ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」

 

ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」(岩波書店)


コロナに罹って、布団の中で10日間過ごした。前から出ていたアレルギー性鼻炎の症状が少し強くなった位で、熱は平熱のままであった。2階の1室に隔離され、3度の食事は、廊下での受け渡しとなった。気持ちの持ちようなのか、あるいは、体を動かさないせいなのか、酒がなくとも平気であった。また、退屈もしなかった。読書を心おきなくできたからだ。娘とその婿から3冊の本の差し入れがあったのに加えて、自分の本棚を見渡して、R.ドーキンス「祖先の物語」(小学館)と表題の本を選んだ。また、小出昭一郎、「物理現象のフーリエ解析」を読んで、私の数学論文の式変形が不十分なところに偶然気がついたのは、怪我の巧妙である。

 

この本は、上下巻合わせて834ページの大作である。2010年、第7刷とあるから、これ以降に買ったはずだ。途中まで読んで、私はほとんど読んでないことを知った。識者が推薦する本の上位にあったので買ったものの、そのままになっていたのであろう。途中まで読んで、読み終わるのが惜しくなる感情を久しぶりに味わった。増補版とあり、日本語訳に際して写真と図表が大幅に追加されている。写真は、文章以上に雄弁である。読み終えたのは、療養期間が明けて10日間位あとである。例によって読書感想文を書こうと思ったものの、なかなか構想が固まらない。それで、思いつくまま書くことにする。


戦後史については、保阪正康、半藤一利、加藤典洋などが、また戦後の思想については、丸山眞男、吉本隆明、岸田秀、白井聡、などが書いたものを思い出す。これらに比べると、本書の出来栄えは圧倒的である。ただし、戦後の重要な出来事が新しく発掘されていると言うわけではない。ポツダム宣言、天皇の取った行動、GHQとマッカーサー、新憲法制定、非軍事化と民主化の推進、財閥解体、農地解放、公職追放、レッドパージ、朝鮮戦争勃発、再軍備、独立後も続く対米依存などの主要の話題は、これまで、著作本、新聞雑誌の記事としてすでに書かれ、議論されている。

 

この本の特徴は、議論の仕方が学問的であることだ。すなわち、研究の成果を書いてある。学問において重要な事は、できるだけ事実に基づいた議論を行うことである。憶測や文学的表現はなるべく避けなければならない。「事実をして語らしめよ」とはこの本のためにある。


著者は当時、MIT教授の米国人であった。外国人が日本の戦後の歴史を研究したのであるから、外国、特に米国にある資料を豊富に利用している。日本の資料も新聞記事も含めて、実に小さな文献までも丁寧に拾い上げている。漫画やチラシの類までも含んでいる。それ故、議論が説得的である。著者は、このような方法を意図的にとったと書いている。日本の資料収集とその解釈については、著者の日本人の妻 (靖子)が大きく貢献してくれたそうだ。序文とあとがきに加えて、17の章で構成される。引用文献は804件に達する。図版は147以上になる。


このような大作を発表する研究者は、日本にはまずいない。1999年、アメリカで出版され、ピュリッツァー賞を含めて、10以上の章を取ったとある。ベストセラーになったのもうなずける。私が読まずにおいたのが、今になって悔やまれる。父が生きていたら、喜んで読んだのは間違いない。老人施設で死ぬまで、私が送ってやったB.ウッドワード「ブッシュの戦争」や、保坂正康、半藤一利等の昭和の歴史の本を楽しんで読んでくれた。

 

著者は、指導者層のみならず、国民大衆がどのように考え行動し、それが戦中戦後を通してどのように変容して行ったかに留意して書く。以下、本文をパラパラめぐって目についたところを抜き楽してみる。

 

-  美化された降伏:  昭和天皇がラジオを使って終戦詔書を肉声で放送したのは、彼自身の発意だった。彼が最も恐れたのは、天皇制の廃止であり、この放送は、天皇制維持の緊急キャンペーン開始宣言でもあった。天皇制維持は、対共産主義と絡んでアメリカの占領政策と合致した。(私の注:天皇はポツダム宣言を受け入れるにあたり、天皇制の廃止を危惧して涙する阿南陸軍相に対して、「心配するな朕には考えがある」と話した。また、巣鴨刑務所に収監されていた、岸信介も、これから冷戦体制を予期していたので、心は落ち込んでいなかったとされている)。


