瀬戸内寂聴の「自助」

 

彼女が新聞に書いている随筆は、ほとんど目を通している。前回のものは、読んだ後、違和感を覚えた。菅総理大臣の言葉と関連して、「自助」に触れたものだ。彼の言葉に全面的に賛意を表している。

 

彼女は、若いとき辛い体験をした。誰も彼女を助けてくれなかった(母親が同情した?)。父親には、いわゆる絶縁をされたと書いた。自分は、誰の助けも借りずにここまで生きてきたという趣旨である。だから、菅総理の言うことはもっともだと言いたいのだろう。誰しも、辛い体験はある。これに、できるだけ自分で対処しようとするのは当然である。自助という言葉もそれ自体は良い。しかし、問題はふりかかった困難の種類である。

 

彼女の辛い体験は離婚だと書いてある。いきさつは書いていない。それがどのようなものであったのか、例によってネットで調べてみた。その記事は、具体的に書いてあるので、そんなに間違っていないと思う。他人の私生活に触れるのは好きでないのであれこれは書きたくない。見合い結婚した夫(学者)、置いて出た娘、離婚の原因となった若い男、作家の井上光晴とその娘(作家)のことが書かれている。この中で知っているのは、井上光晴である。大学時代によく読んでいた雑誌、「文学界」(その他は、「展望」と「朝日ジャーナル」)で何度か読んだ思う。良い印象を持っている。瀬戸内寂聴(当時は晴美)も読んだかもしれないが、しかし、印象に残っていない。出家した寂聴自身が井上光晴のことを書いたのを新聞の欄で読んだと思う。覚えているのは、彼が妻(娘?)の才能に嫉妬していたと書いたところである。

 

彼女の辛い経験はわかる。しかし、その原因は自分が選んだ判断の結果である。それに対して、運に恵まれないで、自分ではどうしようもない困難もある。瀬戸内さんに残された子供もそうかもしれないし、貧乏に生まれたので身売りに出された昔の農村の娘は、はっきりそうだ。広く見れば、飢餓に襲われているアフリカで育っている子供もそうかもしれない。菅総理の言う「自助」はその背景を考えると納得できない。ただし、今の世代は、そんなに息苦しさを表明していないと言われる。確かに表面的には、そう見える。宮台真司は、「非正規の安い給料で働いている人と、IT企業の高給取りの人が、スターバックスで隣り合わせで座っていても気がつかない」と言っている(「見たいものだけ見る政治」支えた国民意識、朝日新聞)。

 

しかし、将来に対する希望は、今、老人になっている我々の若いときのほうが間違いなく良いように思う。経済成長と民主主義が、人々の間の格差を縮めてくれていた。新自由主義(グロバリジェーション)で暴走する資本主義の結果として、人々の暮らしの格差が広がってる。このとき、政治家が国民に対して「自助」を真っ先に掲げてたたかえというのはおかしい。日本の若者の多数が、その指導者の言説に異を唱えないのはさらに不幸な現象である。瀬戸内寂聴が述べた考えが、彼女の若いときからの素質から来たものか、あるいは、私同様の老人ボケがなせるものなのか。

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