言語の本質 -ことばはどう生まれ、進化したのか -   (今井むつみ、秋田喜美、中公新書)

 

書評につられて買った。「本質」という単語が使われているのも気になったからである。著者の今井 (慶応大環境情報学部教授は、認知科学、言語心理学、発達心理学、秋田 (名大人文学研究科准教授) は、認知・心理言語学が専門である。この本は、認知科学での未解決の大きな問題である記号接地問題  (Symbol grounding problem)を解決したというふれ込みである。

 

記号接地問題とは何であろうか。 例えば、メロンということばが何を対象としているかを知っているとする。ここで、知っているとは、見て、さわって、食べた身体体験を前提としている。この体験なしに、単にメロンは、丸く、実が甘くてうまい果物 であると、ことば ( 記号 ) で定義したところで、本当に知っているとは言えない。定義に当てはまる同じような果物があるかも知れないからであるし、メロンの本質をすべて定義するのは困難であるからだ。

 

記号接地問題は人工知能(AI: artificial intelligence)でも問題 となっているそうだ。AIには身体的体験を学習する機能が備っていないので、メロンという記号 ( ことば)を他の記号によって、定義するのみである。辞書がそうである。時には写真やイラストも用いて説明しているものの、身体的体験が伴わないので、本当に知っている (ことばの意味するほとんどすべてを理解)とは言えないのではないか。何かについて知っている(理解)と言う人でも、質問をつきつけられると答えにつまることが多い。頭の中の理解が地に足が着いていないとこうなる。AIは記号操作のみを行うであるから、自分の出した結果が、嘘か本当かを自分で判断できないことが弱点である。

 

記号接地問題の例が示されている。分数の理解として、1/21/3 ではどちらが大きいかという問題について、小学5年生で正解率は49.7% であった。同様に0.51/3 については、正解率は42.3%である。中学生に不等式

   (1)    99 /100 <100 <101/100 

   (2)    99 /100 <101/100<100 

のうちどちらが正しいか 問う問題で、正答率は36%だったと書いてある。分数という記号の理解が足が地についていないからこうなる。

 

この本では、オノマトペ (onomatopoeia: 名前を作るの意味、欧米ではideophoneが主流だそうだ)を手がかりに、論を始めている。オノマトペは、日本語では、擬音語(例えば、「ニャー」、擬態語 (「ザラザラ」、擬情語 (「わくわく」を表す。

 

著者たちは、オノマトペを手掛かりにして、「記号接地問題」、「言語の進化」、「言語の本質 」を解明したと主張している。今井は、人間の推論の仕方より考え、 秋田は言語の成りたちから考えたとある。すべての内容を分担ではなく、2人で意見を交換しながら研究を進めた。また、本の記述についても、同様であるそうだ。著者たちの自慢は、従来ないがしろにされていた オノマトペを言語として取り上げ、ジェスチャーなどの身体による表現と、高度な一般言語 (記号)との仲立ちを説明することにより、 上に示した問題を解決したと主張している。

 

子供 (赤ちゃん) を対象者として、ことばと認識に対する実験結果が多数示してあるので、説得的である。議論の本質は赤ちゃんが何度も耳で聞いて、また身体表現を通しておぼえたことば (オノマトペが、いかにして、記号 としての言語に抽象化されるかについての解明である。ことばの学習課程は自己増殖的である。すなわち知識が知識を呼んで進化する。著者たち はこれをブートストラッピング (boot strapping ) サイクリング と称している。このサイクルを通して、なぜヒトだけがこのように言語を発展されることができたかについての彼女らの仮説は、人間 (赤ちゃん) が仮説形成(アブダクション:abduction ) 推論をできるからだと説明している。 たくさんのことばを学習するのみならず、「学習の仕方」 自体も学習する自律的に成長するプロセスであるとも言う。

 

アブダクション推論の例として、 

 1  この袋の豆はすべて白い (規則

 2  これらの豆は白い (結果

   ゆえに、これらの豆はこの袋から取り出た豆である(結果の由来を導出

 

を上げている。仮説は3である。仮説は正しいこともあるし、まちがっていることもある。ただし、私には この説明は、仮説形成の意義が分りにくい。私は次のような例ををあげたい。昔、地球は平たい形状であり、海の水は地球の端まで行くと滝のように 流れ落ちていると信じられていた。ここで、地球は丸い球体であるかも知れないと仮説を立ててみる。それが正しければ、船が海をずっと同じ方向に進むと元にに戻るはずである。したがって、実験で確かめる方法を考えつくことができる。このような例として、私は、若いときに、「 仮説実験授業」(板倉聖宣)を読んで感銘を受けた。最近、ノーベル物理学賞の元になったベルの不等式も量子力学の解釈が不完全であることを示すために、従来の古典物理学が正しいと仮定して導かれたものである。しかし、実験結果はそれを裏切っており、量子力学の不思議な解釈は否定できなかった。

 

AであればBであるという事実があったとする。ここで、BであればAであると仮説を立てることができる。著者達はこれを対称性推論と呼んでいる。チンパンジーはAであればBであることを学習できる。例えば、バナナを見せられたら丸形の積み木を取り、リンゴを見せられたら形の積み木をとるように、ほうびを与えて訓練するとこの学習ができるようだ。人間の赤ちゃんも同様である。 しかし、この学習を終えたのち、丸形の積み木を見せられて、バナナを取りに行くことはできないそうだ。(天才チンパンジー一匹はできた)。人間の赤ちゃんはこの行動ができたという。

 

著者たちは、ここで、人間には、このように仮説 (BならばAかも知れない)を立てることができるのが他の動物と違って、言語を、したがって、文明を発展させることができた要因の本質と捕えているようだ。 

 

著者達は言語の成り立ちを解明し、記号接地問題を解いた 。これは、学会としても、賞賛に値する研究のように思える。裏表紙にも、著名な研究者が賞賛している。私もベタ誉めするつもりであった。 念のために、アマゾンの書評をみてみた。たいていは、高評価である。1人が 2つのあまり高くない評価であった。その人によると、言語の学習能力は、人間の脳の過剰な記憶力と思考能力 (情報処理能力) のおかげであり、 著者たちが言語の起源と主張する アブダクション推論 (対称性認識バイアス)は、科学者としてバイアスのかかった考え方ではないかと批判している。 

 

身体と意識 (心、ことば) は密接にかかわっていることは、この本のみならず 「ソクラテス の誤り」(A.ダマシオ) やベルグソンが指摘している。この批評者は 「身体反応」 を深掘りすべきだと忠告している。言語の発生には身体反応が必ず伴なう。 ここで、身体が主体である。しかし、言語が学習されると、身体が主体から認知の対象となる客体に転化する。この批評者は、この本での人の「声」は主客未分化の状態に近いと言っている。さらに、この批評者は、「言語の本質」は、言いすぎで あり、「ことばの本質」とすべきであると書いてある。私が想像するに、ことば (word?)  単なる記号であり、言語 (language?) は、ことばを結ぶ法則 (統語を含んでいる。著者達はこの法則解明をしていないので、「言語の本質」という言葉使いを批判しているのだろう。 

 

 この本の著者(秋田)も、自分たちの研究が大風呂敷なのかも知れないと書いている。言語研究における仮説の1つとして、また、上にあげた批評者の意見を参考にして、より、精致な議論 に発展させることを望みたい。

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