日本銀行 我が国に迫る危機

  河村小百合、講談社現代新書20233 

東洋経済新報社の「石橋湛山賞」の発表を見て、この本を買って読 んだ。 アベノミクスに呼応するための、黒田日銀政策の結果が近い将来、日本経済に与える危機を詳しく論じている。表紙には、タイタニック号沈没の絵が出ていて、日本経済の沈没の危機を表している。

 

財政破綻の例として、ギリシャ、アイスランド、それと日本の敗戦後を上げている。敗戦後の財政措置として、ハイパーインフレを起しただけと私は理解していた。事実は新紙幣を発行して、預金引き出しを封鎖するとともに、資産課税 (財産税) を断行した。税率は25%から始まり、上限は最高90% であったそうだ。これにより、政府は国民からの借金を事実上踏み倒した。

 

アベノミクスの放漫財政を支えるために、(黒田)日銀の財政情況として、国債を買い増した結果 、国債546兆円、共通担保オペ(?) 80.1兆円、 株価上げのために購入したETF 36.9兆円と合わせて総資産約685兆円である (20229月末)。名目GDP (国民総生産費) 比にして、約123%と大きい。 ついでに政府の債務残高は約1,100兆円である。これは GDP比にして260% である。この値は敗戦直前のGDP比とほぼ同じである。また、政府の予算総額 (2024年度) 112.5兆円であり、そのうち、借金に当る国債費は35.42兆円  (31)である。国民の経済感覚からしたら、この借金依存は異状であることはまちがいない。

 

著者の言わんとすることは、このような財政運営が永続きする わけはなく、いずれ、敗戦時のような悲惨な状況に突入すると警告している。そのためには、私たち1人ひとりが、「甘え」、「無理解 」、「無責任」から脱却しなければならないと指摘する。 

 

著者の主張に対する反論も紹介しているので、ここに書く。 

・超低利状態は中央銀行が簡単に作り出せるもので、いくらでも長引きかせる

 ことができ、今後ももっと続けるべきだ(リフレ派) 

・日銀が赤字になって困るなら、国債を発行し日銀に買い入れさせ、それを元

 手に日銀の損失を補填すればよい 

・我が国には2,000兆円を超える家計 (国民) 貯蓄があるから財政破綻など起き

 るはずはない 

・我が国は国債のほとんどを国内で消化しているから財政破綻することはない 

 

著者はこれらの考えがまちがっていることをデータや実例を用いて示している。 ここでは、それらを紹介することはやめる。その代わりに、素人ながら私の 理解していることを書く。議論の前提として、日銀の役割を次のように定める (正しいかどうか は要検証)

 

・日本銀行券を発行し、金融機関 (銀行) 貸しつける。その利益は国へ渡す。

 ただし、貸し付け先銀行が破産すると損失を被る。この時には国が助ける。 

日銀を介する銀行間の金の貸し借りの際の金利を (短期的に操作することで、

 長期金利も管理する。 

 

以上が本業のようである。しかし、最近のように、次の業務も行っている。 

国債を買い取って政府に金を渡す 

ETF (株式) を買い取って、民間に直接金を流す 

 

 インフレとは物価高騰を言う。これは貨幣の価値が相対的に低くなることを意味する。貨幣の価値が低くなったとしても、それが安定して変わらなければ、さしたる問題はない。紙幣に印刷される数字が例えば、100000(円)と大きくなるだけで済む(韓国では現状)。嫌なら通貨切り下げ(denomination)をすれば良い。貨幣の価値が時とともに下(上)るのが問題である。国民は、早いうちに貨幣を品物やサービスに変えたくなるだろう。するとますます物価が上がる。貨幣を介しないで、物々交換を行えばこのような問題は起きない。しかし、これでは、現在に生きる人間には不便である。私が中学の修学旅行で福岡に行った時には(金がないので参加できない生徒もかなりいた)、各自米を持って行き旅館に渡した。

  過去の例では物価高騰 (インフレが問題となることが多かった。 インフレは 経済的弱者に打撃が大きい。金持ちはインフレに対抗する手段 (例えば金を買うなど) を持つことができる。デフレはこの逆である。物価が下がる、すなわち貨幣の価値が上がることを指す。この状況では、国民はあまり金を使わないようにする。それで、景気が悪くなり、仕事を失って生活に困る人も出てくる。デフレ現象もあまり好ましいことではないけど、それも程度問題である。失業問題がなければ、弱者にも痛手にはならない。

 

 国の中央銀行、日銀の業務の本来の目的は、国内物価の安定、従って貨幣の信用価値の安定を計ることにある。政府 (安部総理)と日銀 (黒田総裁がいわゆるアベノミクスを始めた目的はインフレの反対であるデフレを退治するためであった。不景気でデフレであれば、金を借りる人は少ない。従って金利が下がる。日銀は、市場に貨幣供給を増して貨幣の価値を下げ、2年間で金利を2%ほどにあげることを目ざした。ところが、10年間かかってもその目的を達成することができなかった。金融政策で金利を操作し、景気を良くできるという考えがそもそも間違っているのであろう。アベノミクスが発表されたとき、上手くいかないと指摘した専門家はかなりいた。しかし、政治家の思い込みをただす人は少なく、逆に黒田が日銀総裁に就いた。間違いに気がつけば、すぐにやり方を改めなければならない。しかし、これまで、政治や戦争において少数意見にも耳を傾けて、間違いがないか常に確かめる指導者は少ない。ズルズルと進み破局に至ったのは、先の戦争で経験済みである。これは、権力者あるいは周囲への同調を旨とする日本人の悪弊だろう。

