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講演 「私の学生、会社、大学時代」

これは、ずいぶん昔に、高校の文化祭に呼ばれて体育館で全校生の前で喋ったものです。 講演録音から学校側が文字に起こして、学内報に載せてくれたものです。終活活動の一つとして、例によって、スキャナでPDFファイルにして、https://www.onlineocr.net/で無料でword ファイルに変換してもらいました。縦書きの2段組の原稿でしたが、かなりの精度で変換してくれました。 嘉穂高校 文化講演会  「私の学生、会社、大学時代」 九州工業大学教授    赤岩 芳 彦  ただ今ご紹介いただきました赤岩です。今日はどういうことを話そうか考えたのですが、私は会社にもいたことがあるし、今は大学の先生をしている。会社のことも含めてその辺の話をさせていただきたいと思います。話す順番は逆にいってみたいと思います。 まずは大学の生活を少し紹介してみたいと思います。例えば、今は就職の時期です。学生が会社の面接に行ったり内定をもらってきたりしでいます。四年生になると研究室に配属になりまして、我々の研究室では今、学生は、朝九時から十二時までアメリカのテキストを皆で分担して読んでいます。最初のころ英語は嫌いで、特に九工 大の学生は英語が苦手な生徒が多く、真っ赤になるくらい辞書で単語をたくさん調べていますがそれが何か月かたってくると技術系の専門用語ですのでかなり慣れてきて、英語はこんなに簡単だったのかと皆さん一様に言います。高校時代の受験英語はすごく面倒くさかったのに理科系の技術の英語というのはわかりやすい、かえって 日本語よりわかりやすい位だと言っています。  そのほか大学では研究室にきて、一年間卒業研究をやっています。 修士課程になれば二年ぐらい研究しているので新しいことを発表で きるのです。ちょうど今、電子情報通信学会の秋の全国大会に向け て、修士の二年生と卒業したての助手が論文準備をして夜遅くまで頑張っています。学会とは何かというとちょうど皆さんの文化祭のようなもので、1年間やってきたことを発表するのです。それがよければ会社なども注目してくれまして次々とそれを発展させたことをやれます。面白くなければ、またあんなつまらないことをしてる、 と知らん顔されるということにもなります。

技術開発について 

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  紙の別刷から、ウェブサイトのサービスで、電子ファイルに変換したものです。 技術開発について  (国際電気技報 No. 17(ずいぶん前に掲載済)   九州工業大学情報工学部教授 工学博士 赤岩芳彦  小学校 1 年生の算数の授業の時であった。 たしか、繰り上りを伴う足し算を習っていたと思う。担任の女の先生がある生徒を立たせて、彼に対して黒板で説明した。 終わってか ら彼に、”分かったか”と問うた。 彼は分からないと答えた。先生はまた説明した。次も彼は分からなかったと答えた。先生はもう一度 説明した。このときも彼は分からないと答えた。そうすると先生は大声で、 ” あなたは偉い”と言った。そして全員に向って、 ” 分からないことを分からないと言えるのは立派なことで す ”   とおっしゃった。  大学を卒業して 21 年間、多少なりとも技術 開発に携ってきて感ずることは、小学校でのこの一場面がおそらく、私が仕事をする際の心構えとなっていたようであるということで ある。しかし、一体、分かるということはどういうことであろうか。たしかに分かったつ もりであったのに、実際になるとそうでなかったことは、たびたびある。例えば、ある考え方に基づいて、何かを設計しようとするときなどである。大抵は、理解不足のため、どこかで作業が中断される。あるいは、どうしてもうまくいかず、結局は理解の誤りに気がつかされることがある。技術開発の面白さは、このように分かったと思うこと、あるいはこれでよいはずだと思っていたことが、しばし ばひっくり返されるところにある。ただし、 開発品が製造に移ったり、すでに客先に渡ってからこのような事態になれば、面白さを通り越したことになる。このような事態においても、面白いと少なくとも腹の中で感じられ る人が上司にいたら、担当者は幸せだろう。     技術開発の面白さをもう少し探してみよう。私の子供の頃の田舎での話である。”地下蜂”と呼ばれる嫌われ者の男がいた。詳しくは知らないが、地下蜂というのは、地中に巣を作ってむやみに刺す性質があると聞いてい る。台風が近づいたりすると舟を陸に上げる 必要があるが、 2-3 人ではとてもできない。 しかし、仲間はずれになると協力しても

