小宮京、「語られざる占領下日本」(NHK Books、2022年、10月)

 

著者は1976年生まれ、東大法学部政治学卒、博士、現在は青山学院大学教授。


谷川昇、三木武夫、田中角栄に関する新しい事実を日本側資料をもとにして書いている。占領期の話であるから、GHQが全てに関わっている。そこには民政局(GS)と参謀第二部(G2)の確執も絡む。


谷川について知っている人は少ないであろう。私もそうだった。谷川は警察の警保局長を務めた後、19474月の総選挙に出馬して衆議院議員に当選している。ただし、同年7月に公職追放された。それには、GS次長のケーディス大佐を追放するために、G2側がケーディスのスキャンダルを日本の警察に内偵させたことが背景にあると書かれている。スキャンダルとはケーディスと島尾(元子爵夫人の親密な関係 (腕を組んで見つめ合っている写真が載ってある。キスしている写真もとられたそうだ) のことである。ケーディスの妻がこれを知ることになり、離婚した。ケーディス自身も本国へ戻された。吉田茂とそれを助ける白洲次郎とが、ケーディスの醜聞を流す役割を果たしたようだ。GS側のトップ、ホイットニーが部下であるケーディスの醜聞を日本の警察が暴いたとして怒った。たまたま、警察にいた谷川がケーディス内偵の命令を行ったと疑った。それで、別の軽い容疑で公職追放をしたと言う複雑な話である。

 

三木武夫は、いわゆる「クリーン三木」ではなく、したたかなバルカン政治家であったと書かれている。三木武夫はGSから、昭電疑獄により崩壊した連立政権、芦田内閣を継いで首相になることを打診されていた。また日本側では中道連立側が、当時の民主自由党の吉田茂が首相になることを阻止するために、民主自由党の幹事長だった山崎猛を首班に擁立することを模索していた。吉田茂はこれを阻止すべく動き、GHQにも働きかけた。マッカーサーは吉田茂の首相就任については、さほど乗り気ではなく、中道連立政権を望んでいたとのことだ。しかし、彼は吉田茂と会ったときに、表立って反対を言う事はなかった。結局は吉田茂が首相についた。この辺の三木武夫を含めた政治的な駆け引き (特にGHQとのコネの付け方) の紹介は省略する。


田中角栄については、戸川猪佐武が書いた「小説吉田学校」(400万部のベストセラー)には、嘘が書かれているとしている。この本が書くようには、田中角栄は吉田茂首相の誕生に強く関わった事はないと言うのだ。そして田中角栄が保守本流とすることを妥当ではなく、総裁選で田中に負けた福田赳夫の方が正統であるとしている。


私はこの本を読んで、たいした興味を持てなかった。著者が、日本側の資料を発掘して、占領下の日本の政治の常識に異を唱えた事は評価できる。しかし、書いてある事柄が、全て週刊誌ネタのように思えてならない。GHQを含めて、日本の政治家の各々が、どのような方向に日本を率いていこうとしたかの解説はほとんどないからである。

 

冷戦勃発により、GHQの占領政策が変化したことから、政治の本質を描くのは無理かもしれない。ともかく、日本国民はマッカーサーのGHQに心から感謝した。彼が米国へ帰るときに、たくさん人々が空港まで出向き彼との別れを惜しんだそうだ。彼が朝鮮戦争遂行に対して、原爆使用を提案するなど、大統領の意向に沿わない態度をとったので、解任されたことを日本国民はどれほど知っていたのだろうか。そして、また、彼が米国に帰ってから、「日本は12歳位の知性しか持っていない」と発言した事はどれぐらい知られたことだろうか。
 ともかく世の中が激しく動くときに、政治家を含めた人間がどのように動いたかについては、本書が述べるように、真実が語り継がれる事は少ないのだろう。たいていは、その時の為政者の都合の良いように描かれる事は間違いない。


吉田茂の側近であった白洲次郎は、GHQから「従順ならざる唯一の日本人」と言われたとの説がある。この本によれば、彼はミルク売りと称して、ウイスキーを持参してGHQに頻繁に出入りして、日本側の情報を流していたとされる。流暢な英語を駆使して、あまりにもなれなれしくするので、GHQに嫌われていた事が真相のようだ。吉田茂も、たびたび、GHQの裏口からこっそりと入っていたと言う話がある。

 

GHQに話をつけるためには、英語力と人脈が必要であった。そこで米国留学組(白洲次郎は金持ちの坊ちゃんで英国留学していた) が重要な役割を果たしたようだ。それにしても、気骨のある者は少なく、GHQのお気に入りになろうとした人が、政治家を始め多かったはずだ。ただし、心ある人ならず、国が占領されると言う屈辱は大変なものであっただろう。特に米軍の高級将校に、自分の嫁さんを横取りされた人たちにとっては。


戦後の経済発展のために、がむしゃらに働いた人々の中には、敗戦の屈辱を経済で見返してやると言う意識があったようだ。そのおかげで日本国民の金融資産は 1300兆円にもなった。しかし、この30年間の新自由主義体制において、日本のものづくりを中心とした経済は完全に遅れをとった。高度成長期に稼いだ金を有効に使えなかったことになる。この点に関して言えば、大英帝国が終わった、現在の英国はうまくやったのだろう。彼らの暮らしぶりが今でもそんなに悪くないようには思えないからだ。国民の資産1300兆円があるとは言え、日本の国債残高が1000兆円になっているので、このままでは、戦前と同じような経済状況に戻るのではなかろうか。若い学者が言うように、わが国は、このまま腐って終わっていくのだろうか。それを防ぐためには、異なる意見を大事にして、本質を理解する気風を重んじる人々(大衆)及び指導者がぜひとも必要である。

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