 

貨幣価値の低下は、経済活動が国内で閉じてなく、世界に広がっている場合にはさらに問題を大きくする。安倍元総理が目指した、円安、株高は達成された。失業率も改善されたと彼は生前、自分の手柄を自慢した。円安、株高は経営者や金持ちには喜ばれただろう。しかし、一般庶民には株高は縁がなく、円安は物価上昇で不利益となった。失業率も改善されたように見えるが、内実は非正規労働者の割合が増えただけであろう。

  国家財政で放漫経営を続ければ、その国の貨幣価値が下がるのは当然である。この観点から、アベノミクスを正当化する議論の全てはその根拠を失うだろう。

 

 日本経済がデフレになった原因を考えてみよう。リーマンショックによる米国の金融状況の悪化がおき、全世界にその影響が及び、経済の混乱が起き、不景気となった。私の勝手な推測によれば、新自由主義経済によって、需要が落ちたことがデフレの要因の1つである。どういうことかと言えば、いわゆる働き方改革のもとで、賃金が安い非正規労働者が増えた。企業経営者が、低い賃金しか支払う必要がない非正規社員を大量に増やすのは当然だろう。彼らは購買力が低いので、需要が落ちる。別の面として、正規社員の数が減少するので、労務費の低減により、企業の収益は増えた。企業が稼いだ金を投資に廻せば、景気は良くなるはずだ。しかし、そうはなっていない。企業はもうけた金を社内に貯め込んだだけのようだ。 日本の会社の社内留保金の総額は、2023年度末に6009857億円 になったという。過去最大の金額だ。事業に投資をしない会社は将来の成長はおぼつかないはずだ。資本主義の本質からしたら、投資しない経営者は失格であり、無能と呼ばれてもしかたないはずだ。しかし、利益を株主に還元して、株価を上げ、経営者は高い報酬を受け取っている。

 

日本の家計総資産は2,000兆円もある。このうちのいくらかが 消費に向えば、経済は良くなるはずだ。しかし、そうなっていない。実は、この家計資産の半分は60才以上の老人が有している。彼らは金を使おうとしない。その理由の1つは老後の生活の不安がある。

 

以上のように、日本では誰も金を使うことが少くなった。もちろん、少子高齢化の影響もある。これでは、景気が良くなるわけがない。日銀が金をばらまいたところで 経済が良くなることはなかったことは、壮大な経済実験となっただけだ。起きていることは、日本全体でみれば、政府と日銀の財務リスクが高まっただけである。アベノミクスがもし行われなかったら、デフレはもっとひどいことになったという説がある。すなわち、景気が落ち込み、失業者が あふれる事態になっただろうというものだ。ただし、この説がどの程度、当っているかの分析を聞いた事がない。

 

ところで、最近は物価が上がっている。これは、円安による輸入物価上昇に加えて、労働力不足によって賃金が上っているからと言われている。労働力不足は、新規の非正規労働者が底をついたからであろう。食料品の物価上昇は、カミさんの買い物に付き合っていて、私も 実感している。これは、悪い物価上昇である。良い物価上昇は経済成長に伴い国民の所得も増える。

 

 国の借金は、家計の借金とは違うという説がある。家計の借金は、一代限りしか続かないけれども、国は存続する限り借金を借りかえることで、景気が良くなり税収が増えるのを待つことができるというものだ 。この本の著者は、国家財政も家計と同様に、危機が起こると書く。このままでは、日本の敗戦後の経済のようになるというものだ。

 

インフレを防ぐためには、金利を上げる必要がある。しかし、金利を上げると、大きくふくれた 国債の利払いが大きくなり、政府も日銀も立ち行かなる。今の日銀はそのようなジレンマ状態に陥っていると著者は推測している。起こりえる国の経済破綻を防ぐためには、結局のところ、生活を切り詰めて赤字家計に対処するのと同じことを実行しなければならない。すなわち、我々国民が分相応の政府サービス 、例えば、厚生医療費、年金、教育費など、を削る覚悟をする必要があるというのが著者の結論である。もし、日本経済が昔のように成長すれば、税収の増加で借金を返すことができる。しかし、このような事態になることは、今の日本の様子からして、絶望的ではなかろうか。

 

そもそも、現在の日本を含めた先進国は、地球が受け入れられる範囲を超えた経済活動を行っている。経済成長によって、国の経済破綻を防ぐのは無理だと考えるべきだ。それよりも、成長はさほど望まず、富を持てる者が持たない者に分け与えて、皆がそこそこの経済生活を送れるようにすべきだ。

 持てる者は、自分の才能と努力の結果だと正当化する。そして貧者の努力の欠如を指摘する。これが、新自由主義の根底にある。実際は違う。持てる者は単に運が良かった要因が大きい。弱者は自分のせいでそうなったのではない。「親ガチャ」、「国ガチャ」、「病気」を含めて運が悪かったのが原因のほとんどある。富める者の金は、そうでない人々がたくさんいることで、手にすることができたはずだ。持たない人々が少なかったら、富者に入る金は少なくなる。これは、最近のディジタル商売のやり方を見れば分かることだ。

 

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