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太陽熱温水器用配水設備の改良

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  この 温水器システムの製作 と 増設についてはブログ に書いた。最近になって、水流が弱くなっていた。風呂に温水を送るのに、 1 時間以上かかる。また、ポンプの音が前よりずっと大きい。ポンプが壊れかかったものと思い、買い換えた。しかも、時をおかずにもう一度買い替えた。 そのいきさつについて書く。   初代ポンプは、魚鑑賞水槽用の DC12V 、 18W の小型である。 2 台従続につなげて運転していた。一方は、温水タンク内の温度差を少なくするために、水を日中ゆっくり循環させるのに使ってきた。一方が壊れたので、主ポンプとするために、 2 代目として、  DC12V 、 60W の強力なものを、 1 年半前に買った。今回は、この買い換えたものが壊れたと思った。これは、ダイアフラム式であり、薄い振動板と一方向性弁を使って、水を送るしかけになっている。ダイアフラム式の特長は空気をも圧送できるところにある。これにより、呼び水を注入する必要が無い。ただし、動作音が大きい。   初代、 3 代、 4 代のポンプは、プラスチック製羽根車が回転するだけの簡単な構造である。ブラシレス直流モーターであり、永久磁石が羽根車と一緒に回転する簡単な構造だ。空気を吸い込み圧送する能力はほぼないので、ポンプの入口に空気があると水を吸い上げることができない。したがって、始動の際にポンプの入り口にある空気を逃がしてやる操作が必要である。子供の頃に実家にあった海水を汲み上げるポンプはロータリーポンプであった。これは、 2 つの金属歯車がかみ合って回転するので、初動のとき少しの水を入れてあげると、パイプ内部の空気を吸って圧を下げることで、海水が歯車まで上ってくる仕組みであった。     水が無くなって   負荷が軽くなると、ダイヤフラム式では振動数が、羽根車式では回転数が異常に高くなって、軸受けが損傷するらしい。説明書の注意書にしっかりと書いてある。   風呂に温水をポンプで上げているとき、これを忘れてしまって空運転を長時間続けたことが、何度もあった。これが故障の原因だと思い込んでいた。   今回、最初に買った 3 代目は、交流 100V 、 ...

ヨシズ日避の改良製作

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  九州では今年の梅雨明けがいつもより 3 週間は早かった。例年、梅雨明けの後には、日避けを作る。南面の部屋が 4 つあるので、そこそこの手間である。座敷間の日よけは下がり藤の棚が果たしてくれる。居間の方には、洗濯物干し台のアクリル屋根があるので少しは和らぐ。これまでは、念を入れて、薄い日よけシートをその上にかけていた。離れの和室の方には、ヨシズで日よけを作っていた。食堂には、朝日よけの東側と、南側に、スダレを斜めに張って対応していた。歳のせいか、今年はどうもやる気がしない。言い訳をすれば、今年導入した太陽光発電のおかげで電気代を気にしないで、早朝からエアコンで 1 階全体を冷房していることもある。   日よけは夏の景観としても心地よい。それで、一念発起で食堂の南面のみに、ヨシズの日よけを置くことにした。去年、離れの和室用に使っていたものをそのまま使える。組み立ててみると、どうも安定しない。すだれと違いずっと重い。しかも、悪いことに、窓の外は引き戸雨戸ではなくシャッターであるので、ヨシズをシャッター格納屋根に固定することが難しい。スダレの時に使っていたフック付きの強力マグネット 4 個では、ヨシズに引っ張られて、もたない。支柱の傾斜角を変えると、支柱とヨシズの取り付け構造用の理由で、これまた安定しない。離れの和室の雨戸は引き戸であったのと、反対側には雨どいの固定金具があったので問題なかった。   一晩寝ながら、改良案を練った。歳を取っても問題解決案をひねり出す能力はさほど衰えない。時間がいくらでもあるので楽しい。問題の本質は、ヨシズの家側の端をどのようにして、しっかり固定するかである。例によって、最初はうまい案が出ない。ここで、発想の転換をした。取り付けを頑丈にしなくて済む方法がないかと考えたのである。あとは簡単である。反対側の支柱をしっかりとさせれば良いのだ。家側のヨシズの端は磁石付きのフックで軽く止め、うきあがりを防ぐためにワイヤー線で地面方向に引っ張れば良い。   出来上がった作品を写真で示す。鉄パイプ支柱(農業用の、ビニール被覆した鉄パイプ)を合計4本に増やして、各組を逆さ V 字型にして、地面につきたてる。そして、別のパイプに縛ったヨシズを受ける。これで家...

