林 幹「日本の電気産業はなぜ凋落したのか」

 

本の題目に対する答えは、私自身もそれなりに持っていたので、期待しないで読んだ。著者はTDKの営業及び経営管理部門にいた人である。その父はシャープの副社長まで務めたとある。読み始めてみると、文章もわかりやすい上に、自分の体験を後悔・反省しながら具体的に書いているので、興味が持てた。父親に質問し、意見を交換したいきさつも書いてある。


失敗の原因を5つの大罪になぞらえて、「誤認」,「慢心」,「困窮」,「半端」,「欠落」の罪として、章を立てて書いている。どれも言われてみればうなずける。昭和の戦争の失敗を分析した著作物等も含めて、失敗の本質をさぐれば、何事も同じような結論にたどり着くのだろう。

著者はTDKに勤めて、カセットテープから始めて、光ディスクなど記録媒体の販売企画、経営までを通じて、会社の記録媒体事業の盛衰を体験している。光ディスクについて書いたことが印象に残る。このように体験を含めているのでそれなりに説得力がある。しかし大事な事はその体験を一般化することである。著者はそれをかなりやり遂げていると私は思う。


磁気テープ (アナログ) はノーハウの塊である。それで、TDK(日立)マクセル、ソニーでほぼ世界中の市場を押さえていた。その後、光ディスク (デジタル) の登場によって、台湾勢に駆逐されてしまった。その原因は、アナログとデジタル技術の差異を「誤認」して、台湾勢がそんなに技術力をつける事はないと「慢心」していたからだ。日本勢の中で、そこそこ戦うことができた企業として、太陽誘電のことが書かれている。光ディスク登場の頃、この会社の名前を目にしたことがあった。コンデンサーなどの誘電体を作ることから始まった会社だろうとは推測していた。光ディスクに手を出していたので、オヤと思った記憶がある。


著者の書いたことによれば、太陽誘電は、CD-Rの開発を主導した企業の1つであり、基幹特許を持つていて、優位性があるのは知られていた。しかし、太陽誘電が事業を継続できたのは、特許だけではない別の理由があった。浜田恵美子と言う研究者が、CD-Rの開発に多大の貢献をしたそうだ。業界では、「CD-Rの母」として知られた。彼女はCD-Rの発明者として台湾に呼ばれて講演した。せっかくなので台湾企業を見学して回った。それぞれの台湾メーカーがどれほどの規模で、どんなことを考えてやっているのかが見えてきた。また、台湾の新聞を毎日ちゃんと読むようにもした。それで先方の状況をかなり正確に把握できた。それに基づいて戦略を立ててやった。「やるべきことをちゃんとやった。これに対して撤退していった他の日本メーカーは、意外とそこまでちゃんとやってはいないのです。それでは負けて当たり前だと思います」とインタビュー記事(O plus E)で話したと言う。その他の事実をたくさん具体的に取り上げて書いている。それだけでも興味を引く。ただし、ここでは省略する。

 

この本を読んで、私が考えたことを述べてみたい。それは、「選択と集中」である。この概念は、企業経営のみならず、国家目標を決める際にも重要である。企業経営における「選択と集中」は、GE (General Electric)の社長 (CEO) だったJ.ウェルチが採用して大成功を収めた戦略である。世界でのシェアが1位と2位だけの事業に集中して、これを満たせない事業は他社に売ってしまうやり方だ。日本の多くの会社がこの戦略に倣った。著者の父が勤めていたシャープもそうであり、事業を液晶パネルと太陽光発電パネルに集中した。一時はうまくいくように見えたけれども、事業環境の変化に対応できなかったために、今では主要事業ではなくなっている。著者とその父は、この戦略について意見が分かれたと書いてある。著者は、「選択と集中に」に疑問を持っている。私もそうである。GEがその後、大きく成長しなかったことをからわかるように、この戦略は危険度が高いように思う。判断が正しければ、素晴らしい成果をあげるかもしれない。しかし、判断を間違うと大変なことになる。事業を転換するには、多大な時間と労力が必要となるからである。


私が大学在職中に感じたことを書いてみる。文部科学省の方針でいわゆる大学改革が行われた。これは、端的に言えば、大学に競争原理を持ち込んだものである。それまでは全国の大学に一律の基準で運営費を配布していた。それを毎年1%ずつ削って、その分を選択した各大学に回した。具体的には、プロジェクト提案をさせ、審査によって選ばれた特定の大学に集中して金を渡すことにしたのである。合格した大学は良いけれども、落とされた大学、そして最初から提案を出せなかった大学は大変である。 10年もすれば予算が10%も減ることになる。教育費の予算全体に占める割合は、先進国内で下位にあることも追い打ちをかける。各大学では、国のプロジェクトの競争的資金や、企業との共同研究により、いかに金を集めてくるかに苦心せざるを得なくなった。そして、大学の研究者の心の余裕がなくなっている。大学の人事選考においても重要視されるようになったと聞く。一説によれば、教授ポストに着くためには、競争的資金を少なくとも3千万円は獲得しなければならないという。そして、獲得した金額が大きいほど尊重される風潮が出てきたようだ。


しかし、大学の基礎的な研究では、金をつぎ込めばそれに応じて成果が上がるとは思えない。私が知っている例を挙げよう。マルチメディアATM交換方式の研究プロジェクトで、3億円の資金を得た例が一つである。個人的に知っている担当者から直接聞いたところによれば、3億円の金は、企業から装置を買うしか消化できなかった。また、その装置を使いこなすのに苦労したようだ。他の例は、16億円のプロジェクトである。これについては、周りの人から間接的に聞いただけである。この金も試作費用として、ほとんど企業に流れたようだ。そして、金額にふさわしい成果を上げたとは聞いていない。


「選択と集中」の失敗は、企業であれば明らかになる。会社消滅の事態になることもあるだろう。しかし、国の事業ではそうではない。プロジェクトは、選択時における評価に加えて、中間、終了時におけるそれが大事である。プロジェクトの評価を委員として行った私の経験によれば、正しく厳しい評価をする人は稀である。自分の専門から外れると的確な評価が困難であることも一因である。従って、字面だけの印象で評価して、誇大宣伝を見抜けないことがある。加えて、役所は予算を (税金)を使い切るのが慣習のようである。そのためには、審査が甘くなる事は否めない。日本人の共同体組織の中では、協調を重視して、個人の独立性や異論を排除する傾向が強いので、「選択と集中」に失敗することが多いだろう。大学での研究は突破口となる斬新な着想が大事である。その着想をある程度確かめるためには、大きな予算は必要でない。従って、幅広く予算を配るのが、全体としての資金効率を高められる。

 

プロジェクトの成功にはやるべきことをちゃんとやることが重要である。そのためには、問題の本質の的確な把握に加えて、新技術の登場による前提(環境)条件の変化を常に認識し、これに対する適切な方針転換が重要である。ここでは、経営 (運営) 指導者層が常に現場に目を向けて、重要な情報を見逃さないことが大事だ。そのためには自由に議論を発することができる、いわゆる多様性を有する組織風土作りが必要である。

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