひょっとしたら何とかなるのではないかと思ってみてください。

  もうーつどうしても言いたかったのは、年をとってくると段々わ かると思いますが、人間が生きていくというのは悲しいものなので す。 好きな人に好かれないというのは悲しいし、親が死ねば悲しい 、あるいは学校に行きたくてもどうしても働かねばならないというのも悲しい。アフリカで飢えた少女がうずくまっているのをハゲタカが後ろから狙っている写真がいつか新聞に出ていましたが、あ れも悲しい。私の高校の校長はとてもきびしい人で、声が大きくて、 よく「何だ!」とか怒鳴りつけていました。ある時、朝礼で、「人の悲しみを分かる人間になれ」と話されたことがありました。その時、私は よくわかりませんでした。ところが次第に年をとってきますと、人の世の悲しみはいっ ぱいあると少しわかるようになった気がします。

以上で私の話を終わらせてもらいます。  どうも有り難うございま す。

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