海で死にかけた話

 

一度目は、地元でいう「サヤ」に巻き込まれたときである。私の釣り船は、実家がある五島列島の奈留島の船廻湾の入江の港に置いてある。奈留島は若松島と久賀島との間に位置する。これらの島の間の瀬戸を、一つをタッゴラ(滝河原の訛りか) 瀬戸、反対側は奈留瀬戸と呼ぶ。その日の海は穏やかであった。海底地図を見て、滝河原瀬戸の入り口にある「矢の島(地図には相の島とある)」近くの、新しい釣り場に行くことにした。釣り場に着いて、エンジンを止め、釣具の支度を始めた。仕掛けつくりに手間取り、10分ぐらい下を向いたままでいた。終わって、顔を上げて海の異変に気がついた。潮の流れが速く、船は矢の島から200mは流されている。また、海面がこれまで見たことのない異様さである。高さが1mはあると思われる波が、いわゆる三角波も含めて、形容し難い不規則さで出現しており、これらがあちこちの海底から湧き上がるような不気味さである。これが数100mの四方で私の船を取り囲んでいる。おりしも、空が曇り風も吹き始めた。風に作られる波と潮流による波とがぶつかると怖い。なぜ。このときまで気がつかなかったのかは不思議である。おそらく、気がつく直前になって急に変化したものだろう。

 

驚いてエンジンをかけたものの、どちらの方向に逃げるべきかが判断できない。波が高くなったら、超低速で走らせろと聞いていたことを思い出した。自分自信に、「慌てるな、慌てるな」と言い聞かせながら、矢の島に向けて動いた。サヤの中から抜け出して、安心するまでどの程度の時間を要したかは分からなかった。今から思うと10分ほどのことかもしれないが、私にはもっと長く感じられた。無事に帰り着いて何日かの後、島でずっと小漁師をしている同級生に話したら、ひどく叱られた。大潮の時期に、よりによって、滝河原瀬戸の一番危ない場所に行ったのかと言うのである。漁師はそこの場所あたりを海の関所と呼んでいると聞かされた。私が、「あれは経験した者でなくては、分からない怖さだ」と言ったらうなずいていた。その後、まき網船団を経営し、本人自ら漁労長としてまだ働いている(今年の秋に病気で亡くなった)同級生に遭難しかけた話をしたら、「お前は運が良かった」と言われた。彼が保有している本船(鉄製で何10トンかある)でもあの場所では、底から突き上げられて簡単に転覆するという。その証拠に遭難した船の名前を口に出した。

 

海底図を見ると、その場所が危ない理由がある程度分かる。狭い滝河原瀬戸を通った速い潮の流れが矢の島にあたり散乱される。また、市吉良鼻と葛島の間に横たわる海底台地(八幡堆)から、落差20mぐらいの潮が流れ込んで合わさる。これに風が起こす波が加わる。波が不規則になるはずだ。この事件の次の年、今から3年ほど前のことである。先に述べた漁師の男が幹事をする、中学の同窓(級)会に提供するため、彼を手伝って伊勢エビ漁を行った。刺し網を夕方に仕掛け、朝早く回収する。1日目は6匹かかったので、23日で目標とする、一人一匹、合計で24匹はかるいとふんでいた。しかし、相手は海のものである。結局は1週間以上かかり、しかも、目標数に届かなかった。ただし、型は立派であり、地元の業者から買うと1匹で5000円はするものがほとんどであった。その他、グレ、海鯉、カワハギ、コブダイなどに加えて、ハコフグなどの珍しい魚、おまけにサザエがたくさん取れた。近所に配ったり、兄弟、知人、友人に送って喜ばれた

 

話が脱線している。実はこのとき彼が使った言葉を紹介したいのである。その日はかなり波があった。船外機付きのボートだったので、怖い感じがした。私が遭難しかけた場所ではなかったが、「この辺りの海はきたない」と彼は言った。きたないの反対はきれいである。高倉健主演の映画「あなたへ」で、主人公は妻の遺骨を海に撒くために、妻の故郷の平戸の港町に来た。散骨が終わって、老いた漁師役の男が、「今日は久しぶりにきれいな海を見せてもらった」と言った。映画の脚本家が、「きれいな海」をどのように理解しているかはわからない。

 

次の話は、深さが腰ぐらいの海辺で起こったものだ。福岡に戻る前に、船を陸揚げしようとしていた。夏の暑が残る日であった。時折、手伝いを頼んでいる老夫婦(私より3つ年上)がいたので、命が助かった。船を船台に乗せたのち、ロープで固定して車で引っ張り上げる仕組みである。船の上で作業をしているとき、喉がひどく乾いたので(塩水でも飲もうかと思ったぐらい)、奥さんに家から水を持ってきてくれないかと頼んだ。彼女がまだ戻らない間のことだ。海の中で船を船台に乗せ終えて、船を降りて海に浸かった。そのとき、彼女の夫が「船が船台の真ん中に乗っていない」と言った。力を入れて船を船台の中央に押した瞬間、目先が真っ暗になって気を失って海の中に倒れた。苦しくなってもがいているのが、頭の中で夢を見ている感じがした。彼が慌てて駆け寄り私の腕を抱えて、水の中から助け起こしてくれた。彼が助けてくれなかったら私は死んでいただろう。後から聞いた話では、私の従兄が遠くから見ていたそうだ。最初は、てっきり、私が海に潜ったものと思ったそうだ。意識はすぐに戻り、奥さんが持って来てくれた大きなコップの水を一気に飲んだ。

 

このような事態になったのは、脱水症状かと思う。前日の夜中から、下痢がひどく、何も食べずに当日夕方まで寝込んでいた。実家にはいつものように私一人で居た。原因は、姉が置いていったインスタント皿ウドンである。すべての具材が入っており、温めるだけでダベられるものだ。口に入れて、味が少し変だと思ったけど、長崎風にソースをかけて食ったのがまずかった。症状が出てから袋を見ると賞味期限は1年以上も前に切れていた。しかも、冷蔵庫に入れずに保管していた。

 

命の恩人には、夏と冬の贈答を欠かさず、続けている。

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