邪馬台国サミット2021

この番組は、今年の元旦に放送されたものだ。最近、再放送されたので録画しておいてみた。観終わってからの感想を一言で表すと、「がっかり」である。なぜ、そのように感じたかを考えて、ここに書くことにする。見終わってからすぐ消してしまったので、残念ながら、詳細を確認することができない。題名も定かでなかったので、ネットで検索した。そこでの番組の紹介をそのまま下に書く。

 女王・卑弥呼の都「邪馬台国」はどこにあったのか?九州説と近畿説の論争は、どちらも決定的な証拠を示せないでいるが、その一方で、近年、邪馬台国をめぐる考古学的な発見も相次いでおり、議論はますます白熱している。第一線の研究者たちが集結し、最前線の証拠や資料を検証し、激論を繰り広げる。令和の時代の最新の知見を織り交ぜた「邪馬台国論争」決定版!

参加者がこの道の研究者とあるので、最新の知見に基づいた議論がなされるものと誰もが期待するだろう。司会者は、私は名前と顔だけを知っている、2人の芸人 ( 爆笑問題 ) である。意見役 (コメンテータ ) は、東大教授の本郷和人 (何か読んだことがある)だ。専門家は7人であり、うち3人が北九州説、残りの3人が近畿説、残る1人は三国誌の文献学者である。伝説的研究者(レジェンド)として、吉野ヶ里遺跡の発掘を主導した高島忠平 (吉野ヶ里遺跡の見学会で、見学者の1人が、彼に邪馬台国所在の意見を聞いたところ、筑後平野の甘木地方を指差したことを私は覚えている)と、巻向遺跡を発掘した、近畿説論者と思われる石野博信である。彼ら2人は特に自説は述べなかった。 

 この番組で新事実と紹介したのは、まず、巻向 (桜井市) の遺跡で見つかった建造物跡と数千個の桃の種である。桃の種の放射性炭素年代測定を行ったところ、3世紀前半と推定された。これは卑弥呼の時代と合致する。桃は占いに使用されたようだ。建造物の材木に対する年代測定は、伐採年と実際に建物に使われたときの時間差が誤差となるので、どうしても年代が古く(早く) なるの。そこで前から異論が出ていた。桃の実であれば、このような年代差は無視できる。映像は何度か示されるものの、このような事実背景は説明されない。 

近畿説の拠り所は、巻向遺跡のみである。巻向 (大和)を中心として、周りに九州、吉備、出雲を結んだネットワークがあったと言う想定のようだ。専門家で名前をはっきり覚えているのは、寺沢薫である。彼に対して、九州説の女性が、「それではあなたは邪馬台国が、そのまま大和朝廷につながっていると思うのか」と質問したところ、「そうだ」と応じた。彼女は、鉄製品出土数の比較データを示して、近畿説に反論した。九州説の男性の一人 (小郡市の博物館所属?) は、巻向の建物は卑弥呼のものにしては大きすぎるのではないかと言った。

 九州説に対する疑問点は特に指摘されなかったと思う。大阪大の教授 (遠隔テレビ電話参加) は、「九州説は自虐史観だ」と言った。私はオヤと思ったが、誰もさしたる反応を示さなかった。九州説は北部九州ネットワーク国家群と言い表されていた。卑弥呼は共立されたとあるので当然のようである。

 その他の新事実として、九州の日田市で見つかった中国製の鏡が示された。しかし、議論の決着に役立つ事実は何もない。倭人伝の旅程距離記述は誇張されており、そのまま信じることができないと言う話も出た。これはだいぶ前から言われていることである。 

私に思い出せるのは、せいぜいこの程度であり、2時間も費やしたのに大した結果が得られていない。なぜこのような番組になってしまったのだろうか。私に言わせると、日本人全体の傾向として、論争を好まないからだ。論争は、事実をもとにして、互いに相手の理論の根拠を入念に確認しながら進めて、初めて実のある結果につながる。1つは司会者の力量不足である。芸人だからといって馬鹿にしているわけではない。物事の本質に迫る思考態度を有しておれば、何が大事な論点であるかを理解し、議論をその方向に誘導できる。残念ながらコメンテータにもその力量がなかった (と私は思う) 。NHKの歴史番組に登場する磯田道史を使えば、もっとマシになっただろう。そもそも、番組の制作責任者の能力が足りなかったのかもしれない。これまで論じられている、本質的な事実と根拠を簡単に整理して記述したスライドを多用すべきであった。民放で放送している、「関口宏のもう一度、日本の近現代史」は、この点でよくできている。番組制作者は議論の落としどころと筋書きを先に書いてしまっていたのではなかろうか。陰で、皆に、書いたものを示して、進行を促している男が何度か画面に写っていた。

 私の所属している無線通信の学会では、重要な議題を節目ごとに選んで大きな討論会を行っている。会場からの質問も受け付けるので、盛り上がることが多かった。私は、邪馬台国に関する古代史の講演会・討論会 (一般向け、有料) に、何年か前に初めて参加したことがある (角川書店とどこかの新聞社の共済?) 。この時はがっかりした。各専門家が自分の説を述べるのみで、討論会になっても何らめぼしい議論が起こらなかったのである。 

日本人は議論が下手である。意見が違うとののしりあいの喧嘩になることが多い。国会における討論において、今日のは良かったと思った事はほとんどない。

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