思い込み (3) 決め打ち

 

電通大での特任教授時代の出来事である。ある会社のデジタル無線機の開発について、指導を頼まれていた。方式設計と特性の確認等を繰り返して、2 年位で、実際に試作機作りの段階に達した。納期が迫ってきているものの、思ったような性能が出ない。技術者が、もがくのは通例である。問題の解明と対策のために、夜遅くまで、ときには終電間際まで、工場の現場で皆で働いていた。

 

我々の現場の隣で、別の部署のプロジェクトが進んでいた。ある夜、若い技術者が上司に怒鳴り付けられていた。「お前は決め打ちしているだろう」と言った、上司の言葉を今でも覚えている。隣の現場でも何か問題が起きており、その対処の仕方について、このような言葉で叱られていたようだ。ともあれ、「決め打ち」と言う言葉に興味が持てた。我々が若いときには、このような言葉遣いはなかった。若い人が問題の核心に迫るさいに、いろいろな角度から検討することをせずに、1つの思いついたことからのみ、作業を進めていたのだと思う。

 

我々のプロジェクトのリーダーである、Iさんは、技術的にも人格的にも優れていた。したがって、このような罵声を聞く事はなかった。むしろ、各自が、自由に意見を出し合い、良いと思えた検討案を手分けして実行し、楽しんでいたと、少なくとも私は思った。このようなプロジェクトは、彼らにとって初めてであり、技術の蓄えもさほどなく、技術者も揃っていなかった。ひとえに、Iさんの指導力によるものである。私は、デジタル無線の技術はわかるものの、実際、それを無線機として、実現した経験はなかった。

 

技術者の体制に不安があったので、私は当時、たまたま付き合いがあった、独立したてのベンチャー会社のTさんを紹介し、下請けの形でプロジェクトの一員に加えてもらった。彼は、特にアナログ無線部のエキスパートであり、本質をよく理解していた。また数学も好きであり、娘さんは東大の数学科を目指した後、一橋大学の経済学部を出て、外資系のコンサル会社に勤めている。学生時代の彼女を呼び出して、仕事が終わってから、三人で酒を飲みながら話をしたこともあった。

 

無線機の信号処理は、慶応大学の大学院を出て3年目の若い人、K君と、その会社の子会社に在籍していた、これまた若い人(高専卒?、名前を思い出せないのでA君としよう。彼もまた、素直で好感の持てる青年だった) の2人である。当時のディジタル回路の信号処理能力は、私の現役時代からしたら、驚くべき高さであった。乗算器を備えたCPUをいくつも使い、高速FPGAと併用するものである。とは言え、当時の3G無線機の信号処理量からすればそれほどでもなかったと思う。彼らが分担して、信号処理プログラムソフトを開発した。途中からベテランのHさんが加勢してくれたので助かった。K君は、FPGAのプログラムを書けたものの、通信の仕事はしたことがなかった。大学では制御の研究を行ったようである。素直で飲み込みが早かった。2年ぐらいは、通信方式の設計を、MATLABを駆使して行い、結果の検討を、月に1, 2度の検討会議のほかに、メールで行った。私が教えたのは、自分の頭でとことん考えること、検討結果を必ず文書で残すことだ。私の大学の研究室では、教育的見地により、FORTRANあるいはC言語の使用しか認めず、MATLABを使う事は許していなかった。MATLABが強力である事はこのときよく分かった。

 

MATLABシミュレレーションで得ていた性能が出ないので、その原因探しが続いた。その原因の1つが判明した。A君の思い込みによる間違いであった。クロック(サンプリング) 周波数を変えるときの処理において、彼はデータが足りなくなると適当なビットを挿入していた。PCM音声通信ではよく使われる技術である。残念ながら、我々の無線機はデータ通信が重要である。クロック周波数の変更は、低域通過フィルタを通した後、別の周波数で標本化(サンプリング)しなければならない。Iさんの話によれば、A君は、思い込みにより他の間違いを起こしており、「彼が仕掛けた地雷が火を吹いた」と笑いながら表現した。

 

ともあれ、このプロジェクトは成功した。その成果を、標準として他のシステムにも応用する話も聞いた。K君の社内評価は高まったようだ。私が1番嬉しく思ったことがある。K君が「赤岩先生の言うように、本質さえわかっておれば、何もこわい事は無い」と言ってくれたことである。私が残念に思ったのは、Iさんの社内での評価が大したものでなかったように感じたことである。上司の管理者は技術者の能力がいかに大事であるかは、ある程度、分かってくれてはいるだろう。しかし、今回のプロジェクトのように、自分たちのビジネスの将来につながる技術を一から開発した事は、大いに尊重されるべきである。経営者は技術開発が終われば、実際にビジネスを行うのは、自分たちでやるから、技術者は用済みと考えるのかもしれない。しかしこれは間違いである。ビジネスの背景は、どんどん変化する。技術を必要とするビジネスであれば、次々に新しい技術開発に挑戦しなければならない。技術者を用済みと考えるならば、経営は短期的にはどうにかなるだろう。しかし、永くは生き延びる伸びることはできない。

 

最後には、本題から外れてしまった。

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