技術開発について 


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技術開発について  (国際電気技報 No. 17(ずいぶん前に掲載済)

 九州工業大学情報工学部教授
工学博士 赤岩芳彦

 小学校1 年生の算数の授業の時であった。 たしか、繰り上りを伴う足し算を習っていたと思う。担任の女の先生がある生徒を立たせて、彼に対して黒板で説明した。 終わってか ら彼に、”分かったか”と問うた。 彼は分からないと答えた。先生はまた説明した。次も彼は分からなかったと答えた。先生はもう一度 説明した。このときも彼は分からないと答えた。そうすると先生は大声で、あなたは偉い”と言った。そして全員に向って、分からないことを分からないと言えるのは立派なことで   とおっしゃった。

 大学を卒業して21年間、多少なりとも技術 開発に携ってきて感ずることは、小学校でのこの一場面がおそらく、私が仕事をする際の心構えとなっていたようであるということで ある。しかし、一体、分かるということはどういうことであろうか。たしかに分かったつ もりであったのに、実際になるとそうでなかったことは、たびたびある。例えば、ある考え方に基づいて、何かを設計しようとするときなどである。大抵は、理解不足のため、どこかで作業が中断される。あるいは、どうしてもうまくいかず、結局は理解の誤りに気がつかされることがある。技術開発の面白さは、このように分かったと思うこと、あるいはこれでよいはずだと思っていたことが、しばし ばひっくり返されるところにある。ただし、 開発品が製造に移ったり、すでに客先に渡ってからこのような事態になれば、面白さを通り越したことになる。このような事態においても、面白いと少なくとも腹の中で感じられ る人が上司にいたら、担当者は幸せだろう。
  
 技術開発の面白さをもう少し探してみよう。私の子供の頃の田舎での話である。”地下蜂”と呼ばれる嫌われ者の男がいた。詳しくは知らないが、地下蜂というのは、地中に巣を作ってむやみに刺す性質があると聞いてい る。台風が近づいたりすると舟を陸に上げる 必要があるが、2-3人ではとてもできない。 しかし、仲間はずれになると協力してもらえ ない。あるいは、本人が頭を下げたくない。 そこで、その男はコロとカグラを使う方法を工夫して、他人の手を借りずに息子とだけで 舟を上げていた。その他、山から木を切り出すとき、滑車とロープをたくみに使って、その男は仕事の能率を上げていた。酒に酔うと狂暴になることがある男であったが、私はいまでも、その人の顔立に昂然たる要素があったことを憶えている。ここに、技術者の一側面があると思う。

    技術が高度になるに従い、あるいは複雑な装置になるにつれて、多数の人が技術開発に絡んでくる。しかも、大抵の技術開発は経済活動の一環として行われている。経済活動においては、タイミングとコストパフォーマンスが重要である。技術者の数は担当者から見 れば足りないのが常であるから、タイミングを逸しないために、開発を急がされる。製品開発においては、守備範囲が異なる多数の人間の意見のやりとり(交通)が行われる。各々の立場が異なるのであるから、意見の整合をとるのはかなり困難である。読みかじりによ れば、最近の哲学界では、これまでどちらか と言えば暗黙のうちに、あるいは容易に、意味あるいは目的を他者と共有できるとしてい たことに対して疑間を呈して、これは本当は 困難なことで、他者と通じ合える(交通という用語が使われていることもある)ためには、 命がけの跳躍  をなさなければならないと主張し、この立場から議論を進めている人がいる。脱構築とか脱中心とか、差違という概念もこれに近いものと思う。意志の交通を、例えば先生と生徒、あるいは製品の製造者と顧客といった非可逆的な関係から考えてみようとする立場である。私の理解がまちがっていなければ、このようなことは開発技術者から見れば、先に述べたことから何をいまさら そんなことをという感じもする。ただし、私 個人としてはこのような考え方が好きであ る。

    技術開発から製造、販売に至るまでをうまく機能させるために、種々の体制が作られている。工場の開発部での経験はさほど長くな いので、当たっているかどうかは分からないが、同じ目的を有する組織に属しており、 他者との交渉がひんぱんに行われているので、 意志の交通は見かけ上、問題のないように見えやすい。それは、命がけの跳躍は大げさとしても、組織の中にいて技術者個人の差違 が希薄になっているからだろうと思う。技術開発の源は、必ず個人にあると理解した方がよい。上司あるいは同僚を他者としてみた場 合、各個人の分かっていることの差違の上に意志の交通が成立し、触発が起こる。

   技術者個人の差違はどのようにして作られるか。それは、自分の経験したこと、考えたことを、自分の方法で分かっていることではなかろうか。この場合、分かっているとは、何らかの体系で経験を整理しているか、何らかの卑近な例に対応づけを行っているのではないかと思う。体系に整理することは、ひからびた概念をしまい込んでおくことではなく、抽象から具体へ、あるいはこの逆の過程を一気に急降下しても窒息しないで耐えられることである。また、分かっていると言わないまでも、何かを感じる力も技術者の差違になるであろう。感じる力とは、直観力と言ってもよいだろうか。また、私事で恐縮であるが、会社にいた頃、移動通信用のディジタル変復調方式を開発していたときのことである。上司に自分の仕事の状況を説明した際に、 私の話で前提としている点に疑問を感じるとつぶやかれた。彼の直観力である。私も行き詰まっていたので、この前提をはずして、調査し考えた結果、有利であることは分かってはいたものの、移動通信に導入するのは難しいとして手を付けられていなかった、ディジ タル線形変調方式を提案することができた。 この方式は、米国で開発中のディジタル自動車電話に採用されることとなった。このとき の上司の感じる力に感謝している。

   この雑誌の19893月号に、私の研究分野 に関わる二つの論文 (占部、「1チップCPUを用いた相関検波信号処理」、及び、牛山、坂本、渡辺、「移動通信用小型アンテナ」)が掲載されている。いずれも、結果だけ示されると簡単のような技術に思える。しかし、技術としての価値を考えるとすばらしい。どのような糸口から、このような技術の開発が行われたか興味が持たれる。担当者は、単に落ちついて考えてみただけ、あるいはガリガリやっただけと言われるかも知れない。どうであろうが、やった者が勝ちだ。

   技術開発は面白い。時間を忘れさせてくれる。開発に成功した喜びは、技術者にほどよ い自負心を与えてくれる。技術開発こそは、 経済活動において、マネーゲームとは異なり、 新しい価値を生み出す。一度、技術開発の面白さを知ったら、これを忘れるのは難しい。

   技術開発について感じていることを、やや大げさに述べさせていただいた。貴重な紙面 を提供していただいたことを感謝します。

執筆者の略歴
 赤岩芳彦(あかいわよしひこ)
 昭和43年:九州大学工学部電子工学科卒業
 同年:日本電気欄中央研究所に入所し、マイクロ波 回路及び移動通
   信の研究開発に従事
 昭和54年:工学博士
 昭和60年:移動通信事業部通信開発部を経て複合方式開 発部
 昭和63年~現在 :九)科工業大学情報工学部電子情報工学科教授
   移動無線通信システム、殊にディジタル変調/復調方式、 クラ
  ンブル技術、及びセルラーシステムの研究開発に従事

 

国際電気技報 No 17 (pp. 3-5)

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