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軽蔑された軍人たち: 天皇のもとに「一億一心」にまとまっていることが、嘘とわかった。軍隊では、上官が下の兵隊を虐待するのが蔓延していた。したがって、敗戦後の軍の規律は崩壊し、軍の物質は、物資を手当たり次第に着服された。


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マッカーサーは、占領政策を円滑に行うために、天皇の戦争責任を一切問わないことにしていた。一方で、日本が今後戦争をできないようにするため、非軍事化と民主化を進めた。占領当初は、戦争できないようにするために、経済立て直しができないように制限した。


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日本国憲法の制定は、当初、近衛文麿、そして、内閣に委ねられた。しかし、大日本憲法とあまり代わり映えしないので、GHQが英語で草案を作って手渡した。吉田茂は、占領が終わり独立したら、すぐにでも憲法改正をすると考えていた。


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東京裁判は、GHQの意向に沿って進められた。天皇に戦争責任がないようにするため、最大限の注意を払った。戦勝国の裁判であり、裁判裁判の法的根拠については、後付けもあって無理な点もあった。判事は11人であり、判決は多数決で決めた。ちなみに、唯一の文官被告、広田弘毅の死刑は、65で決まった (私の注:福岡にある天満宮の鳥居の扁額の文字「天満宮」は、彼が小学校の時に書いた習字を、石工だった父親が彫ったものである)。文官としての戦争責任者は、松岡洋右が第一に挙げられるべきだと書いている。ただし、彼は裁判になる前に、病死した。(昭和天皇が靖國神社参拝を止めたのは、松岡を始めA級戦犯を合祀したからである)。

 

- 東京裁判により、天皇の軍隊の外国における暴虐ぶりを国民が知りことになった。その頃読まれた短歌がいくつか紹介されている。ここでは次を抜き出す。

  - なまなまと日本軍残虐の跡映る不意に鋭しああという声

  - 南京にマニラに暴虐無慚なりし日本兵の罪は償わな

   ある母親は、自分の息子がこのようなことしたのであれば、絶対に家に受け入れないと語った。しかし、国民多数は感情として、祖国の聖戦で勇敢に戦った英霊として受け入れた。悪かったのは、一部の軍部のみであるとしたのである。さらに、日本人はアメリカによる原爆投下もあって、被害者意識が強かった。確かに300万人の日本人が命を失った。その一方で、1000万人とも言われる、中国、アジアの人々が日本軍により、命を失ったことは思い致すことが少ないと書いてある。

 

- 冷戦の始まりにより、GHQの方針が変わり、いわゆる逆コースが始まった。これは、朝鮮戦争の勃発で決定的になった。この戦争を吉田首相らは、「天佑神助」と口にした。これにより、経済復興が可能となったからである。

 敗戦により凄まじいインフレが起きていた。戦費調達のために発行した国債の残高は巨額であったものの、このインフレによってただ同然となった。政府による借金踏み倒しの手段とも言える。アメリカはインフレ/不況対策のために、いわゆるドッジ・ラインを導入した。インフレが収まりかけた時に、この朝鮮戦争特需がおきた。

 その後の日本の経済成長の原動力として、一つは、戦時中に財閥を中心とした国家社会主義経済が、強制力は薄まったものの、財閥系銀行の金融支援のもとで、再び動き始めたことである。もう一つはアメリカのW. デミングが日本に来て「品質管理」手法をもたらしたことだ。これにより、大量生産を行いながら高い品質の工業製品を作れるようになった(私が昭和43年にNECに入社した時には、工場にも研究所にもZD (zero defect)と書かれた標語掲示板があった。だいぶ後で、モトローラの無線機工場を訪ねた時にも同じような標語、「3シグマ」運動、を見つけた。シグマは欠陥率を表す標準偏差値である)。その後のアメリカを脅かすほどになった経済力を作り上げたのには、アメリカ自身の貢献もあったと著者は強調する。

