作品の推敲

  

 

高校からの友人とのゴルフの後に、その一人が経営している会社の事務所に誘われて行った。応接間には、10点ぐらいの油絵がかかっていた。なかなかの出来栄えである。一つは馬らしき動物の頭蓋骨を描いた見覚えがある構図である。それを指摘すると、メキシコの画家のものを真似たと話した。以前に見たものの印象に負けず劣らずと感じた。彼は、70歳過ぎた最近から、絵の先生に習っているそうだ。水彩を希望したのに対して、先生は油絵の方が易しいと言ったそうだ。確かに水彩は上から塗り直しが効かないので、難しいだろう。その点、油絵は何度も修正できる。

 

話を移そう。小説家、脚本家であった、井上ひさしは、作品の完成が遅いので、遅筆堂と名乗っていた。彼が主宰した、こまつ座にかける新作の脚本がなかなか出来上がらないので、稽古をやりながら初演日ギリギリまで待つことが何度もあったようだ。彼の場合、筆が遅いのではなく(娘さんの談)、作品の質を最後まで高める努力を続けていた。小説であれ、脚本であれ、彼は参考図書/文献を大量に読み込み、これをもとに作品を書いた。ある人が彼に参考にした書籍を貸して欲しいと頼んだら、箱いっぱいの資料が届き、その資料には無数の付箋と書き込みがあったそうである。

 

ここまで書いたのは、私の作品の推敲について語りたかったからである。私が日本数学会に論文を投稿して、落とされたことはすでにブログに書いた。私は、当初は仕方がないと諦めていた。五島の実家に半月ほど出かけて留守にしていた時には、当然のことながら、この論文のことは頭に無かった。自宅に戻って、溜まっていた用件を済ませて暇になると論文のことが気になり始めた。投稿したものが落とされると、誰しも愉快でない。しかも、その本質的な理由が何も示されずに、いわば門前払いであったので、心が治らない。どこか他の学会に投稿できないものかと思い、ネットで調べたら、米国数学会 (American Mathematical Society) が良さそうに感じた。日本数学会は純粋数学 (pure mathematics) とうたっているいるのに対して、米国数学会はこれに加えて、応用数学 (applied mathematics) も受け付けている。調べていると、原稿を専門家が読んで助言してくれるところを見つけた。電子メールで連絡を取ってみた。返事を見ると、この制度は大学の先生たちが講義録を本にして出版するするものであり、私の原稿は当てはまらないということだった。話はそれるが、私の問い合わせに答えてくれた人の名前は、Eriko Hironaka とあった。もしや、あの有名な数学者、広中平祐と関係あるのではないかと思い、その旨メールのついでに聞いてみたものの、これには答えてくれなかった。ネットで調べてみると私の勘は当たっており、彼の娘さんである。数学の博士(Ph. D)であり、学会の顧問をしながら、大学の名誉教授でもあることを知った。彼女の助言は、私が九大の名誉教授であるから、原稿は九大の数学部門の専門家に読んでもらったらというものであった。私は、すでに読んでもらって数学論文としては価値が低く否定的な意見であったこと、日本数学会には拒絶された旨、正直に書き送った。

 

そうこうしているうちに、論文として気になるところ、改善すべきと思える箇所が浮かんできた。米国数学会の投稿要項を見ると、新しいこと(new), 読者の興味を引くこと(interesting) 、有意義 (significant) が求められている。この3点から原稿を見直さなければならない。表現もさることながら、論文の本質の説明と議論の展開の仕方が重要である。この見直し作業の糸口は、夜中や朝の目覚めの時、布団の中で浮かんできた。これは、これまでの研究開発の仕事において毎度のことである。重要な箇所は、たいてい、私の理解不足や考え違に起因している。朝食の際、「改善点が見つかった、これで完璧だ」とカミさんに何度か言った。最近になって、あまり相手にしてくれなくなった。ゴルフで「開眼した」と何度も言った時のようだ。どうせ、また、問題が見つかるだろうと思っているのだ。私が問題を解決していない時には、朝食の態度ですぐにわかると言う。確かに考え事をしていて、生野菜にかけるゴマドレッシングを、納豆を乗せたご飯にかけたこともある。

 

このブログを書くことにしたのは、1か月以上続いた原稿の見直し作業がひとまず完了し、頭がすっきりしたと感じているからである。興味がある方は今のところの最終原稿を読んでみてください。題目も変更しました ( An Elementary Approach to the Fourier Transform of Not-AbsolutelyIntegrable Functions) 。退職してからこれといった用事がない身にとって、数学の論文原稿の推敲に専念できたことをつくづく幸せに感じている。あと少しの間、机の中にしまって寝かせてから投稿するつもりである。

 

原稿を寝かせてから、あとで見直すことの大事さは、今回、改めて認識している。最後に、このように寝かせて推敲してはならない作品を上げる。それは、恋文(love letter) である。だいたいにおいて恋文は夜中に書くので、朝になって読み返すとまず投函できない。書き終えたらすぐにポストに入れに行くべきだ。

 

コメント

このブログの人気の投稿

数学論文投稿 (電子情報通信学会 9度目の拒絶と10回目の投稿)

日本数学会への論文投稿(続き)

数学論文投稿(電子情報通信学会 8度目の拒絶と9度目の投稿)