津田左右吉、「古事記及び日本書紀の研究」

この本は昭和15年に発売禁止になっている。昨年11月に再発行された。著者の津田左右吉については、石渡信一郎の著作の中で触れられいたので気になっていた。戦時中に発禁となったので余計に興味が募る。読み終えてみて、至極真っ当な論述であると思った。なぜ発禁になったのか納得できない。当時、東大総長であった南原繁が前文を書いている。昭和14年に東大法学部に東洋政治思想史の講座が新設された。南原が、早稲田大学にいた津田を講座担当に推薦した。南原が言うように、津田の著作は何ら問題はない。軍部政府が言うような天皇家に不敬などではなく、かえって尊敬の念を抱いていたと書いてある。 古事記と日本書紀を対比させながら、その記述の信憑性を論じている。神代の話は当然として、神武天皇からの8代は作られた話である事は間違いない。この部分を先人たち、例えば新井白石や本居宣長などが、なぜそのような論を展開したかについての説明は説得的である。

 私が特に興味を持ったのは、応神天皇から継体天皇までの5代の記述に疑問を呈しているところにある。石渡信一郎はこの点で津田の論にヒントを得たのではないだろうか。実際には2人の間には天皇は存在していないと、彼は主張している。応神と継体は兄弟であり相次いで即位したとしている。なぜこの事実を隠す必要があったのか。それは、その後、即位をめぐる争い(クーデタ)がこの兄弟の直系の間で何度も起こったことを隠す必要があったからだと、石渡信一郎は述べている。 

津田のこの本を発禁にしたいきさつを考えてみたい。それは明治維新政府の生い立ちにさかのぼる必要がある。大久保利通らの政府要人が欧米の長い視察に出かけて感じた事は、今後の戦争は国家をあげての総力戦になることだ。そのため、国民をまとめ上げる必要がある。欧米ではその手段としてキリスト教があるのに対して、日本にはそれにあたるものがないと彼らは考えた。そこで、天皇及び神道を祭り上げた。指導者たちは、心から天皇をそんなに崇拝していなかったと言う説がある。伊藤博文などは天皇家から金をむしりとっていたと読んだことがある。ただし1部の右翼や軍人及び国民は心から尊敬していたのであろう。津田も日本書紀の記述は別として、天皇制度そのものに反対しているわけでは無いようである。

 ひどいのは軍部の上層部である。明治天皇は、日清戦争、日露戦争には反対であった事は明らかになっている。大正天皇は文化人として高い教養を持っていたそうである。政府と軍部は国民をまとめ上げるためには、大正天皇を思うように動かすことができないと考えたようである。そこで昭和天皇が若い時から代理役をさせられることになった。天皇を現人神としたのは軍部である。国民のほとんどはこれに従った。しかし、年長の軍部上層部には、この若い昭和天皇を見下していたものがいると言われている。そのこともあって、天皇が危惧した戦争に関することについて、真相を語らず、いわゆる二枚舌を使っていた(保坂正康)。昭和天皇はこのことに何度か気がついている。 

 5.11事件や2.26事件を起こした若い将校たちは、政府や軍部上層部の天皇への本当の忠誠心に疑問を感じたのかもしれない。しかし結果的に、事件を起こした彼らも思い込みを犯しており、天皇の本心を知ることがなかった。これが悲劇だ。 天皇をいただいて、昭和の戦争に突き進んでいった理由は、いろいろな条件が絡み合ってのことだとは理解できる。しかし、誰が決定し、従って、誰が責任者となるべきかは少なくとも日本人の手では明らかにされていない。軍部が天皇を隠れ蓑にしているとしか思えない。明治憲法がそのような責任逃れのシステムであるという欠陥を有していたとの説はうなずける。過去の歴史を明らかにする努力はずっと続ける必要がある。そうしないと、1人の人間の心理として抑圧した問題が繰り返し起こるように、国家としてもまた同じような悲劇が起こるかもしれない。 

今度、もし戦争になるとして、天皇を利用することはできまい。ただし、誰が決定し、したがって、その結果の責任を取るものが誰であるかをはっきりさせないままに、戦争に突入してしまう事態が起こるような気がする。昨今の政府指導者と官僚の振る舞いからすれば、十分に心配しておかなければならない。 

この本の付録の1つとして、卑弥呼の都が北部九州にあったとする説を根拠を示してはっきりと述べている。これは石渡信一郎と同じである。私が思うに、石渡は、江上波夫の「騎馬民族渡来説」と、津田の仕事から大きな刺激を受けている。さらに詳しく言えば、彼らの説を元にして、さらに新しい事実を発掘して研究を発展させたように思える。

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