牛の散歩

牛を散歩させたことがある人は少ないだろう。私は小学校5, 6年生のときに学校から帰ってくると、ほぼ毎日、行った。散歩と言っても、鼻輪につけた綱を持って、道端の草を喰せるだけだ。当時は、近所の家はたいていは半農半漁で生活しており、牛を飼っていた。田畑の農耕作業にスキを引かせるためだ。また、牛舎でわらと牛糞で良い堆肥ができた。子供でも扱えるのは、牛がメスで比較的大人しいからである。今、思い出した。牛を右に向かわせるときには、「オシヨ」と言いながら綱を引き、左に向けるときには、「トト」と言って綱で体を叩いた(最近のことはすぐ忘れるのに、昔のことはこのように思い出せるから不思議である)。

牛のことを書こうと思ったのは、何年か前に、若いときに牛に接触したことがある人はインフルエンザにかかりにくいという記事を読んだことがあったからである。牛のウイルスに感染して抗体ができているからだろう。今のコロナウイルスでこのことを思い出した。その当時、私は何かの講演の中で、「私の人生は幸運であった」、その訳の一項目として牛の散歩とウイルスについて話したこともあった。その後、思い至ったのは、牛のおかげはこれだけではなかったことだ。

庭先の牛舎から連れ出し、数百メートルぐらいの道を往復する。牛は道端の草をすぐに食べ始める。草は少ないのに、牛のことだからゆっくり丁寧に食べる。私は急がせる。先に行けば広い草むらがあるからだ。草が多いので、綱を木にくくりつければ周りの草を食べる間、私は牛を放っておける。おおむけに寝転がって空を眺めるのは気持ち良い。ときには、学校で習っておもしろいと思ったことや、理解がすっきりしなかったことを思い出して考えることができた。小学校の時の成績がそこそこ良かったのは、この習慣のおかげかもしれない。さらには、一人でぼんやり過ごす楽しみを会得したようだ。

牛のおかげをもう一つあげよう。牛のようにいくら急かしたところで、どうにもならないことがあることを、子供の頃にすでに知ったことである。何度も同じ道を通るのに、牛は学習しないで先へ急ぐことをしてくれなかった。それで待つことに耐えられる力が少しはついたかもしれない。生まれつきせっかちだったので、牛がいなかったら今頃どうなっていただろう。

年老いて働きが弱くなると、馬喰が仔牛を連れて来て、代わりに年老いた牛は引き取られる。たぶん、屠殺されて食肉になったのだろう。我が家で私はこの牛の交代を一度だけ経験した。子供のとき、牛肉は食べたことがない。魚が豊富にあったので、大人であってもそうだっただろう。もし、何かの機会に牛肉が出されたとしても、その当時は、私には口にできなかっただろう。

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