陰謀の日本近現代史

 

この本の題名に現れている「陰謀」に異和感を持った。今日の新聞(朝日)に「「陰謀論」拡散 日本でもあった」と言う記事が出ている。この中で紹介されているように、「陰謀論」には嘘が含まれている。保坂正康のこの本では、そのような意味を含んでいないことは、本の帯の次の文章でわかる。「いつの世も知恵と知恵の戦いが歴史を作る。ときにはそれを「陰謀」と言う。よく知られた事実も本来は何者かの陰謀の産物かもしれない」。「戦争と大事件の「闇」を照らす」。「歴史を変えたのは誰なのか、私は、今、光を当てたい」。「ルーズベルト、近衛文麿、東條英機、西郷隆盛、伊藤博文、昭和天皇、甘粕雅彦、中野正剛、大西瀧治郎、瀬島龍三… 彼らが関わった大事件や歴史上のふるまい、そして、あの戦争の帰趨には知られざる裏がある」。

 

私は、会社時代の昼休みに英語を聴くのに慣れるために、ソニーの名刺型ラジオで、米国の極東放送 (Far East Network) を聞いていた。世界の出来事を紹介した最後に、「that's behind the story」と結んでいた。出来事の「背景」の説明である。「闇」はそれより暗く、「陰謀」は悪だくみが感じられる。開戦前のルーズベルトが代表する米国の動きは、日本から見たら悪だくみに思える。しかし。これは彼らの意思を達成するための、戦い方の立派な知恵である。

 

私があれこれ書くより、目次を見たほうが手っ取り早いだろう

 

1部 陰謀の近現代史

1章 仕組まれた日米開戦

   (1) ヒットラーを利用しようと画策する東條英機

   (2) ルーズベルトが日本に仕掛けた罠

   (3) 運命の午前会議、出席者は9

   (4) 近衛と東條の対立

   (5) 国策検討会議のトリック

   (6)  空白の1

   (7)  国家存亡をかけた日米の化かし合い

   (8) 真珠湾攻撃へのカウントダウン

   (9) 日露戦争での伊藤博文の覚悟

 

2 事件の伏線、人物の命運

   (1) 新国家建設での軋轢

   (2) 西郷隆盛が見誤った「会津の恨み」

   (3) 天皇がいて、いなかった大正の5年間

   (4) 甘粕正彦は大杉栄虐殺の真犯人か

   (5) 中野正剛はなぜ自決したか

   (6) 日本人による幻の東京裁判

 

2部 歴史から問われる大局観

3章 戦争に凝縮された日本的特質

   (1) 128日勝利の祝宴

   (2) 敗北の始まりミッドウェーと山本五十六の運命

   (3) 軍人指導者の歪み

   (4) 客観性なき戦闘

   (5) ポツダム宣言受託への曲折

 

4章 歴史の闇を照射する記録と証言

   (1) 爆撃調査団が調べあげた数字

   (2)日本本土への攻撃作戦

   (3) 山本五十六最後の謎

   (4) 出陣学徒代表..70年後の述懐

   (5) 極秘電報を握りつぶした瀬島龍三の弁解

   (6) 大西瀧治郎はどのように特攻の責任者にされたか

 

これで終りにするのは能がないので、私の見解を書いてみる。もとより、この言説は私が今までどこかで読んだことの受け売りである。日本人だけでなくアジア諸国や米国の人々に悲劇を与えた、昭和の戦争の原因は、当時の指導者、特に軍人に人材がいなかったことだ。もちろん、昭和天皇も含めて見識のある指導者は、いない事はなかった。しかし、後から見るとどうしても無能あるいは狂信的な指導者に日本人全体が従ってしまった。軍人の代表として、東條英機が挙げられる。彼が戦前と戦時において、国のトップ(総理大臣、後に陸軍大臣と海軍参謀総長を兼ねた)に着いたのが1番の悲劇である。ムッソリーニ、ヒトラー及びスターリンに比べれば狂信の程度は軽いかもしれない。しかし、判断力・知力の低さでは、彼らに負けていまい。開戦論者である彼が、首相になったのは、開戦を望む軍部を抑えるための策として、内大臣木戸幸一が推挙し、昭和天皇の承認を取り付けたからである。天皇は「虎穴に入らずんば虎児を得ずだね」と応じた。東條は天皇の意思を直接伝えられ、当初は和平を唱えていた。開戦を決めた夜には皇居のほう向いて、布団に正座してさめざめと涙を流した。自分は天皇の気持ちをよくわかっているし、最も忠実に従っていると、思っている節がある。実際に天皇の信を得ていたとの説もある。天皇の願いは、天皇家の血筋が絶えることなく続くことである。そのためにはどうしたら良いかについて、東條はどれほど考えていただろうか。

