領土交渉史—孫崎享に対する佐藤優の非難

孫崎享の本を続けて読むついでに、wikipediaで著者を調べて見たところ、佐藤が孫崎を非難しているとの記述があった。文献が示されていたので、ネットで調べて買った。その文献[1]とは、「(佐藤優の視点)尖閣諸島、北方領土をめぐる孫崎享氏の奇妙な見解」(「伝統と革新」、10号、特集「領土・国防・安保—日本は侵されている」、たちばな出版、平成25年1月)である。 簡単のため、ここでは、北方領土問題のみに限る。今でも続いている、2島か4島かの議論である。

佐藤は孫崎の書いた次の部分(私の要約)「サンフランシスコ講和条約で、日本国は千島列島に対するすべての権利、請求権を放棄した。当時の吉田首相は千島列島に択捉、国後の両島が含まれると、調印前に認めている。西村条約局長も調印後の衆議院国会答弁で、両島が千島列島に含まれると答弁している。したがって、重光外相が日ソ国交回復を成功させるために、両島の放棄をやむをえないと判断したことは妥当であった。しかし、米国のダレス国務長官が重光外相に圧力をかけ、もし、日本が択捉、国後をソ連に要求しないのなら、沖縄を米国の領土とする脅した」を非難している。佐藤の見解は、「日本政府は鳩山首相も含めて、4島返還を交渉の最初からソ連に求めていた。しかし、重光外相は政府の意向を無視して、2島返還で手を打とうとした。これはダレスが重光外相を脅す前のことであった」という点である。ここに書いた限りでは、佐藤のいうとおりである。それは、松本俊一著(佐藤優解説)「日ソ国交回復秘録、増補北方領土交渉の真実」、朝日新聞出版(2019年3月)[2]に詳しく書かれている。 私には、佐藤の言い分は、全体の流れを無視して、細部の間違いを非難しているように思える。当時の歴史の流れとして、(米ソ)冷戦がすでに始まっていたことを頭に置く必要がある。日本とソ連の間に領土紛争の種を残しておくことは、米国の利益になるから、日ソ交渉の始まる前から、日本を牽制していた(文献「2」p. 129)。 ダレスが重光を、直接、脅したのはダメ押しであったとみられる。ダレスが沖縄を返さないと言ったことが、世間に知れて政府は対応に困った。しかし、米国の真意は、「ソ連との交渉で日本が強く出れるように後押しする、善意の表れとの了解で日本の世論が治ったと書いてある([2], p. 130)。私には米国の真意が日本への善意であったとは思えない。 この論文で、佐藤は孫崎の外交官としての姿勢も非難している。外交官は辞めた後でも、国益を大事にしなければならないと言っているので、孫崎の尖閣諸島、北方領土に対する見解が国益を損なっていると言いたいのだろう。ここで、「国益」をどのように捉えるかで、結果が異なる。孫崎は、過去の経緯にさかのぼって、特にそこまでの交渉の本質を大事にすべきだと言っている。また、米国に追随するのみでは国益にならないと主張している。孫崎はさらに、首脳の判断が間違っていると気がついたら、現場は意見具申をすべきだし、昔の気骨ある外交官はそうしたと書いている。私もそう思う。 佐藤優の書いたものは、著作本や、週刊東洋経済のコラム「知の技法、出世の作法」を長い間、読んできた。今回の彼の論[1]には違和感を持っている。論を述べる場所(出版社の意向)に応じて論点を合わせているとは思いたくない。

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