ヨットはなぜ風上に進めるのか

 

ヨットはなぜ風上に進めるのか

子供の頃に、帆掛け舟を自分で作って遊んだ。板をナイフで削って帆柱と梶を竹で作り、紙の帆をかけた簡単なものだった。生まれ育った奈留島にはかなり大きな湿田があり、我が家もそこそこの田を作っていた。湿田であり水が深く、農作業は大変だった。その代わり、ドジョウ、フナ、おまけに、ウナギがたくさんいた。稲を刈り取った田んぼは、大きな池のようになる。冬にはたくさんの鴨が飛んできた。

 

帆掛け舟を風上から離すと、向こうのあぜ道まですーと走ってくれる。その走りは、当時はやっていた、ゴム巻きのプロペラ船には比べようのない優雅さである。たまには、田んぼの真ん中でひっくり返って、靴を脱いでズボンをまくって回収しに行く羽目になったり、あぜ道で足を滑らせて田にはまり込んだりした。


結婚して実家に帰った時に、父親が記念かどうかわからないが、FRP (奈留島初) の伝馬船を買っていた。8馬力のエンジンを積んでいた。無免許ながら二人で沖合の無人島まで行き楽しんだ。ある日、カミさんに頼んで、大漁旗を縫い合わせて帆を作り、船につけて、甥っ子達と静かな走りを楽しんだ。子供ができてからは、遊ばせるために、船体を桐の板で作り、底に鉛板の重りをはめ込み、帆柱も前後に糸をかけて補強し、帆布に防水スプレーをかけて作った。熱海の海辺の水たまりに浮かべて、子供たちと遊んでいる写真が残っている。


その後は、ラジコンのヨットを買って組み立てた。子供たちはあまりのってこなかったので、夫婦2人で楽しんだ。相模湖で走らせていたとき、遠くへ行きすぎてしまい方向がつかめなくなり、制御不能で戻すことができなくなった。幸いに、手漕ぎボートで遊んでいた人が回収してくれたことを思い出す。写真にあるのは、2艘目のものである。九州に引き上げる直前に買ったと思う。高さは1.9m、長さは1mある。宗像市の水源地である大井ダムで走らせていた。途中で金網が張られ立入禁止になったので、その後、屋根裏にしまい込んだままである。孫が興味を示したら、また浮かべたいと思う。


前置きがずいぶんと長くなった。ヨットが風上に登ってこれるので、ヨットを走らせるときに、風向きをそんなに気にする必要は無い。

帆掛船で遊ぶのとはここが大いに違う。ここにあげた問題について、いつ頃、真面目に考えたのかは定かでない。


1
度目の議論は、ドイツのシーメンス社の保養所で泊まったときの宴会の時である。当時、NECとシーメンス社は、自動車・携帯 (セルラー)システムの技術提携の話を進めていた。最初は、東京のNEC本社であり、2度目は、我々3名がドイツを訪れた。ミュンヘンにあるシーメンス本社での会議の後、ウィーンにある研究所を見学していた。保養所は山あいにあり、料理 (イタリア風)も酒もよかった。出来立ての白ワインが、ビールのジョッキで出されて大いに楽しんだ。途中でトイレに立ったとき、たくさんのジョッキを並べて、ワインをホースで注いでいるのを見て驚いた。研究者の1人がイタリアにヨットを持っているとのことで、例によって、私がヨットの問題の議論をしかけた。下手な英語での会話のせいもあって、議論はなかなか結論に至らなかった。私が途中で結論を言うと、皆が、何だ当たり前ではないかと言う顔をした。前提としているので、いちいち言う事は無いのではないかと思ったのだろう。しかし、我々の議論は風上に向かうことを可能にしているところの、物理的に必要な本質についてであるから、明示してもらわなければならない。

 

2番目は、九工大情報工学部に赴任してまもなくである。大学入試共通試験の監督要員となり、戸畑キャンパスの宿泊所に、飯塚キャンパスからの同僚たち数名と前日から泊まり込んだ。酒を飲みながら雑談をしていた。その中に、物理を教えてる教授がいた (教養部がないので、教養科目の講義を担当する教官は専門に近い学科に配属されていた)。何かのはずみで、ヨットがなぜ風上に走ることができるかの、物理の問題を話すことになった。議論のほとんどは、私とその教授が行った。年齢は私よりもだいぶ上である。少しエキセントリックなところがあるものの、誰とでも率直に話をする、好感の持てる人である。どのように、議論を進めたのかは思い出せない。物理の話であるから、風と船と帆の向き、力のベクトル分解、帆のたわみ等を考えたはずである。私はどちらかといえば、議論というか対話を楽しみたいので、結論を先に言うのは好きではない。この点で、カミさんには、議論がネチコクて、相手を追い詰めるので嫌いだと言われている。議論が噛み合わないので、私は最後の質問をした。「それでは次のような状態を考えてみましょう。宇宙戦艦ヤマトが、宇宙に浮いているとする。ヤマトには大きな帆が張ってってあり、太陽風を受けるものとしましょう。先生の考え方では、ヤマトは太陽に向かって進むことができることになりますね」と。彼が「そうだ」と答えたので、私は議論を終わりにした。今、思うと、水中にすっぽり入った潜水艦に帆をつけて、潮の流れの中に置いた場合を質問したほうがよかったのかもしれない。


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度目は、九大祭における箱崎キャンパスでの出し物についてである。航空工学科の学生が、木の台車に4つのゴム車輪をつけ、帆柱を立て、扇風機で風を送り、大きな平板の上で、地上版ヨットの実演を行っていた。私は喜んで行き、1人で担当している学生と対話を始めた。もちろん、風上に登れる物理的理由である。その学生は、帆が曲がって風を受けていること、帆の角度が大事だと言った。私は、それでは、帆を薄いアクリル板にしたらどうなるか、また、風の代わりに無数の小さな軽いボールをその帆板にぶつけたらどうかと質問した。彼は、「確かにそれでも良い」と答えた。まだ大事な点があると私は攻める。少し待っても、答えがないので、じゃあ、この平板をつるつるに磨いて油を流したらどうなるかと聞いた。彼は、「あう、そうです、摩擦力が必要です」と正解を出した(答えの本質は2点ある)。私はその学生に、これまで私が行ったヨットに関する2回の議論を披露して喜んでもらった。そして、電気工学科で教えていると身分を明かし、「物事の本質を考える」癖をつければ、今後、大きく力がつくよと話した。


実際にヨットに乗ったのは、2回である。NECで同僚だった並木君が、2人乗りのヨットを三浦海岸に持っていたので乗せてもらった。風上に向かっていくとき、方向を切り替えるため、帆と梶を操作し、座る場所を移動する動作を楽しんだ。もちろん、風下に向かって高速で、波を切りながら進むのも気持ち良い。何よりも自分の感覚と脳をしっかり使うことが、この上もない心地よい。2度目は、大学に出入りしている業者を、誰かから紹介されて乗せてもらった。唐津湾だったかどうかは思い出せない。クルーザーと呼ばれる大きなもので、エンジンもついていた。私以外にも、何名か招待されていた。残念ながらこの時は、そんなに楽しいとは思わなかった。風だけで進むのは気持ち良いものの、お客さんとして黙って乗っているのは手持ちぶたさである。

コメント

  1. ありがとうございます。帆船の話は以前から私も疑問に思っていました。物理的に帆は追い風で前進する動力が得られる。それが帆船は向かい風でも前進すると言うのが大航海時代に技術が定着していたのには驚きます。正直言って未だ前進する帆船の仕組みを私は理解していません。優秀な学生さんが羨ましいです。

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