船のタイヤ

 

小学校に入る前の私の思いこみを書く。生まれ育ったのが、五島奈留島である事は何度も書いた。漁業が盛んであったので、船がたくさんあった。漁船のそこそこ大きいのには、ディーゼルエンジンを積んでいる。当時は船の両舷に、車のタイヤを片側に4個ぐらいづつ着けてあった。岸壁につけるときなどの緩衝材として、古タイヤを利用していたのである。私は、その船が車と競走して勝ったので、戦利品として、そのタイヤを使っていると思い込んでいた。

 

小学校に入る前は、大人に向かってなぜなぜと聞くこともあれば、自分で勝手に結論づけていた子供時代があったのは、私だけではないと思う。当時は、実際に車が走るのを見る機会は少なかった。島にある材木屋がマツダの三輪車を使っており、これが、たまに来ると、子供たちみんなが喜んで近寄り、排気ガスのガソリンの匂いを嗅いだ。少し大きくなると、走って追いかけ、荷台の後ろから、牽引用鉄輪を踏み台にして、飛び乗って、少しの間の乗車を楽しんだ。見つかるとひどく怒られた。

 

問題は降りる時である。降りる時に、車の振動で荷台で顎をひどく打たれることがある。手で荷台の上端をつかんで、そのまま少しの間、足を走らせてから、手を離すのがコツである。できるだけ速度が落ちた時が良いので、峠の入り口の坂が始まる場所で降りた。たまには、降りることができないで町まで乗せられていった子供もあった。当時の道路は舗装していなかったし、道もまっすぐでなかったので、車はそんなに速くなかった。それに比べて、旧式の焼き玉ポンポンエンジンからディーゼルになった船はずいぶん速く見えたので、私の思い込みはあながち、的外れではなかっただろう。

何年か前に、東京に赴任していた息子一家が、瀬戸内海のフェリーで九州に戻ってきた。小学校に入る前の孫が、フェリーの中でブリキの船のおもちゃを買ってもらっており、私に見せた。その孫が、「なぜタイヤが船に付いとると」と聞いた。私は、「車と競争して勝って、分捕った」と答えた。

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