FRP製 伝馬船「繁丸」

繁丸は、実家がある五島奈留島の船揚げ場の片隅に長らく置かれたままになっていた。終活の一環として、そろそろ処分しようかと考えていた。私の長男の名前(繁)はこの船と同じであり、父、繁三郎からとっている。この夏に、長男一家が久しぶりに奈留島に来た。私は1人でだいぶ先に来ていた。知り合いの業者に、解体処分を頼もうと思ったものの、なかなか踏ん切りがつかなかった。その理由は以下に書くように、この船には、これまでの思い出がたくさん詰まっているからだろう。 

 話は、私が婚約した年の夏に、奈留島に初めて彼女を連れてきた時から始まる。私の婚約を祝ったかどうかはわからないものの、新造船のこの船が実家のすぐ前の浜に置いてある。手漕ぎのための艪(ロ)とスズキの 8馬力の船外機が備えてあった。父が言うには、父のすぐ下の弟が展示会に出していたものを安く譲ってくれたそうだ。父の弟は、当時、ヤンマーディーゼルの五島地区の総代理店をしていた。漁業の景気が良かったので、船のエンジンがよく売れ、羽振りが良かった。この船はヤマハが作ったFRP製のものであり、五島地区では最初に持ち込まれたそうだ。

 FRP船の工法については、会社 (NEC) の社員教育研修において、発想法の指導を受けたときに、その開発の裏話が出た事で知っていた。発想法としては、KJ (川喜田二郎:東京工業大学の名誉教授) 法とNM (中山正和) 法が有名である。その他にも山手線法なるものも教えられた。FRP船は中山正和がヤマハに勤めていた時、ボート開発を命じられた際に発明したと聞いた。いろいろ試行錯誤があったようだ。結局、ガラス繊維に液体プラスチックを染み込ませ、これを幾層にも重ね合わせてから、硬化させるものである。その時の上司が、今言うパワハラに近かったので、中山は開発に成功した後、辞表を叩きつけて退社した、と言う話が今でも印象に残っている。 

 話を元に戻す。この船はFRP製といっても、甲板は無く、昔の和船のように板張りとなっていた。その何年か後に、甲板もFRP張りになっていた。父が言うには、素人が安くで加工してくれたそうだ。細工のまずさのために、甲板に何箇所か設けた水 (アカ:aquaの訛りか)汲み出し用の開口部の穴の立ち上がりが十分でなく、水が侵入して沈みそうになったことがあった。当時小学生であった息子2人を連れて、岬を廻って隣の湾でキス釣りをした帰り道であった。このこともあってその後はあまり使わなくなった。

 私は婚約者(今のカミさん)を乗せて、水着姿で (彼女は当時、島では珍しいセパレート型を着ていた)、湾の入り口にある無人島 (葛島) に渡った。もちろんその時は無免許運転である (小型船舶操縦士免許は九大を退職して電通大にいた時、東京湾の実技試験でとった。なんと33年間も無免許で乗っていたことになる)。 私は素潜りでサザエを30個ぐらい取った。帰り道にエンジンを止めて船の中で、抱き合ったのを思い出す。途中で漁船が通ったものの、舟べりに遮られ私の目から向こうは見えなかった。しかし、無人に見える船が漂流しているのはいかにも不自然である。漁船の主は我々を見つけていたのかもしれない。 

 別の思い出話しを書く。この船で私の姉やいとこ達と、観音崎の手前までヒジキ刈りに行った事がある。両親ともに健在の時だった。大量に取れて、一度では持ち帰りきれなかった。その乾燥ヒジキの残りは、私の自宅の小屋にあり、今でも食べることができる。実に30年以上の前のものである。 

 私はこの繁丸を処分しないことにした。船内にたまっていた大量の水垢と水苔を掻き出し、ペンキを塗った。また、水アカ掻き出し開口部の立ち上がりを、FRPでかさ上げする修繕を業者にしてもらった。

 艣の使い方を孫たちに教えたい。エンジンは2馬力以下であれば免許なしで乗れると知っていた。それで、電気モーターとACデルコ製マリン用ディープサイクルバッテリーを買って取り付けた。思ったより速いし、何より静かなのが良い。ただし免許は必要なことがわかった。電気モーターは2馬力以内なので良いが、船の長さが4メータ以上あり条件を満たさないのである。 

 船台がなく何本かの丸太棒の上に載せてある。息子と軽自動車を使って、上げ下ろしをしてみるとかなり面倒なことがわかった。それで船台を作ることにした。金属は錆びるので、できるだけ材木だけを使い、残りは車輪を含めてステンレスとして、ステンレス板を溶接加工して作るように設計してみた。現在、知り合いの大工さん (第3繁丸はこの人に譲った)と、鉄工所に作成を頼んでいる。 

 繁丸の処分は私が死んだ後に、息子の繁がやってくれるだろう。

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