寺島実郎 「人間と宗教」

 

この著者は、新聞雑誌で彼が書いた評論を読んで知っていた。本質をついた考えを示していることが多いので気に留めていた。それでも、単行本を買ったのはこれが初めてかもしれない。今回、なぜこの本を読む気になったのかは、最近のことなのに思い出せない。

 

実は著者の講演をいちど聞いたことがある。私の本「ディジタル移動通信技術のすべて」が大川情報通信財団の出版賞をもらったときに、大川賞 (こちらが上)との合同授賞式での講演である。世界情勢、特に、中華人系の経済活動とそれが与える世界の政治のことを話した。大した話ではなかった。二次会の折、私が講演内容について大したことがなかったと話したら、授賞式に私の招待枠で呼んでいた甥っ子 (夫婦) が、「聴衆のほとんどは大学関係者なので、彼らにはこの程度の話で充分だと割り切って話をしたのじゃないか」と皮肉を言ったのを覚えている。


本の帯に「世界を歩いてきた経済人が今、再考する体験的宗教論」と書いてある。この「体験的」と「人間と宗教」と言う言葉遣いが、私の興味を引いたのかもしれない。確かに宗教に関する体験をもとに、さらには、文献をよく読み込んで書いてある。ただし、読み始めた私は、よく勉強しているものの、話題の本質の掘り下げは十分に深くないと感じた。例えば、R.ドーキンスの「神は妄想である: God is Delusion」を紹介しているものの、この本が提起している問題意識に対しては、さほど気にかけていないように思えた。このような私の感想は、最近亡くなって話題に上った立花隆の著作にも通じる。


ただし、宗教に関する知識の概観を得る1つとしてよくかけていると思う。特に、仏教並びにキリスト教の日本への伝来の経緯については、私の理解が進むのにとても有効であった。特に印象に残ったところは、キリシタン弾圧で、島原の乱で2.7万人、江戸時代に斬首、火焙り、吊しで5000人から6000人が殺されたことを書いた後に次のように書いたところである。

 

この大量殺戮と集団的狂気を日本人としてどう受け止めるか。中東一神教は異教徒に対して「不寛容」であり、八百万よろずの神を奉る日本人は「寛容」だと言う議論がある。だが、お上 (権力)の権威付けと「民衆」の無知が一体となって、異端者の排除に向かうと、異様な集団的狂気が爆発する傾向を日本の歴史は何回か繰り返している。教義には融通無碍だが、時代の空気には付和雷同すると言う意味で、日本も恐ろしい国である。


宗教の本質について、掘り下げるのはこの本の趣旨ではない。そこで私の理解するところを書いてみる。上に示したドーキンスの「神は妄想である」と言う説を全面的に支持したい。神の名において、他者に対して、人間がいかに残酷な仕打ち (人殺しまで含めて) を行ったであろうか。これは咎められなければならない。哲学者は「神は死んだ」と言った。しかし無神論者になった人間が、何を行動基準にすえるべきかについて、これといった有効な考え方はまだ、世界で普及してはいない。宗教心がないと言われる日本人にしても、この本が先に挙げた宗教弾圧での、および中国侵略から始まる昭和の戦争において、大量殺戮という愚かな行動をとった。ロシアのウクライナ侵略についても、その事情は、欧米の論調以外にもロシアの言い分があるとは言え、宗教が絡んではいない。


宗教に対して徹底的に異議を唱えた1人として、私は岸田秀をあげたい。彼は人間を「本能が壊れた動物と」として捉え、生きていくために本能に代わる行動基準を各自が脳の中に作る必要が出たとして、それがまともなのは少なく、たいていは問題がある「幻想」であるとの説を掲げる。死んだ神に代わって、幻想が支配していると言える。幻想かもしれないと、いつも自分の心で反省していけば、そんなに間違いなく、皆が楽しく暮らせるのではないだろうか。庶民の思い込みはご愛嬌として、国の指導者の思い込みは戦争と言う大量殺人に至る。同じ種の間の、このような大量殺戮は人間以外の動物には無いようだ。まさに人間は本能が壊れた動物である。

付け足し

 内村鑑三については、私はほとんど知らなかった。内村鑑三は無教会派のキリスト教徒である。私が会社に入った頃、電子管事業部にいた同期の友人を昼休みに訪ねた。そのとき、彼の上司から「赤岩君は赤岩栄の親戚かと聞かれた」。私は「赤岩栄著作集」という本で名前だけは知っていた。もちろん親戚ではない。友人の上司が使った言葉は今でも覚えている。赤岩栄は、戦闘的無教会派のキリスト教徒だったと言ったのである。共産党員であり、キリスト教徒でもあった時期があったようだ。作家の椎名麟三の洗礼を行っている。赤岩栄は四国 (高知?) の出身だった。

 

NECを辞めて九州に戻って宗像市に居を定めたところ、あちこちで、特に病院に行った折、「赤岩先生の親戚か」と聞かれたものだ。私は九州大学医学部外科の赤岩八郎名誉教授は、学生時代から知っていた。親戚の赤岩八郎が小倉の病院で診てもらったときに、「お前も赤岩八郎か俺もだと言われた」と聞いていたからだ。私は学生時代に小説を書き始めていて、隠れキリシタンの先祖のことでつながりがあるかと思い、親戚に聞いたことを思い出して、電話帳で探して赤岩八郎先生のお宅に電話した。奥様が出られて親切に応対してくれた。その時に自分たちは四国の出だと話された。

 

最初に書いた赤岩先生は赤岩八郎ではなく、その息子の赤岩道夫さんのことだった。東大の物理を一旦出てから、再び九大の医学部に入ったらしい。彼は2丁目に、私は1丁目に住んでいる。留学生の一人が私を家に訪ねてきて、誰かに道を聞いたおり、2丁目の赤岩先生の家に連れて行かれたこともあった。私は赤岩道夫さんが亡くなられたと聞いた後、偶然にその家を知ることになった。それで、孫娘が自分の名前のことで同級生にからかわれたと話したので、彼女を連れて散歩に行く途中でその家の前を通り、玄関先の表札を見せた。そこには孫娘と同姓同名が子供の3番目に書かれてあることを知っていたからである。

 

四国の人々は漁業の関係で長崎県と深くつながっていた。長崎の港の中にある小さな島「神島」には赤岩姓がたくさんいるそうなので、彼らは四国につながっているのかもしれない。私の先祖も五島に移住する前には西海地方の初島にいて、五島から薪を持ってきて長崎の街へ売りに行く仕事をしていたと聞いている。我々は案外、キリスト教徒であった赤岩栄につながっているのかもしれない。

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