初めてのヒラマサ釣り

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今度の釣果               手前が私の船(定員:8名) 10月の中旬から2週間ほど、五島の奈留島の実家に帰っていました。今回の目的は、ヒラマサ釣りです。台風がたて続けに来たので、船を降ろすことができず、ヤキモキしてました。もっぱら、堤防からの釣りで、ムツを釣っていた。例年だとカマスが回遊してくるのだけれど、島のどの湾にも魚影が少ない。それで、これを追ってくるヒラマサもあまり釣れていない。 低気圧が来る前の日に、波がおさまって、朝6時半に出港した。今回、船を出したのはこれが1回のみである。ネットで情報を仕入れたヒラマサ釣りの仕掛けとして、年寄り向けの、light slow ジギングを用意した。湾の外に 出て、いつもタイラバ仕掛けでハタを釣る場所を選んだ。シャクっていて、何回目でいきなりこれまで感じたことが無い強い引きが来た。慌てて竿をたて、リールのドラグ締めた。ほどなく、バレた。リールを巻いて確かめてみると、ステンレス製のスナップサルカンが壊れたのか、仕掛けと一緒に無くなっていた。 ヒラマサなどの青モノは横に走ると聞いていたので大きなハタだったのだろうと思っていた。サルカンはやめにして、仕掛けはリングに直付けにした。 新しく投入して、誘っていたら、きた。今度はドラグを調整しながら、慎重にやり取りをした。竿が弓なりになる。必死に少しずつ巻き上げる。あまり横には走らず、途中で何度も首を振って抵抗する。大きな真鯛のような引きである。上がってきて魚体が見えた。銀色で長い。ヒラマサと確信した。タモを手に取っていると最後の抵抗で、ドラグ力を超えて、pe(ポリエステル)製の糸が激しく出て行き、指先が摩擦で痛くなった。釣り上げたのが、写真にある大きい方である。計ってみたら、ちょうど4キロであった。その後、小さい方の一匹がかかった。また、同じ仕掛けで、オオモンハタ(地元ではモアラと呼ぶ)を上げた。写真にある、丸い模様がある茶色の方である。その後、当たりが無くなったので、いつものタイラバ仕掛けで釣った。小さい方のオオモンハタと、赤い色のアカハタ(地元ではアカンジョ)を3匹(地元では大きな魚はコンと数える)上げた。アカハタは、昔は、男女群島にしか居なっかそうである。近年の海水温の上昇で、五島でも釣れるようになった。ちなみに、地元では、ハタの仲間で

今年の芥川賞

小説を読まなくなってから久しい。最後に、本を買って読んだ小説は、井上ひさしの「一週間」だと思う。その後は、(朝日)新聞連載小説として、宮部みゆき、吉田修一(高校の後輩)、および、夏目漱石の復刻シリーズを読んだ。また、昨年と今年の芥川賞作品は、文藝春秋に掲載されたものを読んだ。これは、同賞が掲載される 9 月に、たまたま、2年続けて入院したおり(前立腺癌の経過観察)、娘が暇つぶしのため、買ってきてくれたからである。どちらの作品も作者の名前は忘れてしまった。題目は、昨年が「コンビニ人間」、今年が、「紫色のスカートの女」である。 娘が読後の感想として、昨年と今年とでどちらが気に入ったかと聞いてきたので、どちらかといえば、昨年の「コンビニ人間」と答えた。「紫色のスカートの女」は、手法の新しさは認めるものの、才能に任せて書いた娯楽小説のような印象を持ったからである。作者が書きたいという意思は、「コンビニ人間」の方が勝っていると感じた。娘には、画家でいえば、ピカソとゴッホの違いかなと付け加えて言った。 一番、興味を持てたのは、今年の選者たちの評である(今、確認すると、小川洋子、高樹のぶ子、奥泉光、山田詠美、島田雅彦、川上弘美、宮本輝、吉田修一、堀江敏幸である。こんなにたくさんいたのには驚く。こんなに多いと、評価が平均的になってしまわないかと、気になる)。高樹のぶ子は、 18 年間続けた選者を今年で降りたそうである。彼女は、辞めるにあたって、芥川賞とその選考についての感想と思い出を、 6 ページにわたって書いている。彼女が選考委員を辞める気になったのは、他の選考委員達との評価意見の違いだそうだ。昨年の選考会で、「コンビニ人間」にたくさんの票が集まったのに対して、彼女はこの作品を理解できなかったと書いている。 今年の選考会でもそうだったのではないかと私は思う。 世の中に付いて行けなくなっているのは、私もである。つい先日、 74 歳になってしまった。文学作品はどうでもよいとして、政治や経済の動きと、その時流に乗っている人達の考え方や行動は、どうしても納得できない。高樹のぶ子は、余生を作家活動に当てるそうである。頑張って欲し