白井聡「主権者のいない国」(1)-東筑高校と下関国際高校の野球
この本の著者は、だいぶ前に読んだ本「永続敗戦論」によって知
最初の話題は、「高校野球と階級闘争(第2章 現代の新自由主義と反知性主義)である。2017年の甲子園高校野球に関連して、「日刊ゲンダイ」で起きた論争について論じている。福岡代表で県立の有数の進学校である東筑高校の青野浩彦監督が、8月6日の紙面に登場した。以下引用する。同監督によれば、「勉強重視」と言うより「勉強の学校」である東筑高校の野球部の練習時間は短く、生徒の自主性を重視するという方針は、伝統的なスポ根路線の対極にある。曰く、「野球(部) は人間力を育てるところ」なんて言うけど違う。悪さをしないために野球をやっているみたいな学校もあるでしょう。でも、野球に縛られたものが外れたら結局ダメになりますよ」。そして、同月12日、東筑青野監督への反論の言葉を連ねたのが、山口代表、下関国際高校の坂原秀尚監督であった。同校では、練習は朝5時から行い、終わりは23時に及ぶこともあると言う。「自主性をうたう進学校」に対しては、「そういう学校には絶対負けたくない」、「僕ね、「文武両道」と言う言葉が大嫌いなんですよね。ありえないと語り、「自主性と言うのは指導者の逃げ」。「やらされている選手がかわいそう」とか言われますけど、意味がわからない」と真っ向から異を唱えた。
著者は続ける。いわゆる「世論」に聞こえるのは、東筑青野監督の言葉であろう。一般論として、文武両道は望ましい、それを支えるのは、選手の自主性や効率的な練習である。しかしながら、こうした世論に正面から斬り付けた下関国際坂原監督が持ち込んだものは、言うなれば、「階級闘争」の言語だった。
恵まれた階層に位置する東筑高校と、そうでは無い下関国際高校を対比した後、世論は東筑高校に肩入れしたと書く。かき氷すらも禁欲した「管理主義」の下関国際が、さほど禁欲的でない敵を相手に敗れたことを嘲笑する現象も見受けられたと書く。そして、中島みゆきの「ファイト」(闘う君の唄を 闘わない奴らが笑うだろう)を紹介する。私は読み終えてから著者の言わんとするところがつかめなかった。慌てて読み直してみて理解した。尊厳を大事にして戦うことの重要性を下関国際高校に肩入れして語っている。
白井聡が主張している事は、すべてこの言葉に要約できると私は思う。問題に対して、それを直視して闘えと言っているのだ。そして、中島みゆきが好きなようだ。私もそうである。
結びの言葉を引用する。自らの尊厳をかけての戦いに、ただの1度も挑んだことのない者が、夜更けまで続けられる素振りのバットが風切る音に「闘う君の唄」を聞き取ることなどできようもない。だれも耳を傾けない唄は、やがて誰も歌わなくなる。その時に出現するのは、尊厳なき社会である。
現在の日本が抱える問題は国としての総括をしていない事に始まるのではないか。むろん多くの評論家・識者・体験者が戦争の愚かさを語ってはい居るが国民には響かない。やはり国が総括をすべきだ。8月15日も終戦記念日じゃなく敗戦記念日である。
返信削除東筑と下関国際の話は身につまされる思いがある。どちらの監督も言ってることはその通りだと思う。どちらとも言えない と言えば逃げになるが監督の下には数十人の子供たちがいるし各人の受け取り方・考え方と環境によるので一概に言えない。俺の場合はどちらかと言えば中途半端であったので中途半端な現在がある。
感想を書いていただきありがとうございます。どなたかは分かりませんがませんが、言葉使いからしたら、E君のような気がします。あなたが使われた言葉、「身につまされる」に感銘を受けました。最近、このことばを聴く機会が少ないようです。
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