ジョン万次郎と磯田道史

 

NHK BSで放映される「英雄たちの選択」は面白いのでよく 観ている。特に毎回登場する歴史学者の 磯田道史の最後のまとめの言葉が気に入っている。今回は土佐の漁師の少年、中浜万次郎の話であった。 はえなわ漁に出ていて、嵐に合い仲間5人とで無人の鳥島に標着した。5ヶ月ほど生き伸びたのち、アメリカの捕鯨船に助けられる。これらについては、知っている人が多いだろう。

 

 私は、ちくま少年図書館、「ひとが生まれる:五人の日本人の肖像 」(鶴見俊輔) を読んだことがある。ここの1人として万次郎が書かれている。以後、番組で私が興味を持ったところをのみ書くことにする。仲間4人はハワイで船を降り、最年少の万次郎のみが船長に連れられ、米国へ渡る。船長は万次郎の賢さを気に入って、学校に通わせ (首席だった)、自分の姪と結婚させようともした。 捕鯨船乗りや砂金発掘で、帰国の資金も貯めたので、ハワイの仲間とともに、上海流球薩摩の順路で帰ってきた。 

 

ここでの番組の標題である「選択」は、10年間たったのちに、日本へ帰るかそのまま米国にとどまるかというものだ。なぜこれが問題となるかは分りづらい。実は、当時の徳川幕府 は鎖国をしていたので、 一旦、海外に出た者はキリスト教の影響を恐れて処刑される危険があったそうだ。万次郎たちは薩摩で取り調べを受けたのちに、開明的な藩主の島津斉淋が米国での知識を有する万次郎を重用した。長崎奉行所で取り調べをした黒田藩の武士は、万次郎の才能を認めて、幕府海軍の創設にあたらせよと進言した。幕府は、士分として召し抱え、日米条約交渉の通訳として、勝海舟に同行させもした。しかし、条約締結の際には担当を降されている。水戸藩主の松平斉昭が、万次郎が米国のスパイではないかと疑ったためであると、番組では説明された。 

 

ここから、本論に入る。討論に今回参加した1人は小説家の山本一行 である。番組の山場は、この山本と磯田の2人の間で2度ある。1度目は、松平斉昭の評価にについてである彼について、山本は優れた慧眼の持ち主であると高く評価した 。磯田はこれに反対する。松平はトップを狙って、いわゆるマウントを取りたがる人間だと評する。議論において、人を不安にするような意見を出して、自分を認めさせようとする型の人間だと言うのである。このような人間は、否定的なあるいは描象的な言説を用いながら、何ら実効的施策を打ち出せない。

 

もう1つの論点は万次郎についてである。これについては、2人とも意見が一致する。山本は万次郎を行動する人として、高く評価する。その行動は、自分の体験に根ざしている。磯田はこれを引き継いで、貧しい庶民でありながら、実際の経験に基づいて行動した事 (鶴見俊輔の言うプラグラマティズム) を強調する。漁民の少年であった万次郎が、たまたまの偶然により、優れた大人に成長した。まさに、「ひとが生まれる」のであった。

 

万次郎は幕府に召された。老中、阿部正弘に謁見したとき、外国の漂着人に対しての幕府の扱いは、禽獣に対する扱いと等しくものであり、外国でそのようなことは無いので改めるべきだと進言した。また、 ペリーが条約を結びたいのは、寄港するときに、水や食料の便宜を得たいだけだと説明した。それを聞いて、老中、 阿部正弘は万次郎の資質を見抜いた。

 

磯田の言い方によれば、現代社会において、例えば、会社運営、政治の指導者が、耳学門のみで、自分の考えを決めてしまっている。これ対して、万次郎は体験した知識をもとに、人々の生活や政府の運営方針を考えることができた。磯田は、今の世襲政治家は自分の体験に根ざした活動ができておらず、親や周りの意見をそのまま信じて行動していると非難する。その糾弾の激しさは顔の表情が物語る。

  明治維新において、万次郎の残した業績、特に、土佐藩へ与えた影響は計り知れないと話していた。明治維新の志士、坂本龍馬しかり、新しくは吉田茂も土佐の出身者として、彼の影響を受けていると指摘する。 その他、佐久間象山、吉田松陰らの開明派の知識人にも影響を残した。

 

ちくま少年文庫 の「ひとが生まれる」は五島の実家の本棚にあったような気がする。もう一度読み返してみるつもりだ。 

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