 政治的な逆コースの一つは、レッドパージである。占領当初は、拘留されていた共産党員がすべて釈放され、自由に活動できるようになった。彼らは、戦争に最後まで反対したことで評価された。それが一転して厳しく弾圧を受けた。組合運動も同じで、「血のメーデー事件」も起きた。


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帝国銀行の支店で多くの人が毒殺される事件が起きた。警察の捜査は犯人として、旧軍人、特に捕虜(マルタと呼んだ)3000名以上とも言われる人々を殺害する人体実験を行って、細菌・毒薬開発を行った石井 (731) 部隊に関係した人物であるとされていた。ところが、石井(731)部隊の細菌・毒薬開発の成果を独占するために、GHQは秘密協定を作り、成果の提供に引き換えて指導者を免罪した。その事実を隠すために、突如、平沢貞通が逮捕された。この件については、著者は、アメリカの資料も示している。(この本を読み終える頃にNHKの放送があった。松本清張の「小説帝銀事件」である。清張たちはGHQの捜査介入についてかなりのところまで迫ったものの、裏証言が取れなかった。それで、自分が望んだノンフィクションではなく、小説となって発表された。ちなみに、この時の若き編集長が半藤一利だ)。

 

- マッカーサーの人気は絶大であった。何人もの女性がマーカーサーの子供を産みたいと手紙を書いた。たくさんの人が、郷土の貴重な特産品をマッカーサーに送りつけた。マッカーサーは、朝鮮戦争の拡大方針(中国との全面戦争、原爆使用)をめぐり、トルーマン大統領に解任された。米国議会での証言で、日本人を称して、未だ12歳の少年だと評した。これが、日本に伝わると評価が一変した。


気がついたことをこれ以上書いてもキリがない。そこで私の考えを交えて書いてみたい。著者によれば、日本国民が主体的に民主主義を実現した事はないと言う。GHQの政策は、上からの革命であったことは誰でも知っている。それだけではなく、明治新政府の誕生からして、上からの改革だと指摘する。日本国民が上からの指示にやすやすと従う態度は、戦後のGHQによる民主化によって変革されたのであろうか。丸山真男は新しい出発をしたと考えたようだ。小室直樹はこの説に反論している。彼は、戦争中の運命共同体思考は今でも続いていると言う。この本の著者は、後者の意見に近い気がする。確かに、GHQは民主化を進めた。しかし、そこにはGHQの言うことは絶対であり、彼らの方針に合わないものは厳しく制限された。しかも、GHQの方針が、冷戦により大きく変更されたのである(いわゆる逆コース)。日本国民が自主的、自律的に、自分たちの国の将来を決めることは許されなかったし、慣れる時間もなかった。戦後の奇跡的経済復興も中国などの共産主義国に対処するために、米国の手の上でなされたと言うものだ。もちろん、今でも、軍事的には、世界に比類のないほど米国に依存している。


経済成長が止まってから久しい。この先、日本国民がどのように生きていくべきかについて、特にアメリカが占領期から今も与え続けている影響に対して、著者は心配してくれている。私も同様である。経済的に見れば、国民の金融資産が1300兆円位ある。しかし、政府の負債 (国債)もこれに迫る位の額になっている。大英帝国を昔に誇った、現在の英国の国民の生活ぶりは、落ちたといえ、そんなに悪くはない私は思う。せめて、現在の英国のような暮らしを、将来の日本国民ができることを願いたい。戦後、我々が蓄えた、経済的富が政府の無策のために全て無になり、将来世代が厳しい生活にならないことを祈る。そのためには、敗戦により授かった、非軍事と民主主義を、いかに実現するかが重要であろう。

 

国民にとって良い事は何もない戦争が、なぜなくならないのであろうか。それは戦争によって利益を得る人たちがいることも一因だろう。しかも、その人たちは、戦争の前線に立って、命を晒す必要がないことが多いと思う。ロシアがウクライナに攻めこんだ戦争も、プーチン大統領の思い込みでだけで始まったとは思えない。戦争で潤う人たちがいるはずである。そして、いつも悲惨な目に会うのは普通の市民である。

 

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