麻田雅文「日ソ戦争」 - 帝国日本最後の戦い (中公新書2024)

  4 月 25 日初版、 11 月 15 日 8 版、 5 万部突破。   著者は 1980 年 ( 昭和 55) 生れ、学習院大学文部部史学科卒業。まずは、帯に書かれている文章をそのまま紹介する。     日ソ戦争とは、 1945 年 8 月 8 日から 9 月上旬まで、満州 / 朝鮮半島 / 南樺太 / 千島列島で行われた第 2 次世界大戦最後の全面戦争である。短期間ながら両軍の参加兵力は 200 万人を超え、玉音放送後に戦闘が始まる地域もあり、戦後を見据えた戦争だった。これまでソ連の中立条約破棄、非人道的な戦闘など断片的には知られてきたが、本書は新資料を駆使し、米国のソ連への参戦要請から各地での戦争の実態、終戦までの全貌を描く。   加藤陽子: 日本軍の本質を描く決定版。本書は最も信頼でき、最初に手に取るべき本として、長く読み継がれていくだろう。 小泉悠: 本書を通読して実感するのは、政治指導者や軍人たちの酷薄さである。記憶の風化に抗おうとする本書の意義は大変に大きい。   「はじめに」の冒頭に次のように書く。 1945 年 8 月 8 日、ソ連は日本へ宣戦布告した。 なぜ、ソ連は第二次世界大戦の終わりになって参戦したのか。 日本はなぜこの直前まで、ソ連に期待して外交を続けていたのか。 玉音放送が流れた 8 月 15 日以降も、なぜ日ソ両軍は戦い続けたのか 。   章立ては次の通り 第 1 章 開戦までの国家戦略 ( 日米ソの角遂 )  第 2 章   満洲の発足、関東軍の壊滅、   第 3 章   南樺太と千島列島への侵攻   第 4 章   日本の復讐を恐れたスターリン   「おわりに」 - 「自衛」でも「解放」でもなく   日ソ戦争は、従来、日本側から見たら「自衛戦争」、一方ソ連から見たら「軍国主義」日本の「解放戦争」とされてきた。著者はこの見方を離れて、「 アメリカ が及ぼした影響、日ソ双方の勝因と敗因、現代とのながリ」を考える。     以下、私が気になったところを...

中国の歴史と論理

  中国は一筋縄には理解できない不思議な国である。多くの中国人は日本を嫌いだと言われる。しかし、最近は豊かになって、日本観光に大挙して来て、ついでに、爆買いし、金を落としてくれている。経済的には、米国を脅かすほどになって、日本を含めて、世界の国々がその動向に影響を受けている。その歴史と文化は、先進西洋諸国に決して負けてはいない。日本は中国の文化文明に多大の恩恵を受けてきた。しかし、産業革命に始まる近代化に乗り遅れ、清朝末期には外国から侵蝕された。さらには、先の日中戦争では、多大の損害を受けた。この時の屈辱、過去の栄光、現在での経済発展がないまぜになって、中国人の言動の理解を難しくしているのであろう。   私は、高校で漢文を習ったのを契機にして、中国の思想、哲学に興味を抱いていた。特に、荘子と老子、その後、毛沢東に興味を惹かれて、そこそこの冊数の本を読んできた。若いときには会社を辞めて、中国哲学の研究者になろうかと真面目に考えたこともある。私が興味を持ったこれらの中国思想は今ではさほど重要視されていないようだ。「老荘」思想と、毛沢東の人民の幸福を追求する姿勢は、たとえ行き過ぎと経済的失敗はあったしても、私には大事に思える。   最近、 岡本隆司、「倭寇とは何か」(新潮新書、 2025 年 2 月 20 日)を買って読んだ。副題は、 - 中華を揺さぶる「海賊」の正体 - である。 著者 (1965 年生まれ、神戸大学文学部、京大大学院(文学)卒 、現在は早稲田大学教授 ) 、については、「週刊東洋経済」に連載していたときに知り注目していた。事の本質を的確にとらえる論旨は、特筆しておきたい。「なぜか」を常に正面に据えての論の展開に無理が無いので読みやすい。本人が書いた著作の心構えを抜粋しておく。   勤め先で数年前から講義してきた「東洋史概論」が、小著のベースになっている。学生諸君に東洋史学、中国史的慨略を掴んでもらう授業ながら、半ば強要した話ではあって、 それだけに「悪評」嘖嘖、「わからない」「厳しい」と毎年お叱りをいただいた。自身の力不足は棚上げすれば、中国の話は日本と多分に異質だし、どうしても漢字がたくさん出てくるので、漢語にあまり親しまなくなった若い方々で...