占いについて

 

「その漢和辞典間違ってますよ!」の宣伝文(キャッチコピー)に惹かれて、落合淳思、「漢字の成り立ち(「説文解字」から最先端の研究まで)を読んだ。私は白川静の学説を信じているので、それのどこが間違っているかと興味を持った次第だ。漢字の研究の歴史を要領よくまとめて紹介している。文章もかなりの使い手である。字源研究は30年ほど前に途絶えていたそうだ。著者は膨大な資料をコンピュータデータベースに蓄積して、これを駆使して研究を進めている。


特に印象に残ったところは、白川静と藤堂明保 (東大教授)の論争についてである。白川静に軍配が上がっているとは知っていた。その論争の本質になるなるものを紹介している。白川は漢字の象形 (表意)に重点を置いているのに対して、藤堂はその表音に重きを置いているそうだ。象形文字は、甲骨文字から始まってその形は時代とともに変わってはいるものの、その程度は軽く元の形にたどれる。これに対して、表音は昔のものを再現する手段がなきに等しい。時代が降ると漢字に付けた韓国の表音文字、ハングル、が古代漢字の発音の解明に貢献しているそうだ。著者は主に、この2人を対比させて、彼らの間違いを正している。ただし白川の学説の間違いは思ったよりも少ない。白川が字源の解釈に際して、祭祀儀礼をあまりに重視しすぎていると言う批判が主なものであった。

 

さて、私がここに書きたいのは、字源研究についてではない。この本の中で甲骨文字について説明しているところが発端である。古代中国の王 (支配者) は重大な決断を行う行う前に、亀の甲羅や動物の骨を火に炙って、そのひび割れの様子を見てどうするか決定した。白川の本のどこかで書いてあり、私が覚えている例は次のようなものである。ある王が異民族である「姜」を討つ(狩る)べきか否かを占った結果を、甲骨文字として書きつけていた。著者が言うには、王の考えは占う前から決まっていて、望む結果 (ひび割れ方) が得られるように、甲羅の裏側に切れ込みを入れる細工を施してあったそうだ。確かに、物事を決めるときに占いに頼ってばかりいると、目的達成効率が下がるであろう。王はなぜ形式的にせよ、占いを行う必要があったのだろうか。それはうまくいかなかったときの自分の責任逃れ、あるいは部下たちを一致団結させるのが目的だったというのが私の考えである。皆さんはどう思いますか。


占いについて次の話に移ろう。私が子供の頃の話である。五島列島の田舎であるからどう見ても迷信と思われることが多かった。当時は困ったことがあると巫女(シャーマン)に占ってもらって、問題を解決していたことがあった。母親から聞いた話によると、たいていはどうでも良い占い結果が告げられていたようだ。私が覚えているのは、「家の裏手の山際がヤブになっているのでこれを刈れ」とか、「井戸の水を汲み干して清掃せよ」と言うものだ。薮で風通しが悪いのは、家の為にも住んでいる人にも良くない。井戸が汚れていたのでは何かの病気の原因になるかもしれない。私が思うには、占いに頼る人は自分の心に自信がなくなっているとき、あるいは軽い鬱状態になっているのであろう。よく当たると言われる占いさんは、そのお告げを出すときの、神懸りの演技()が上手であったり、そのお告げが相談員の心を癒すのに効果的だったのであろう。それで気分が良くなるのであれば、迷信として非難すべきではない。


最後の話題に移ろう。私が中学1年生の時であった。中学校が家から遠かったので (私よりももっと遠くから通っていた生徒がたくさんいた)、叔母の家に一時、下宿していた。そのとき、もう1人の叔母が訪ねてきて、彼らの母 (私の祖母)と私の母とのことについて話したことである。当時の奈留島は、八打網と言う漁業が盛んで、船団を組んで鰯や鯵などの小魚をとって、大釜で煮て干した、イリコを生産していた。たいていの網組は、多数の人々の共同運営体であった。余談として、私の祖父は主導者の1人であり、その網組の株を2人前持っていた。冬になると海が時化るので、漁は休みになる。大きな木造船は浜の松林の中に引き上げていた。その時、小学校の高学年生が全員駆り出されて、声を合わせて大きな綱で引いたことが懐かしい。イリコ生産は、主に女手に頼っていた。男たちは夕方から漁に出て朝に帰ってくるので、昼寝をする必要があったからだ。1年中働いてくれた女をねぎらうために、網組に入っている家から1人だけ選んで、皆で慰安旅行に出していた。嬉野温泉に泊まって、鹿島神宮詣でをすることが多かったと聞いている。


先に述べた叔母2人の会話とは、この慰安旅行に私の家から、祖母を出すか私の母を出すかを決めた際の出来事である。くじ引きで決めたそうだ。昔は嫁と姑の仲が良い事は稀であったようだ。ましてや、近所に叔母たちが (小姑) 何人かいると、たいていは自分の母親をかばって兄の嫁(私の母)にきつく当たっただろう。2人の言い方は今でもよく覚えている。「ほらみろ、神様は婆さんの味方をした」と言ったのだ。後になって、私はことの真相を母から聞いた。父がいろいろ考えた考えた結果、くじ引きにしたそうだ。嫁と母の間に立たされた父の考えである。自分がどちらに決めたとしても、その理由を2人ともに十分に納得させる事はできなかったのだろう。今思うと、1年交代で出せば良さそうなものの、何か訳があったのかもしれない。多分、毎年ではなく、漁が良くて網組に利益が多く残った時だけだったのだろう。母が言うには、父は自分 () に言い聞かせたそうだ。「くじ引きにする。婆さんに先に引かせろ。くじは2枚とも当たりが書いてある。お前は引くな」だったそうだ。現代では嫁と姑の間でのこのような気兼ねは無用になっている。3世代が同じ屋根の下に暮らしているのは極めて珍しい。私は父と同じ苦労しなくて済んだ。そして、もし私が父と同じ立場に立たされたとしたら、自分の妻にこのように言い含めて納得させ得る自信はない。

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