 

彼の馬鹿さ加減はいろいろ語られている。

「お前たち飛行機を打ち落とすのは、何でするのか。機関銃と思っているだろう。違う、精神力だぞ」。「敗戦になるとどんな状況になるか」と国会で聞かれ、「敗戦はこちらが負けたと思うことだ。負けと思わなければ負ける事は無い」と答えた。その他にも、特別高等警察を使って邪魔者を排除するなどしている。

 

軍での出世は、軍の学校卒業成績の順番でほぼ決まっていた。成績は主に学科試験によって付けられる。口頭試問もあったけれど、いずれにせよ、良い成績を取るためには、試験官の意に沿う答えをしなければならない。ある有能な軍人が、口頭試問で戦争で勝つための条件で最も大事なものは何かと聞かれ、「鉄量である」と答えたら馬鹿にされた。指導者の考えと違うことを言う者を大事にした事は少ないはずだ。

 

上司に楯突く、あるいは、責任を指摘する意見を言う者は、たとえそれが真実であっても、激戦の最前線へ送り込んで結果的に殺してしまう。こういうことも知った。アメリカ軍の本土上陸を防ぐために、作戦を立てているとき、「戦車を動かすのに民間人が邪魔になる」、と誰かが言ったら、上司が「構わず轢き殺せ」と答えた。同様に、軍の上層部は下っ端の兵隊の命など全く気にしていないかのような作戦を立てる。インパール作戦を指揮した牟田口廉也が、内輪の話で、5千人を殺せば成功すると言ったのを秘書官が耳にしている。彼は、敵の兵隊のことかと思ったら、彼の配下の軍人のことを言っていることが分かって驚いた。陸軍を首席で卒業した瀬島隆三(後の伊藤忠商事会長)は、堀栄三大佐が、台湾沖航空戦の戦果の間違いを指摘し、注意するようにと、鹿屋基地から参謀本部へ出した電報を握りつぶした。大本営が華々しく、嘘の大戦果を発表していたので、これを上層部に上げることをしなかった。アメリカ軍に大打撃を与えたとする、偽りの情報をもとに作戦を立てたフィリピン海戦で、健在だった米航空艦隊に叩きのめされ、その後の戦局を決めることにつながった。

 

前回の戦争は誰が指導者となっても、開戦を止める事はできなかったと言う説もある。日本人特有の空気を読む流れは、誰も止められなかったのであろうか。そんな事はないと思う。戦争は相手があることなので、勝敗と損得を冷静に考えて良いはずである。解決策の一つは、中国から撤兵することである。現に、石橋湛山などはそのような主張をしている。軍人は今までの軍人の死を無駄にするのかと反対した。それから先にどれほどの命がさらに失われるかも考えないで。空気を読むと言う思考は誰も責任を取らない体制へとつながり、同じ失敗を繰り返すことになる。

 

軍部で評判が芳しくない指導者の心持ちは、いろいろな言い方がなされている。その中で私が取りたいのは、出世したかった、あるいは、勲章をもらいたかったである。いつの世にも、組織の中には一定の割合でこのような心持ちの人がいるだろう。ともあれ、指導者の資質は何事に勝って重要である。良き指導者を見つけ出し、彼らに仕事をしてもらう体制、制度作りはどうあるべきだろうか。あるいは、吉本隆明が言うように、大衆が自立するのを待つしかないのだろうか。

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